その代わりと言っては何だが、壁を隔てた表の庭では小さな薔薇が花をつけてきた。
随分前に娘が買ってきた一輪から、今では100ほどの花が咲く。
妻が花好きなので、手入れを怠らないせいか、庭ではその時々の花が季節を演出してくれている。
元来花にはまったくと言っていいほど興味もなく、名前すら知っているのはひまわりと薔薇くらいだった。
でも最近は、ブログのネタに使ったり、また写真に撮ったりするので妻に花の名前をよく尋ねるようになった。
何度も同じ花の名を聞いたりするので呆れられているのだが…。
花はどうして綺麗なのか、どうして色彩豊かに見る人を魅了するのだろう。ふと考えた。
いや、それは人の為にではない。
虫や鳥に見つけてもらいやすいように、鮮やかな色と香りで存在感を訴えている。
それは花自身の子孫を遺すための生きる術に他ならないのではないか。
「ヒト」は花が発するその「生としての美」のおこぼれを授かっているに過ぎない。
だから人は花の生き方を見ているのである。
なんて連休最後の日におかしなことを考えた中年であった。
「花の中、無心に動く蜂の羽」
薔薇の写真て確か去年もアップしたような気がする…。
ま、いいか。
随分前に娘が買ってきた一輪から、今では100ほどの花が咲く。
妻が花好きなので、手入れを怠らないせいか、庭ではその時々の花が季節を演出してくれている。
元来花にはまったくと言っていいほど興味もなく、名前すら知っているのはひまわりと薔薇くらいだった。
でも最近は、ブログのネタに使ったり、また写真に撮ったりするので妻に花の名前をよく尋ねるようになった。
何度も同じ花の名を聞いたりするので呆れられているのだが…。
花はどうして綺麗なのか、どうして色彩豊かに見る人を魅了するのだろう。ふと考えた。
いや、それは人の為にではない。
虫や鳥に見つけてもらいやすいように、鮮やかな色と香りで存在感を訴えている。
それは花自身の子孫を遺すための生きる術に他ならないのではないか。
「ヒト」は花が発するその「生としての美」のおこぼれを授かっているに過ぎない。
だから人は花の生き方を見ているのである。
なんて連休最後の日におかしなことを考えた中年であった。
「花の中、無心に動く蜂の羽」
薔薇の写真て確か去年もアップしたような気がする…。
ま、いいか。