佐賀大学学生まちづくり広場「ばるん」

佐賀大学生が『街』開拓の原動力者として長期的、短期的スパンで実現可能な「街の活性化」策を考え出し、実現していく団体。

ないものねだりより、自分にあるもの探せ!

2008-10-20 00:22:23 | Weblog
皆さん、こんにちは。
佐賀大学の西山です。

久しぶりのブログ投稿になります。

自分にも○○があったらいいのになあ。
などという他人にあって自分にないものを悔しがる性格の方
多いですよね。それは非常に日本人らしい考え方のような気がするのです。

例えば、裕福だったらいいのになあ。
(逆の発想:貧乏の方が苦労した分、他の人の痛みがわかるよ)
宝くじ当たったらいいのになあ。
(宝くじ当たって、そのお金に目をつけられて隠れて生活、大変だよ)
もっとカッコよかったら、もっと美人だったらいいのにな。
(モテまくっても、多くの告白を断わる勇気がいるで。意外と大変やろ)

いい面があれば、考えによっては悪い面もある。
一面だけで判断するのは、危険なことだ。

「オンリーワン」精神で、一生懸命生きとけばいいことある。
努力しても難しいことを願うより、努力してできることの方を頑張ったほうが
短い人生考えたら得だと自分は思う。

ないものねだって、得することはない。
仕事一筋一生懸命頑張っているのに、お金ないのであれば、それでええやん。
そっちの方が自分は断然カッコいいと思う。

お金なくても、生きるために必死になること。
子どもを成長させるために、ない金を振り絞って頑張ってくれている親の姿勢。
こういう姿勢があったからこそ、自分の今の人生があると思う。

子どもにとっては親のあり方、親の生き方って、絶大な影響を与えるんだろうなってつくづく思う。そして自分の親は決して間違っていない賢明な父と母だと思う。

そういう親への尊敬の心が今欠如していると言われる。
親は子どもに最大限の愛情をかけてあげたいのだと思う。

でも今の多くの家庭での愛情はお金と金品など、
「ムチなしのアメだけ」になっている。

けれども、子どもにとっての本当の愛情は、
お金とか金品とか財産とかでは表されないものだと信じている。
それは家庭という大切な倉庫で、ずっとずっと温められていく固い絆と懸命な姿。

どうにも金銭的にも厳しい現実の中でも、
子どもにはその厳しさをわからせないようにと
必死にもがき、時には夫婦喧嘩にいたりながらも、子どもの将来と家庭のために
懸命に働く親の姿。おそらく子どもには、すでにわかりえるだろうが、子どもにだけはつらい想いをさせたくない、という何にも変えがたい想いだと思う。

自分の家は父がコンピューター会社の社長で、バブル崩壊後から急激に業績が落ちていた。ときおり見せる父親の悔しそうな表情と酒で事を紛らわしてソファーで横になりいびきをかきだす父の姿が、今でも鮮明に残っている。
高校生のときの自分には、父の痛みがわかっていたつもりであったが、それでもせめてしまっていた自分がいた。こうしたらもっといいかもよ。

はっきり言って、今になってわかることだが、
何も経営のノウハウもわかっていず、父の営業の現場と現実も全く見ていない
自分の息子にそんなこと注意されたくはなかっただろう。
またアドバイスなんて言われる筋合いはないといっても過言ではない。
でも怒ることもなく、寝ながら耳を済まして聞いてくれていた。
ありがたがった。一生、そんな父が忘れられない。

自分が大学受験するとき、父は「関西や関東の私立でもいいよ」っていってれた。
母は「私立はお金がないから、国立にしなさい」と現実的な話をした。
結局、自分は色々と考えた末、国立しか受けなかった。

このあとも一生懸命働いて、営業周りなどを行っていたようだけれど
あるときバブル崩壊の危機に苦しみながら、会社は破産に追い込まれた。
私が大学1年の夏だっただろうか。
もともと裕福ではなかったけど更に貧乏な家庭に近づいた。
でも、そっちの方がいいと思っている。

大学1年生冬には、正式に会社の破産が決定した。
結果としては、母と自分の選択は正しかった。
でも、父の一言は一生忘れられない。

父の自分の子どもには、一番行きたいと思っているところに
行って欲しい。その想いが胸に染み入るほど嬉しかった。

父に代わって今は母が働いているけど、大学通わせてくれてもらえるだけ
大変ありがたいことだと今でも本当に感謝している。

そして夫婦にはバランスというものがいかに大切かということも学んだ。
父は理想・冒険主義で、お金は使う主義。冒険となればリスクも伴う。
母は質素倹約主義で、現実的な判断をする。現実すぎて先への投資ができにくい。

2人がいるから、家族が上手くいく。
そう教えてくれた。貧乏世話なしとは、まさにうちの家庭のことだろう。

父の会社の倒産があって、自分金融関係の仕事への興味は増大した。
今でも父の会社のように今日、明日にでも潰れそうな危機的な経営を行っている
ところだって多いだろう。
本当は父の会社の跡を継ごうという決意のもと、経済を選んだのだが
今では破産してないため、信頼関係の上に実践的かつ金銭面での支援ができる金融機関に就職して、父の会社のように、全国に五万とある中小・零細企業を支えていく仕事がしたいとと誓った。
この中小零細企業は多くの日本全国の家庭を支えている大事な職場だ。
この職場を縁の下の力持ちとして守り続け、多くの家庭の生活を守ることで、強いては、次世代の子どもの成長エネルギーを送る原動力が培われる。

このような想いで、今の金融機関に決めた。
父と母は、ないものねだりはしない。
現実を直視して、伝えるべきことを
しっかりと自分伝えてくれた、愛情ある家庭だと信じている。

また将来、年金などが入ってくるようになれば、
父母揃って地域のボランティア活動に参加できる日も近くなる。
そうなる日を心より願ってやまない。

うちはお金ははっきりいってない。
けれど、うちには溢れんばかりの温かい想いがある。
それが自分の最大の自慢だ。



今日はこの辺で。。。

『便利進化論』~技術開発はどこまで進むのか~

2008-10-04 12:45:55 | Weblog
皆さん、こんにちは。
佐賀大学の西山です。

最近、金融業界や保険業界は再編の動きが相次ぎ
サブプライムローンの影響が欧米日を中心とする
極端な体制変革を促しているように思えます。

まさかあの超大企業がこんなことに…という、
悪夢のような話が現実に起きています。

人間のアメリカンドリーム構想を実現したい
という心理行動が、結果的に私達に負の側面を顕にしただけでなく
このような世界的な企業の統合&合併を誘導する要因になったとは
まったく人間の心理行動が世界経済に与える影響の多大さを痛感しています。

このことから、確かに私達の生活は世界の巨大企業の影響下で
生活をやりくりさせて頂いている局面を持ちながらも
一方で、実は私達の生活や行動心理自体がすべて巨大企業に
フィードバックされており、仮にその影響が負の要素を持とうものなら
巨大企業をも経営破綻や他企業への買収に追い込まざる終えないことを
示唆していると思われます。

世界経済を動かしているGoogleは
ネット業界の牽引役としてヤフーとの部分統合を推し進めている
ようですが、今や巨大企業といえどもお互いの強みを発揮してシナジー効果
をあげるために統合することが選択肢として正しければ、それを実現するといった
一種のブレイク・ウォール(壁の破壊)を考えるようになりました。

しかし、そもそもそんなことを、本当にする必要があるのか?

私はそこにサービス業界の最大局面が眠っていると思います。
日本のサービス業というのも、ある意味もう十分なラインまで
来ていると思います。

私達の生活は、今の生活でも十分すぎるぐらい豊かになっていて、
もしこれ以上、科学的または技術の進化が要求されるのであれば、
何か失いたくない人間的な要素が完全に抜け落ちていくような危機感さえ
私は感じています。

「便利」ということは、ある意味「健康」を普段の生活から
排除することにもつながります。そして、その影響に備えるため
フィットネスクラブなどに行き、体力や筋肉を強化するなどと
他のところで「健康」をもう一度考えようとする。

何か本質が欠如したまま、本質を求めようとしているようです。

「便利さ」も行き過ぎると健康生活の悪循環に
陥りそうな感じも受けてしまう。

「便利さの上の便利さ」を追求するという考え方が
ビジネスで儲かる仕組みを構築する上では仕方のない行動
かもしれないけれど、「便利さの上の便利さ」を追求することで
他のビジネスがまた発達する可能性も秘めている。

だからこそ、アイディアさえあれば、
ベンチャー企業も伸びていけるということは真理だろう。
しかし、これは俯瞰的・客観的に見て、本当の意味での
生産的な行為であり、技術開発足りえるのだろうか。

はなはだ疑問を感じざる終えない。

私達は「カスタマーズ・ライト」や「利益中心主義」の精神に
則っているがゆえに、逆にお客さんを遠まわしに無駄な循環ルートを
歩かせているような気がする。

よく見る番組で、ビジネスサテライトという夜11時頃から
テレ東であっている番組があるが、その「トレンドたまご」という
企画で紹介されるアイディアは確かに発想が面白くなるほどと思うが
私達はなんとしても導入しないといけない商品や製品というわけではない。

あったらもっと便利!
だけど、本当に必要かな?
私達は便利さのトリコとなり、便利なものばかりに目がくらみ
躍らせられている、本質を考えない動物のようだ。

「お客様が求める隙間ビジネスを探せ!」が
ベンチャーの基本理念かもしれないが、今の生活に
不可欠というよりは、他の製品が生み出した欠落部分を補う
ための補完供給にすぎない。

「お客様にビジネスのために無駄なルートを歩かせるな!
健康面のためにきっちりとしたルートを歩いてもらおう!」

それの方が、故障がなく情報に振り回されず、健全な生活が
送れるのではないだろうか。

根本的には、技術開発には頼らない
各人の工夫が健全ルートづくりには必要不可欠だということを
消費者が常に考えないと無駄な買い物ばかりをしてしまって
企業の消費戦略ルートに乗せられ続けるだけだ。

それがないよう
日々を送りたいものだ。


今日はこの辺で。。。