言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

若狭-小浜(4)

2006年11月23日 | Weblog
 小浜の平野部を東に望み、最初に城と言うほどのものが築かれたのは後瀬(のちせ)山で、南北に連なる峰峰を繋いだ山城であった。西から攻められることの懼れがないという要害で典型的な中世期の城であったようである。
 それが徳川氏の天下に帰趨すること確実になった慶長6年(1601)に、京極高次が北川と南川の合流して砂州を為すところである雲浜(うんぴん)に平城を築城したものが、そのまま江戸期を通じての城下を形成する基準となった。城の東に家臣団の屋敷町、西に町人の町や寺社は今に残る町の形である。
 城の主は、寛永11年(1634)に酒井忠勝(さかいただかつ)に変わり、酒井氏の支配が続いたが、築城と普請による漁民・農民の凄惨な苦労と明治維新時の慌てふためく顛末は後日触れて見ようとは思っている。
 百姓過酷(ひゃくせいかこく)と言うのは時代変われども、何時の世も犠牲を多数の民にもたらすという点では変わりないものである。