言の葉収集

思ったこと、感じたこと、出逢ったこと
いろいろ気ままに書きたいと思っています。

保険者の願い(2)

2007-12-21 21:17:45 | Weblog
昨日の続き…。

さて、昨日書いた定期健康診断を受診する人が少ないことについて、解決策を探してみることにする。

まず、

○そもそもそんな検診があることを知らない。

若い人たちにはメールで発信するとか、いろいろと工夫が必要か。

○時間が無い
○面倒くさい

については、裏を返せば「時間があれば受診する」「簡単にできるのなら受診する」ということではないか。
つまり健康について関心がある人であれば、受診に対して理解があるわけだから、夜に検診を行なうとか、ニーズに応えてみるべきである。
当然、雇用者側も従業員の健康管理について理解を示し、受診の促進を行なうべきだ。
受診の費用に対する金銭的な援助も受診者にとってはありがたいことは言うまでもない。こういった環境を整えることも、保険者や行政、さらに雇用主には必要かも知れない。

最後に、

○再検査や悪い結果になるのが怖い。

このような方には、どうやって受けてもらうべきなのか…。
これは難題である。要は悪いところを見つけたくないのだから…。

収支を改善するには、収入を増やすか支出を減らすしかない。
今の公的医療保険の現状では、保険料を上げたり資金を投入するよりも、医療費負担を抑えることが大切なのではないだろうか。それには健康診断などが病気予防につながるのだ。

先日健康診断を受けて問題が無かったため、図にのっているbattaであった。

保険者の願い

2007-12-20 09:25:54 | Weblog
がんは治る時代。

早期発見できれば「がんはもう怖くない時代」となったと何かで読んだ。
発症率は増加しているのだが、比例して治癒率も増加している。

「とにかく早く見つけること」

これが大事らしい。

では、見つけるにはどうすればよいか?

定期健診が有効である。ただ通常の検診では限界があるのでPET検査などが望ましい。
しかし、それには高額な検診料が問題となる。

自分の周りの人に「定期健診」や「がん検診」を受けていますか?と聞くと、

会社員や公務員の人たちは、定期的にその職場での検診が義務付けられており、ほとんどの人が検診を受けている。
それに比べて、自営業や漁業、農業、さらにそこに勤めている人たちはほとんど受けていないという。
これらの人たちが加入する国民年金では、市町村などから案内があり、それこそ定期的に検診が行なわれているのだが参加しない方が多かった。
また年配の方に比べて若い人に非受診が目立つ。

なぜ受診しないのか?

理由として、

○時間が無い。
○面倒くさい。
○再検査や悪い結果になるのが怖い。
○そもそもそんな検診があることを知らない。

などである。

国保の医療費負担は年々増加する一方であり、非常に深刻な問題である。このままだと崩壊しても何ら不思議ではない。もちろん社会保険とて同じだが。
保険料収入だけでは、もう完全に成り立たないのである。

検診によって早期発見、初期治療(がんに限ることではないが)できることは、その問題の解決策の一端を担う。
「国保だより」のような冊子を見ると、病気に罹らないような生活や、食のアドバイスに至るまで、努力はしているがその効果は薄い。

果たして保険者が願う「検診率」は、どうすれば向上するのだろうか?

つづく…。

年末モード

2007-12-19 16:50:53 | 出来事
当たり前だが再来週の今日はもう来年だ。

今日挨拶に伺ったお客様のところでは、もう「良いお年を」と声をかけられた。
また別の会社のホワイトボードには、年末年始の休みが書かれていた。

「いつまでですか?」
「仕事始めはいつから?」

そんな挨拶が飛び交いはじめ、いよいよ年末モードがこの町にも漂ってきた。
正月休みに帰ってくる子どもや親戚を迎える準備が活発になり、スーパーも賑わいを見せる。
慌しくもあるのだが、この町に数少ない「活気」ある季節を迎えることになる。

あっそう言えば、名古屋に住んでいる同級生から電話があったのだった。

「年末帰るから飲みにいこう」

地元の同級生に電話するのを忘れていた。マズい、今から連絡。

思い出したこと

2007-12-18 18:44:33 | 出来事
昨日「死」について書いたが、その後遠い昔の事を思い出した。

以前に書いたかもしれないが、小学生の頃、「死」というものについて深く考えた時期があった。

夜眠る頃になるとついつい考えてしまうのだ。
昼間はそんな事を考える暇もなく遊んでいるのだが、夜布団に入って天井を見ていると、

「人は絶対死ぬのだろうか?ばあちゃんやじいちゃんも本当に死んでいなくなるのだろうか?」
「死ぬことが分かっているのに、人はなぜ生れてくるのだろう」
「人は死んでしまうとどこに行くのだろう」
「死んだ後も家族や友達を見ることは出来るのだろうか」

そんなことを繰り返し思っていた。そして家族にもそのことを質問するのである。
そんなわが子を心配した母親が、何かの用で家に来た和尚さんに話したところ、

「ははは、誰でもそんなことを考える時期があるものです。まあお宅のお子さんの年では多少早めではありますが、心配ありませんよ」

隣の部屋で笑いながら話している和尚さんの話を聞いて、ほっとしたのを憶えている。

死との向き合い方

2007-12-17 17:09:43 | Weblog
今日の日経新聞の記事より。

「日本の医療に欠けたもの」というタイトルで、作家の石川好(いしかわよしみ)さんのインタビューが掲載されていた。
そこには、今の日本の医療が抱える問題を、自身がインドで受けた治療体験をもとに鋭い意見を語っていた。

石川さんは三年ほど前に血行障害とリウマチを併発し、国内の病院を転々としたが一向に良くならず、インド人の友人の手配でインドで治療を受けた。
そして劇的に改善、インド医療の実力を知る。その医療水準の高さに驚いた石川さんは、その原因を探った。

そこにあるのは「死との向き合い方」。

インドでは「死」が日常的で、当然、病院の中にも「死」はたくさんある。
手術を受けたり治療を受けたりするなかでの死は時にしかたのないものと考えられているところがあるのだという。
そんななかで、医師は尊い経験をたくさん積み、着実にレベルを上げていくとこが出来ると感じたのだと言う。

対して日本は「死」を日常から見えないところに追いやり、最も忌まわしいものと蓋をしてしまう。
病院での「死」は糾弾の対象ですらある。そんななかでの医療は萎縮し、新たな技術にチャレンジできない。と続く。
死が背中合わせだと生きることについて深く考えるようになり、医師は患者によく語りかける。医師と患者の強い信頼関係をインドで感じた石川さんは、日本の医療の将来を憂いているように思えた。

誤解を受ける点もあるかと思うが、決して命を軽んじて、「しかたない」で済まそうとしているわけではない。患者をモルモットにしようとしているのではない。
ただ「死」という、誰もが到達する現実を認識して、共に病気と闘う姿勢が必要であると石川さんは言いたいのではないだろうか。

おじちゃん

2007-12-16 19:07:36 | 出来事
今日は遠方の親戚の葬儀に出席するため朝から出かけた。

移動に要した時間は往復4時間。
そしてその家から葬儀をする会館まで30分、ほとんど1日車に乗っていた気がする。
準備の為早く起きたのだが、昨日寝たのが午前2時半。かなりしんどかった。さすがにキツかった。

亡くなったのは伯父(父親の姉の夫)で、一昨年奥さん(父親の姉)が亡くなった時に、私の顔を見て涙を流しがら話していたのを思い出した。
私の結婚式のときには親族を代表して挨拶してくれたおじちゃん。
今でもビデオの中のおじちゃんは元気にマイクを握っている。

沢山の子供や孫、そして曾孫に見守られて、おじちゃんもおばちゃんの元へ旅立った。
またそっちでおばちゃんと仲良く暮らしてください。

合掌。

読書のススメ

2007-12-15 08:32:57 | 読書
本の中に発見が1行でもあればいい。

年間200冊を読破するという「ライブレボリューション」社長の増永寛之さんは、5年前まで、教科書以外、まともに読んだ本はなかったらしい。
「うんうん」と共感を覚えながら日経新聞プラス1の特集を読み進めた。

本の中に新しい発見があれば、赤ペンで線を引き、その文章とページ、著者名、タイトルを日記に転記する。
日記はメールで書き、自分あてに送る。とある。
アウトプットを前提に読書をしている。という増永さんの読書方法は目的がしっかりしているので効果は当然だ。
ここが私と違うところだ。本を読んでいて少なからずともいいフレーズが飛び込んでくるのだが、メモをとったり赤線を引くことはない。貧乏症が災いするのだ。(笑)

今日も新聞の記事に励まされ、気付かされた。よし、来年も本を読もう。

自転車

2007-12-14 17:30:43 | Weblog
サルのお尻?

僕らが小学生の頃、画期的な自転車が販売された。
なんと自動車のように右折左折時にウィンカーが光るのである。それも綺麗に流れるように。
「光っているのはサルのお尻?」そんな感じのCMが流れていた気がする。
先輩が親に買ってもらったと自慢げに乗り回す姿を、友人と指を咥えながら眺めていた。

「おおあんたの自転車、霧消しまで付いとるんかい」

霧消しとはフォグランプの事で、次々とバージョンアップされる自転車は、同級生が買い始める頃にはさらに高級化されていくのである。
果たして私が選んだ自転車は割とシンプルなヤツ。選んだというか親戚に自転車屋を営んでいるところがあり、選択の余地はあまり無かった記憶がある。
当然ウィンカーも霧消しも付いていなかった。
それでも嬉しくて嬉しくて、友達と遅くまでライトを点けて走り回したのだった。

最近妻が健康の為などと言いながら自転車で活動している。
その行動範囲はどんどん広域化している。
小遣いを貯めて買おうかな自転車。

四分の一の貯金法

2007-12-13 19:23:16 | 言の葉
今日の日経新聞、「運用のキーワード」によると、
日比谷公園の設計をした本田静六博士は、著書「私の財産告白」の中で、

貯金=通常収入×1/4+臨時収入×10/10

と、こんな数式で表したという。
月給などの四分の一と賞与などを貯金に回し、発生した利子は通常収入として四分の一を貯金に残すのだと言う。
これは単なる倹約ではなく、投資を始めるための「雪だるまの芯」を作る意味合いが強いと書いてある。

なるほど、先日読んだ「金持ちの床屋さん」を上回る投資への大きな扉だ。
こういうことを教えてもらう機会や場所がない。いや探せばあるのだが、ほとんどの人はそれを知らない。そして投資=投機と勘違いしている人が大変多い。
リスク無きにリターンあらずだが、先日も書いた「時間」「分散」「複利」が強い味方となる。さしずめ「助さん」「格さん」「八兵衛」(強い味方か?)か。
ヨシッ、来年はFP黄門として皆の手本となるべく長期投資を積極的にやってみるか。

さらに本田博士の「おカネ」訓

金もうけは理屈ではなくて、実際である。
計画ではなくて努力である。
予算でなくて結果である。

うーん、ありがたい「言の葉」ゲット。

今年の漢字

2007-12-12 22:18:06 | 出来事
今年の漢字が決まった。

日本漢字能力検定協会(京都市)が募集する「今年の漢字」が発表された。

「偽」

なんとも情けない象徴となってしまったものだ。
食品偽装事件や防衛省汚職など、後半の事件が印象深いのは止むを得ないが、それほど明るいニュースがなかった1年でもあるのか。

ちなみに過去10年の漢字は、

1997年 「倒」
1998年 「毒」
1999年 「未」
2000年 「金」
2001年 「戦」
2002年 「帰」
2003年 「虎」
2004年 「災」
2005年 「愛」
2006年 「命」

歴代の漢字の中でもかなり情けない印象だ。