Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

出雲、YS、はまかぜ(5)

2006-02-13 | できごと。
YS-11
日本が戦後初めて製造した国産旅客機です。
法的な問題~義務になった空中衝突防止装置(TCAS)が搭載されていないため、
その取り付け猶予期間である今年いっぱいで引退が決定しています。
今年いっぱいといっても実際は就航路線はどんどん数を減らしていて、
12月までもつ保証がありません。
しかも、現在は残りの稼働機は残り4機だったと思います。
僕は、この愛すべき国産飛行機に乗ったことが無かったのです。
引退が近づいていたのは知っていたものの、なかなか乗りに行く機会がなかった。
だから、今回の旅程には「何が何でも」組み込んだのです。


YS-11の設計には、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)・一式戦闘機(隼)・二式大艇・
三式戦闘機(飛燕)を設計した設計者などが集まったのです。
それ例外にも戦前の航空業界を支えた人物が参加しました。
まさに、戦後の航空界の夢...いまいちど日本製の航空機を!というそれを実現するための
プロジェクトだったのです。


そして昭和37年に試作機が初飛行。ですがその時に問題点が多く散見され、
その後量産に至るまでに多くの改良が施されました。
航空機といっても旅客機を作ったことのない設計陣が手がけた、
しかも色濃い日本軍用機テイストが残るこの機体は、
旅客機としてはとても扱いづらかったそうなのです。
ですが、日本人が産んだこのYSを、各メーカー、各ユーザーは懸命に改良を重ね、
その結果現在では故障率の少なさや稼働率では世界でもトップクラスの水準を
いまだに保つ、優秀な飛行機として知られるようになりました。

総計182機がロールアウトしたこのYS-11も、
思った以上に期待されていた海外への輸出も伸びず
製造会社である「日本航空機製造(日航製)」は赤字を抱えることになり会社は解散、
YS-11の製造も中止されてしまいました。
なお、製造会社は日航製ですが、実際の製造は日本の航空機産業のタッグともいえるもので、
新三菱重工(現三菱重工業)、川崎航空機(現川崎重工業)、
富士重工業、新明和工業、日本飛行機、昭和飛行機が分担し、
最終組み立てを三菱が担当しました。
エンジンは国産での調達が困難であることからイギリスのロールス・ロイス製
ダートMK542/10型エンジンを採用、プロペラも同じくイギリスのダウティ・ロートル社製です。


...とまあ、説明が長くなってしまいますからいよいよ乗り込みましょう!
今日乗る路線は、残り少なくなったYSの就航路線のうちのひとつ、鹿児島ー種子島線です。


バスを降りると目の前にはYS-11。
胸が高鳴ります。
お客さんは満員。中には僕のように写真を撮っているひともいました。


タラップから撮った、30年以上飛び続けた無骨な機体。

でもどこか優しく、日本的な感じがします。


エンジンに火が入り、プロペラが回り始めました。
ブィーーーーーーーーーーーーーンという野太く低いサウンドが響きます。
乗ったことがないはずなのに、とても懐かしい感じがします。
エンジンの回転に合わせて機体も小刻みに振動しています。

滑走路を想像以上の力強さで駆け抜けると、
これまた想像以上の短距離でYSは空へと舞い上がりました。
エンジンの唸りもいっそう激しく機内に響き渡ります。
ジェット機のキィーンという音とはまったく異質な、
大きな回転物が空気を切り裂く音とともに!
背筋に走る感動、そして鳥肌。
ごごん、ごごんという揺れとともに、YSは空に登っていきました。
正直、ちょっとこわかったです(笑



デジカメは離着陸時には使えないので、ようやくベルト脱着サインが出て撮影開始です。


ダート・エンジンと四翅のダウティ・プロペラは力強く、
そして順調に僕らを種子島に運んでくれます。
安定した機体は早くも佐多岬の上空。
飛行高度の低いYSだととても地上がよく見えます。まるで遊覧飛行です。

こんなのも撮ってみた^^

YSの安全のしおり。日航塗装ですが^^;



ところが、鹿児島ー種子島間はわずか30分くらいで着いてしまいます。
登ったら、降りる感じ(^^
ベルトサインが瞬く間に点灯し、エンジンの出力を絞ったYSは降下を始めました。
眼下の海は美しくきらめき、南の海にいることを思わせます。




YSは時折がくっと落ちるような感覚を伴いつつ、
えぐるような角度でターンしながら、空港に近づきます。
窓の外には民家が並んでいます。
その民家の中の様子が見えるほど地上に近づくと、足下には空港の路面が見え始めました。
軽いショックのあとタイヤスモークをあげ、YSは無事に着陸。
プロペラのピッチが変えられ、ブレーキング効果を出しているのがわかります。

着陸後、ターミナルそばまで移動、YSはただちにエンジンの火を落としました。



そしていよいよ機体を降ります。

2月とは思えない日差し。風は冷たいですが、春っぽい種子島。

お恥ずかしながら生まれて初めての国内線だったのですが
初めての着陸空港がこんな素朴な種子島空港なんて感激?です。

平屋だ...駅みたい(^^



>>すみません、続きます~

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2 コメント

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すげえっ (プラナリア)
2006-02-13 23:30:49
飛ぶ交通博物館だ!

白くて低くてぺッタンこな空港もLOVE!

やっぱ青空にはモダニズムが映えるのだ。
この空港も (ie)
2006-02-14 10:20:24
プラナリアさま>

昭和33年だそうです、この空港の開港。たぶん、あの雰囲気からしてそのまんまのたてものだと思います。

ですが、実は今年の3月に新空港が開港してしまうので、この素敵な空港も廃止になる予定です...

そうなると、短い滑走路で飛べて、60人近く運べるから生き残ってきたYSによる運行もいつまで持つか怪しいのです.....。

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