昨日「死」について書いたが、その後遠い昔の事を思い出した。
以前に書いたかもしれないが、小学生の頃、「死」というものについて深く考えた時期があった。
夜眠る頃になるとついつい考えてしまうのだ。
昼間はそんな事を考える暇もなく遊んでいるのだが、夜布団に入って天井を見ていると、
「人は絶対死ぬのだろうか?ばあちゃんやじいちゃんも本当に死んでいなくなるのだろうか?」
「死ぬことが分かっているのに、人はなぜ生れてくるのだろう」
「人は死んでしまうとどこに行くのだろう」
「死んだ後も家族や友達を見ることは出来るのだろうか」
そんなことを繰り返し思っていた。そして家族にもそのことを質問するのである。
そんなわが子を心配した母親が、何かの用で家に来た和尚さんに話したところ、
「ははは、誰でもそんなことを考える時期があるものです。まあお宅のお子さんの年では多少早めではありますが、心配ありませんよ」
隣の部屋で笑いながら話している和尚さんの話を聞いて、ほっとしたのを憶えている。
以前に書いたかもしれないが、小学生の頃、「死」というものについて深く考えた時期があった。
夜眠る頃になるとついつい考えてしまうのだ。
昼間はそんな事を考える暇もなく遊んでいるのだが、夜布団に入って天井を見ていると、
「人は絶対死ぬのだろうか?ばあちゃんやじいちゃんも本当に死んでいなくなるのだろうか?」
「死ぬことが分かっているのに、人はなぜ生れてくるのだろう」
「人は死んでしまうとどこに行くのだろう」
「死んだ後も家族や友達を見ることは出来るのだろうか」
そんなことを繰り返し思っていた。そして家族にもそのことを質問するのである。
そんなわが子を心配した母親が、何かの用で家に来た和尚さんに話したところ、
「ははは、誰でもそんなことを考える時期があるものです。まあお宅のお子さんの年では多少早めではありますが、心配ありませんよ」
隣の部屋で笑いながら話している和尚さんの話を聞いて、ほっとしたのを憶えている。
というか、この年頃になれば誰もが一度は考えた方が
良いのではと思います。
生まれた瞬間に確約される死、誰もが"絶対"なのですから。
"死"を見つめるということは"生"を見つめるこになります。
生と死は切り離して考えることではできないから・・・
"今をどう生きよう"につながれば良いのかな?
な~んてネ ガハハ
BATTAさんの場合、和尚さんの言われたとおり
すこし早すぎたのかな~
それとも、本物の坊さんになれば良かったのかもヨ~
"死"を見つめるということは"生"を見つめること。
いやあ名言です。仰るとおりです。
そうなんですよね、「死」は誰にも必ず訪れる「絶対」ですから、「生」が重要な意味を持つのでしょう。それは哀しみに向かって歩いているのではないのですよね。まさに「今を生きる」ことの大切さを噛締めております。ありがたいお言葉ありがとうございます。