言の葉収集

思ったこと、感じたこと、出逢ったこと
いろいろ気ままに書きたいと思っています。

睨んだとおり

2006-11-20 21:29:40 | 出来事
先日ブログに書いた「ALWAYS 三丁目の夕日」の続編がやっぱり制作されるらしい。丁度1年後の今頃封切りだそうで、今から楽しみだ。

前回とほとんど同じキャストで、同じ物語の4ヵ月後を描くという。
今回も懐かしい昭和が鮮やかに蘇る。

メディアに携わる方々は、こんな優しく暖かい物語をもっとたくさん作ってくれないだろうか。
そんな環境が社会を包み込み、今叫ばれている多くの事件や問題を少なくするのではないだろうか。
特に「命」の意味については、現在非常に危険な状態であると思う。
毎日のようにサスペンスドラマで人が何人も殺され、何人も人が殺人を犯す。
フィクションとは言え、命をあまりにも軽く表現している。かなり前になるが、子供達が真似て首吊りをして本当に命を落とした痛ましい事件があった。
テレビでは昨日殺された役の人が、今日は笑ってテレビに出ていることが、幼い子供らに誤解を植えつけているというのは考えすぎか。

命を大切に大事に扱い、一人の人が亡くなることがこんなにも重く悲しいことだという表現を伝えてほしい。

1度落とした命は2度と戻らない。
命にリセットボタンはないのである。

人を動かすコトバ

2006-11-19 20:39:51 | 言の葉
コトバは親子孫、3代の影響が出る。

中谷彰宏さんの人を動かすコトバの一説だ。
コトバには生い立ちが関係する。親とどういうコトバのキャッチボールをやっているかで、かなり決まってくるという。
さらにその親の影響はその親からきているので、つまり3代ぐらいの影響が出てくる。
もっと言うなら、ふだん誰と話しているかでコトバは決まってくると結ぶ。

その通りだと思う。つまり周りの人がマイナスな事ばかり言う人だと、自分もそんな口調になっていく。
プラス思考の人と話していると、自然に自分のコトバもそれを真似ているのが分かる。
コトバが変われば考えも変わる。逆だと思いがちだがコトバが脳を変えていく。コトバには魂があり、それは自分の意思をも支配する。
中谷彰宏さんの本を真似て、あえてコトバとカタカナで書いた。

これは違う人の本だが、以前読んだ本にこんな事が書いてあった。

「方言は大切にしないとね。だってその訛りは大好きな父母、そして友達の使っている言葉だもん。」

おばあちゃんの話

2006-11-18 19:15:06 | 言の葉
本日は、車で45分ほどのお客様のところへうかがった。
小さな漁師町で、その方は一人で暮らしている。もう70才は超えておられると思うのだが、非常に元気なおばあさんだ。一人で暮らしていると言っても、同じ町のすぐ近くに娘さん夫婦が暮らしており、重宝しているといつも笑って話してくれる。

今日はいろんな話をしてくれた。
「私はな5人子供がおるんさ。そこに住んでいる娘以外はみんな他所におってな、子供たちみんな良くしてくれる。嫁もいい嫁ばかりでな、私は幸せもんじゃい。」
「早くに亡くなったお父ちゃんは損じゃ、こんなに良くして貰えるのに。生きとる私はホンマ幸せやで。」

独特の訛りでおばあちゃんの嬉しい話は続く。
「大阪にいる婿さんもな、この町が好きでしょっちゅう来てくれるんさ。大事にしてもらってます。」
「名古屋の嫁さんはな、週に1度は電話をかけてくれて、寒くなったけど風邪は引いてないか、身体壊してないか、ちゅうてな。」

聞いているこっちも嬉しくなってきた。
そしてこんな子育ての話もしてくれた。
「私はな、どの子供にも車なんか買ってやらんかった。みんな自分で自分のお金で買いよった。そやから大事に乗っとたわい。家にお金が無かったんじゃないで。それが子供たちの為なんや。」

いい話を沢山してもらった。おばあちゃん、ありがとう。
「親が甘やかしてくれたことを、大人になって感謝するこどもはいない」
そんなフレーズを思い出した、のどかな漁師町の朝の風景。

ブログをやめる理由。

2006-11-17 21:14:30 | Weblog
インターネットニュースから。

インターネットコム と gooリサーチ が行った調査によると、Blog 作成経験が「ある」と答えた人は全体の41.50%(432人)。このうち133人はすでに Blog をやめている。その理由を尋ねたところ、89人が「更新が面倒になったから」と回答した。

昨年の12月中旬からブログを始めて約11ヶ月。正月の2日間以外は毎日更新している。
更新といっても大したことは書いていないのだが…。
「今日は書くのをやめようか」「何も無い、どうしよう」とか挫折しそうになるのだが、自分の性格はよく知っている。一度そうしてしまうと、もう書くのが億劫になってしまい、結局ほとんど書かなくなってしまう。だからとにかく毎日何か書こうと頑張っているのだが、やめた人の気持ちは痛いほど分かる。
来年は週2.3日程度で更新するかと思いつつも、そうしてしまうと多分続かない気がするし…。
まあ、なんとか頑張ってみることにする。毎回チェックしてくれているありがたい方もみえる事だし。ああ今日もネタを上手くごまかした(笑)。

風邪のパターン

2006-11-16 20:50:19 | Weblog
本日、日中はとても暖かくてワイシャツ1枚で過ごしていたのだが、さすがに夜は冷え込んできた。
先日引っ張り出したフリースも活躍。それでも暖かい11月である。

その11月ももう半ば、これからは風邪を引かぬよう気を引き締めていかなければならない。
のどが弱く、風邪を引きやすい性質なのでこの季節は本当にいやだ。口の奥と鼻の間あたりがイガイガしてくると危険信号。
あの感じがたまらなく不快である。これから見舞われる風邪の症状を予感させるあの信号。気分が滅入り集中力も極端に下降する。翌日になると悪魔は完全に鼻に移行し、抑制できない鼻水を伴い頭がボーッとしてくるのだ。それでも初日のイガイガ感よりはマシである。それが2日ほど続くと、その翌日は順調であれば鼻水が鼻づまりに変わり痰も出始める。これが風邪の終焉を伝えるサインである。
などと自分の風邪のパターンを書いていたらなんだか気のせいか寒気が…。
危ない危ない。早く寝ることにする。

足は長いほうじゃないけれど…

2006-11-15 21:02:57 | 言の葉
今日は昼前から同業の友人と津へと向かう。取引先が主催するセミナーに出席する為だ。
仕事も一杯一杯で、最後まで出席をためらっていたのだが結局参加することに。

2部構成となっており、1部は核となる商品の内容や今後の動向、そして好取組事例などを伺った。大変参考になる部分があり、これだけでも出席した価値があるというものだ。
我々を取り巻く環境は目まぐるしく変化している。どの業界にも言える事なのかも知れないが…。

そして2部は、あしなが育英会の方の話。
この組織のことは聞いていたが、詳しくは知らなかったため、誤解していた部分もあった。

1967年に家族を交通事故で亡くした2人が出会い初の街頭募金を行なったのが始まりだそうで、後に交通遺児育英会が発足する。
その後1979年に名も告げずそっとお金を贈る「あしながさん寄付制度」が始まる。
驚いたのは、その交通遺児たちが恩返しとして「災害遺児育英募金」を行い、そして今度はその災害遺児が恩返しとして「病気遺児育英募金」を始めたのだ。
最大の誤解は、遺児となった彼らが、お金を貰っているのではなく返しているということ。
実際に小学校2年生の時に父親をガンで失った女子大生の方の話に会場は水を打ったように静まり返った。
時折こらえきれずに言葉を震わす彼女の話に、深く考えさせられることがあった。有意義な1日であったことは言うまでもない。

最後に、自身も遺児である関係者の方がこんな事を言ってみえた。

「生意気を言うようですが、私達はただお金を下さいと言っているのではないのです。この現状を理解していただきたいのです。彼らは一生懸命生きています。」

「肩を貸してください。」

永井豪の漫画

2006-11-14 20:37:45 | Weblog
もう30年くらい前になるだろうか、永井豪の短編漫画でこんなのがあった。

ある日突然大人たちが子供に対して殺意を抱くようになる。すべての子供が大人たちから逃げ惑う。
最後まで原因は不明だったのだが、とにかく怖い漫画だったということは今も覚えている。
下水道の中に逃げた子供達の中に主人公である少年もいた。
そして少年はやっとの思いで家にたどり着く。そこには夕食の支度をしている大好きなお母さんがいた。
「お母さん」少年は泣きながらお母さんに抱きつくのだが、お母さんもその持っていた包丁で…。

当時その漫画はとてもショッキングで、日常ではありえない恐怖をなぜか明るいタッチで描いていたのが印象的だった。
そうSFだったのだ。想像の中でしかありえないからこそ「漫画」だった。

今はどうだろう、もしあの漫画を今の子供達が見ても驚かないのかもしれない。恐怖を感じないのかもしれない。
親が自分の子供を殺めるといった、狂気の事件が毎日のように流れている。
本当にこの国はどうにかなってしまったのだろうか。あの漫画はこんな未来を予想していたのだろうか。

「原因はかわからないが、きっと大人と子供の絆が切れてしまったんだ。」

確か主人公がそんな台詞を言っていた。
もう30年くらい前の漫画だから記憶は定かではないが…。

pria

2006-11-13 19:38:18 | Weblog
priaというサービスがあることを知った。
オンラインで写真のプリントが注文できるのだが。月30枚×2回までという制限はつくものの、これが全て無料という信じられないようなサービスだ。この仕掛けとは…。

種明かしは簡単で、写真に企業のロゴやコマーシャルが付いているのだ。
だからプリント代は実質提携している企業が負担していることになる。別に気にならない人には全然問題ないわけで、なかなか嬉しいサービスだ。
まだ私自身登録はしていないのだが、今後検討したいサービスである。

それにしても最近は、ドラマやバラエティ、スポーツ中継など、スポンサーになったところで、視聴者は録画した番組のコマーシャルを容赦なくスキップする。
これはスポンサーである企業にとって非常に残念なというか残酷な結果である。
それよりもこのpriaのようなところで宣伝した方が得策なのかもしれない。

おきん茶屋

2006-11-12 21:34:04 | 出来事
本日も昨日に続き鈴鹿へ。と言っても今日はプライベートで。
出発する時から風が強く小雨も降っていたのだが、道中もかなり厳しい天候。
高速ではハンドルを取られそうになるし、時雨がフロントガラスに何度も当たる。
そんな天気なので、いくつもの虹を見ることができた。
中には丁度高速に架かっているようなのもあり、そのアーチをくぐる時には少し嬉しかったりして。

帰りにおきん茶屋で夕食。
女将さんが人懐っこく話しかけてくれた。

「どこの帰りですかな」
「鈴鹿の帰りなんです」
「そうですか、雪はどうでした?」
「えっ雪?」
「はあ、さっき寄って下さったお客さんがな、御在所の帰りだ言うて、山の上は雪が積もっとったらしいですわ」
「そうなんですか、鈴鹿は大丈夫でした」
「ほうですか、ほんとに急に寒なりましたな」

そうやって柔らかい伊勢弁で話してくれた。

美味しく夕食を頂いて勘定を頼むと、若い店主が大きなソロバンを手にテーブルに来てくれて皿を数える。これもここの名物だ。
ここは歴史のある茶屋だそうで創業は天保3年だという。当時の店の人達もこうやって旅人に優しく話しかけていたのだろうか。

またしても雷。

2006-11-11 10:03:12 | 出来事
昨日も夜中に雷が鳴り、安眠妨害をされ寝不足だ。
しかしそれにしても、どうしたものかこの時期にこの雷。これも異常気象のひとつなのか?。

今年の雷は本当に性質が悪い。一度鳴り始めるとしつこくて、昨日も1時間以上すごい音がしていた。
只今朝10時。現在は雨も上がっているが、どんよりとしたいやな天気だ。

午後は仕事で鈴鹿へと向かう。先ほど大紀町の方から電話があって、向こうも荒れ模様だという。道中大丈夫だろうか…。