寺山修司が雑誌「短歌研究」昭和29(1954)年11月号に発表した「チェホフ祭」の一連34首の冒頭は、
アカハタを売るわれを夏蝶超えゆけり母は故郷の田を打ちてゐむ
であったといいます。(さいかち真著『生まれては死んでゆけ』北溟社、68ページ)
そののちこの一首は、寺山が最初の歌集『空には本』(昭和33年)を編んだときには、
アカハタ売るわれを夏蝶越えゆけり母は故郷の田を打ちていむ
と変えられて、また、一連冒頭のうたは、
一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき
に差し替えられたということです。
夏蝶というと、先週の昼間に登りに行った高尾山で、華麗なアゲハ蝶を見たことを思い出します。蝶が飛んでいる様を見ていると、呪術的な匂いを感じます。いわゆる「夜の街の蝶」ということばにも、呪術的なものが奥底に潜んでいるような気がします。
アカハタを売るわれを夏蝶超えゆけり母は故郷の田を打ちてゐむ
であったといいます。(さいかち真著『生まれては死んでゆけ』北溟社、68ページ)
そののちこの一首は、寺山が最初の歌集『空には本』(昭和33年)を編んだときには、
アカハタ売るわれを夏蝶越えゆけり母は故郷の田を打ちていむ
と変えられて、また、一連冒頭のうたは、
一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき
に差し替えられたということです。
夏蝶というと、先週の昼間に登りに行った高尾山で、華麗なアゲハ蝶を見たことを思い出します。蝶が飛んでいる様を見ていると、呪術的な匂いを感じます。いわゆる「夜の街の蝶」ということばにも、呪術的なものが奥底に潜んでいるような気がします。