ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

元少年Aはありえない

2015年06月20日 09時48分03秒 | 雑記
本日、シオラパルク上空は厚い雲におおわれ、予定されていたカナックからのヘリコプター便は明日に延期。カヤック旅のパートナー山口君の来村も一日延びた。村人が嘆くほど、今年のシオラパルクは曇りの日が多い。こっちのヘリや飛行機は視界がないとすぐに欠航するので心配していたが、案の定、飛ばなかった。早く出発したくてうずうずしているので、ちょっと落胆した。干し肉も充分な量ができあがり、アッパリアス猟も終わりにしたので、今日は大家の息子の誕生日を祝ってカレーを作ったり、犬の散歩ついでに村の裏にある標高900mほどの山にのぼりにいったりして過ごした。

さて、ネットでニュースを読んでいて気になる記事があった。神戸連続児童殺傷事件の加害者の男が事件についてまとめた手記『絶歌』が太田出版から出され、それがベストセラーになり、波紋を広げているというニュースである。版元の言い分としては、事件は社会性が高く、出版する意義があるとのことだが、一方、遺族は精神的苦痛が甚だしく、二次被害を被ったとして、版元に対して回収を求める申込書を送ったという。版元に対しては、不謹慎ではないかという抗議が殺到しており、図書館も対応に苦慮しているという記事だ。

もちろん私は本書を読んでいないし、また、この記事にも著者がどこまで事件のことに踏みこんでいるのか書いてない。要するにどんな本なのかまったく知らないのだが、しかし内容以前に、この本に対してはつよい疑問を感じる。TBSラジオ「たまむすび」でコラムニストの小田嶋隆さんも指摘していたが、なぜ加害者の男と版元の太田出版は著者名を元少年Aなどという匿名のまま出版することにしたのだろう。本を出して自らの意見を公にし表現したいのなら、実名で顔を晒すのが当たり前ではないだろうか。

当たり前だが、表現や言論をおこなう場合、自分がどのような人間であるかを公表することが最低限の条件。匿名の表現、言論というのはありえない。そしてこの場合、公表するというのは、身体的に個人を識別できる記号としての顔を晒し、かつ実名かそれに準ずる筆名など、社会活動を実践する単位として実質的な意味のある個人名を明らかにするということである。

当事者が何者か分からないままなされた言論や表現は実体がなく、意味のないものになってしまう。なぜなら、表現者は表現した内容に対して批評をうける責任があり、匿名による表現は外部からの批評を不可能にするからだ。たとえば匿名で誰かのことを批判しても、批判されたほうは相手が匿名だと反論のしようがない。要するに匿名での批判は物陰に隠れて相手に石をぶつけてサッと隠れるのと同じであり、自分だけが安全な立場にいて好き勝手やるという非常に卑怯な行為なのである。私はネット上で匿名でいい気になって好きなことを書いている人を基本的に軽蔑している(もちろん個人の日記ブログのようなものは別ですが。具体的に言うとアマゾンのレビューのような類です)。しかし軽蔑しても、軽蔑した相手が空気のような存在なので、私の軽蔑の念は感触をともなわず、のれんに腕押しみたいになる。これが匿名性の問題の本質だ(これに反して安倍晋三のような人物を軽蔑したときは、軽蔑しきったぞという充実感が伴う。そう考えると彼も、世の中の多くの軽蔑を全身で受け止めることで、最大の実名人たる首相としての役割を全うしているということはいえる)。

この本の出版に関しても、表現の自由云々ということが言われているようだが、表現の自由を主張したいのなら、自由の権利を行使する代償として自らが何者であるかを明かすのが著者の責任である。事件当時は十四歳の少年であり匿名で許される存在だったのかもしれないが、現在は32歳の大人なのだから、現在の彼が当時の行為を振り返り、現在の立場から何かを社会に問いたいのなら、その現在の自分を社会に晒さなければならないのは当たり前の話だ。書かれた人たちは実名で、書いた自分は匿名というのでは、書いた責任が取れない。いつまでも透明な存在でいたいのなら、本なんか出版すべきではない。

面倒くさい摩擦だとかトラブルを避けるために、何でも匿名でやることが当たり前の風潮になってきているが、自分を個人として確立させたいのなら、まず名を名乗り、自分を社会のなかに位置づけるのが最低限の作法である。そんな当たり前のこともおざなりにされて、しかもこんな社会的影響の強い本が出版されるなんて、世の中どうかしているとしか思えない。


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