言の葉収集

思ったこと、感じたこと、出逢ったこと
いろいろ気ままに書きたいと思っています。

車中にて

2008-06-20 17:15:44 | 出来事
ただ今新幹線の中。
出張の為、横浜へと向かう途中。

見習うべき若手経営者からのお誘いは、一昨年ほど前からいただいていたのだが、辞退させてもらってていた。
だが今年はさらなる飛躍の為に、老体に鞭打ち決心した。

一皮剥けて来るぞ!

「富士山を、映さぬ車窓、梅雨の空」

パーフェクト・ストレンジャー

2008-06-19 16:57:50 | 映画
パーフェクト・ストレンジャー

「ラスト7分11秒。あなたは絶対騙される」

このキャッチコピーに釣られて、先日レンタルしてしまった。
してしまった。という表現には後悔の念が含まれているからだ。

まあ、騙されたと言ったら騙されたのだが、「これかい!」ってな感じの騙され方で、どんな裏切りをされるのだろうと期待に胸を膨らませて観てはいけません。
シックスセンスの時もそうだったが、コピーが濃すぎるとついつい方に力が入り、違った角度から観てしまうので、演者に感情移入している暇がないのだ(笑)。
あの映画は途中でネタが分かってしまったので、もちろんラストは半減。余計なコピーはいらないのだ。
ショッキング・スリラーと銘打つにはちとお粗末なのではと思ってしまう。

ハル・ベリーとブルース・ウィリス、好きな役者が出ていたのも動機となったが…。
いや、でもあのコピーを見たら借りてしまうだろうな、きっと。

「騙される。そんなコピーに騙される」

プッ、プッ、プッ

2008-06-18 17:29:06 | ニュース
<携帯PHSシェア>NTTドコモ、初の50%割れ

いよいよドコモさんもお尻に火がついてきた。
確かに最近、ケータイに電話をかけると、呼び出しの前にプッ、プッ、プッ、と音がする。
特に若い人に多くみられるこの現象は、「私のケータイはソフトバンクですよ」とお知らせする音だ。

「この人もソフトバンクに変えたのか…」とかけた側は、どんどん塗り換わっていく国取り合戦ゲームのような感覚を覚えてしまう。
ソフトバンクにしてみれば見事な戦略で、シェアの拡大をリアルタイムに消費者に知らせ、「あーあ、タダで通話できるかもしれないのにもったいない」と、もの言わずとも毎日宣伝効果があるのだ。

プッ、プッ、プッ

ただ3つの音を鳴らすだけ。そうソフトバンクは何も言わない。誰が考えたんだろう、素晴らしい仕組み(笑)だ。

ただ私には、ケータイのことよりも、PCのデータ通信カードの方をなんとかしてほしい。
eモバイルもいいプランが出来たというのに、当地方では使えない。

「その地域の方は狼煙(のろし)をご利用ください」

いっそのこと、そんな言葉でトドメを刺して欲しいものだ。

「波あれど、電波は無しの、過疎地域」

梅雨晴れ間

2008-06-17 21:42:14 | Weblog
やっと夏らしい天気になった。

朝からぐんぐん気温と湿度が上がり、さすがにシャツも今日ばかりは肌にくっついて、不快指数を上げる一翼を担う。
いやーな感触ではあるが、なんだか夏の訪れを感じて、少し嬉しい。

汗っかきの妻と娘は、いつも夏になると私の涼しげな姿を見て羨ましがる。
そう、私はほとんど汗をかかない。

「お父さんはええなあ」

汗をあまりかかないのも、そんなに良くないらしいのだが…。
まあ、でも夏は昔から好きで、暑いのは全然苦にならない。サウナなんかでも結構最後のほうまで我慢できるタイプだ。
きっと体温が低いのだろう。そのかわり冬は大変。厚着に厚着を重ね、風邪もひきやすい。だから北国には住めないなと、誰も北国の方からお誘いもないのに勝手にそう言い続けている。

ニュースによると沖縄はもう梅雨が明けたという。
いいなあ…沖縄。

「ワイシャツの袖も捲りし、梅雨晴れ間」

2020年の挑戦

2008-06-16 22:18:20 | Weblog
先日ウルトラQの話題を書いてから、全話が観たくてしょうがなくなった。

AmazonでDVDのセットを買おうかと見てみると、とってもいい値段…。
意気込みは、「ウルトラチャンネルで全話やってくれればいいのに」という他力本願に変身する。

そのDVDの中身を見ていると、なんと記憶のあいまいなこと。
私の中では最終回は「ペギラ」の話だったと思っていたが、全然違った。
(関係ないが、当時ペギー葉山さんを見ると。どうしてもペギラの化身に見えてしかたなかった。いや、名前が似ていたからですよ。)
それに第2話が「五郎とゴロー」だなんて意外である。あのキングコングに似た大きな猿の話だ。そんなに早い回の話だったっけ??
まさかこっちの地域だけ違っていたなんてことはないでしょうね円谷さん。

そして気になった題名がひとつ。
第19話「2020年の挑戦」だ。
こどもの頃、2020年なんて気の遠くなる未来の話だと思っていたが、考えてみれば今年と同じ干支(子)が次に廻ってくるのが丁度2020年だ。いや、まいった。

ケムール星人がひたすら走っているあの回の次の日、みんな学校で大股で走っていた(笑)。
余談だが、ケムール星人を演じていた人は、あのウルトラマンを演じていた人と同一人物で、ウルトラセブンのアマギ隊員である。って前にも書いたぞ。

追加、ラゴン役もね。
あの役者さん、背が高くてスタイルが良かったからなあ…。

「思い出も、白黒にさせ、ウルトラQ」

父の日

2008-06-15 21:52:36 | ニュース
「女性は妊娠・出産という体の変化を通して自然と母親になるが、男性にそれはない。役割をつくる難しさがある」

そう語るのは自身も3児の精神科医の田村毅・東京学芸大教授(児童精神医学)だ。
今日の中日新聞にいい話が書かれていた。

育児は本来①扶養、②社会化の手助け、③身の回りの世話-で成り立ち、父親は主に①と②を担ってきたが、家の稼ぎ頭としての権威が落ち、母親が担うことの多かった③を分担するようになったと書かれている。
身の回りの世話が子育ていった認識が広がったことで、「父親(父性)の母親化(母性化)」が進んでいると言うのは、家族のあり方に詳しい行政書士の阿部マリさん。

田村教授は、「父親が母親化した場合、子どもには『無条件で自分を受け入れてくれる人』が二人になる」と指摘し、「母性の特徴であるやさしさばかりでは、特に思春期以降は子どもの社会性の獲得が遅れる」と話す。
さらに、「子どもは思春期に外に飛び出す。内外の世界の橋渡し役には、社会と家庭に両足を置いている人が適任」と素晴らしいアドバイス。

阿部さんは、「子どもは母親を自分と一体化してとらえる。だから父親は『第一の他人』として遊び相手になり社会性をはぐくむ」。青年期は「越えるべき他者」として壁になる」ことを勧める。一体化とは距離を置く姿勢だ。なるほど勉強になります。

お二人が口をそろえるのは、
父親は母親と同じ立場になろうとせず、「第二の親」の位置を認めること。

ほとんど記事の丸写しになったが、いいことが書いていると思ったので紹介しました。
なるほど父の存在感は、まだまだこの国には必要なのだ。

ところで我が家の「父の日」。
娘が朝起きてすぐ、「お父さんこれ」と小さな包みを渡してくれた。
仕事で使うハンカチと靴下。それよりも嬉しかったのは小さなメモに書かれていた「父の仕事」に対する理解と感謝。
こちらこそ、ありがとう。(密かにカレーシューを期待していたが…笑)

「記念物、父の威厳と存在感」

カレーシュー

2008-06-14 10:37:24 | Weblog
「はいこれ」ともらっても、嬉しいような悲しいような…。

父の日のプレゼントにと、志摩の洋菓子店「エンゼル」が考案した「カレーシュー」

-以下記事より抜粋-

「カレーシュー」は同店オーナーパティシエの田畑常敏さん考案の商品で、試行錯誤の末完成。シュークリームのシュー生地にカレー粉を混ぜ、ネクタイをイメージし細長く仕上げた。ネクタイを結んだようにリボンでラッピングし、約25本前後を袋に詰め販売。「商品名からは想像できない洗練された商品に仕上がった」と田畑さん。価格は1袋600円。

-抜粋終わり-

そう、加齢臭とカレーシューをかけた商品名で、話題性は抜群だが、ターゲットとしては複雑な心境である。
でも、食べてみたい気もするので、娘にリクエストしてみるか。いや、やっぱりやめておこう。もしかしたら若さあふれるグッズを用意してくれているかもしれないし(笑)。

「振り向けば、祖父の匂いがしたような…」

ヤツの住処は、耳の後ろあたりのような気がする。

石井慧

2008-06-13 20:54:31 | Weblog
先日から、新聞や雑誌でよく目にする人がいる。

男子柔道百キロ超級の北京五輪代表、石井慧その人だ。

一本をとる柔道を完全に捨て、たとえ有効ひとつでも勝ちは勝ちと、内容よりもあくまでも勝ちにこだわる柔道は、嫌う人もいるがこれもひとつの美学である。
そして彼のこんな言葉も紹介されていた。

「立ち技は見る人によって評価が違う。だが寝技はきっちり30秒押さえ込めば誰も文句の言えない勝利となる」

日本柔道の伝統にこだわらず、相手によって戦い方を変える石井の柔道の背景には、猛烈な練習量と同時に、じつは、膨大な読書がある。(THE21、7月号P76より)

石井はテレビ番組のインタビューのなかで、こんな言葉を残している。

「自分のように海外のJUDOを採り入れ、先に対応できた選手が強くなれる。織田信長が鉄砲をいち早く採り入れたように」(THE21、7月号P76より)

変則的に相手の背中を掴みにいったり、組み手をさえぎる技術を磨く海外の選手を見て、これが柔道か?と首をかしげている人たちを尻目に、すでに石井はそのJUDOに平然と対応しているのだ。

井上康生の柔道とは正反対だと言われる。しかし、「勝たなければそもそも意味がない」と石井は言うだろう。
頼もしい代表が出てきた。試合は柔道最終日の8月15日。目が離せないぞ。

「技よりも、一本よりも、勝ちに価値」

山行け、山行け。

2008-06-12 18:50:40 | Weblog
昔も今も、親が漁師である。

こどもの頃、奇妙な迷信と言うか、風習と言っていいのか、我が家のルールがあった。(あれは我が家だけだったのだろうか?今度調べてみよう。)

それは、午前中に「猿」と言わないこと。
何か話の中で「猿」と口走ってしまうと、母ちゃんとばあちゃんに叱られるのだ。

「あほっ、まだ朝やないか」

と言われ、続いて取り消しの呪文を唱えさせられる。

「山行け、山行け」(猿に言っている)と2回。

こどもの頃は、何で午前中に「猿」と言ったら駄目なのかが分からなかったが、今にして思うと、「猿」→「さる」→「去る」となり、魚がいなくならないようにゲンを担いだのではないか。
漁師の朝は早く、ほとんど午前中で仕事は終わる。家を守る女達は、沖に出て働いている男の為に、そこまで気を使っていたように思う。
そうすることで、不漁で帰って来ぬよう祈り、自分達を安心させていたのだ。

それが染み付いているものだから、私は今でも午前中「猿」と言うのを躊躇う。
しょうがなく言ったとしても、必ず心の中で「山行け、山行け」と唱えるのである。
最近は、妻と娘にも伝染して、同じように気を使っているから面白い。彼女達も「聞いてしまうと気になる」とすっかり信者だ(笑)。

先日、両親と食事をする機会があったので、その話をすると、

「おお、おお、昔はそんなこと言うとったなあ」と笑っている。

現在は朝から平気で日常会話に「猿」が登場するらしい。
くそーっ、どうしてくれる。

「迷信に、潜む絆と思いやり」

ALWAYS 続・三丁目の夕日

2008-06-11 21:49:25 | 映画
昨日久々にDVDを借りてきて観た。

ALWAYS 続・三丁目の夕日

-どんなに時代が変わろうと、変わらないものがきっとある。-

2005年に公開された「ALWAYS三丁目の夕日」の続編だ。
前作を観た時から続編が待ち遠しかった。やっと観ることができた。

物語は前作の4ヵ月後の昭和34年春から始まる。茶川とヒロミのロマンスの行方を中心に、3丁目に住む人達の心温まる物語は、前作同様やっぱりじーんとする。
不覚にも落涙…。って、最近ホントに涙腺が弱くなり、ちょっとのことでもウルウルとしてしまう。脳や心はまだ準備できていない(そんなわけないが)のに目頭だけはついおもらししてしまうのだ。

まず子役がうまい。鈴木オートの坊主に、背が高くなりすぎた感がある淳之介。素晴らしい。
買い物や洗濯、食器洗い、庭の掃除など、こども達が当たり前のように家事を手伝っているシーンが何とも微笑ましいような、懐かしいような、複雑な気分になった。
最近はめったに見ない光景だ。塾やスポーツクラブなど、今やこどもが一番忙しい時代なのだ。

ノスタルジックな昭和に浸った2時間、短かったな、うん。

「あの頃は、ひとりの娯楽がない時代」

ビー玉、縄跳び、かくれんぼ、ケンケン、メンコ、そう言えばどれをするにも友達が必要だったなあ…。