皆さん、こんにちは。
佐賀大学の西山です。
久しぶりのブログ投稿になります。
自分にも○○があったらいいのになあ。
などという他人にあって自分にないものを悔しがる性格の方
多いですよね。それは非常に日本人らしい考え方のような気がするのです。
例えば、裕福だったらいいのになあ。
(逆の発想:貧乏の方が苦労した分、他の人の痛みがわかるよ)
宝くじ当たったらいいのになあ。
(宝くじ当たって、そのお金に目をつけられて隠れて生活、大変だよ)
もっとカッコよかったら、もっと美人だったらいいのにな。
(モテまくっても、多くの告白を断わる勇気がいるで。意外と大変やろ)
いい面があれば、考えによっては悪い面もある。
一面だけで判断するのは、危険なことだ。
「オンリーワン」精神で、一生懸命生きとけばいいことある。
努力しても難しいことを願うより、努力してできることの方を頑張ったほうが
短い人生考えたら得だと自分は思う。
ないものねだって、得することはない。
仕事一筋一生懸命頑張っているのに、お金ないのであれば、それでええやん。
そっちの方が自分は断然カッコいいと思う。
お金なくても、生きるために必死になること。
子どもを成長させるために、ない金を振り絞って頑張ってくれている親の姿勢。
こういう姿勢があったからこそ、自分の今の人生があると思う。
子どもにとっては親のあり方、親の生き方って、絶大な影響を与えるんだろうなってつくづく思う。そして自分の親は決して間違っていない賢明な父と母だと思う。
そういう親への尊敬の心が今欠如していると言われる。
親は子どもに最大限の愛情をかけてあげたいのだと思う。
でも今の多くの家庭での愛情はお金と金品など、
「ムチなしのアメだけ」になっている。
けれども、子どもにとっての本当の愛情は、
お金とか金品とか財産とかでは表されないものだと信じている。
それは家庭という大切な倉庫で、ずっとずっと温められていく固い絆と懸命な姿。
どうにも金銭的にも厳しい現実の中でも、
子どもにはその厳しさをわからせないようにと
必死にもがき、時には夫婦喧嘩にいたりながらも、子どもの将来と家庭のために
懸命に働く親の姿。おそらく子どもには、すでにわかりえるだろうが、子どもにだけはつらい想いをさせたくない、という何にも変えがたい想いだと思う。
自分の家は父がコンピューター会社の社長で、バブル崩壊後から急激に業績が落ちていた。ときおり見せる父親の悔しそうな表情と酒で事を紛らわしてソファーで横になりいびきをかきだす父の姿が、今でも鮮明に残っている。
高校生のときの自分には、父の痛みがわかっていたつもりであったが、それでもせめてしまっていた自分がいた。こうしたらもっといいかもよ。
はっきり言って、今になってわかることだが、
何も経営のノウハウもわかっていず、父の営業の現場と現実も全く見ていない
自分の息子にそんなこと注意されたくはなかっただろう。
またアドバイスなんて言われる筋合いはないといっても過言ではない。
でも怒ることもなく、寝ながら耳を済まして聞いてくれていた。
ありがたがった。一生、そんな父が忘れられない。
自分が大学受験するとき、父は「関西や関東の私立でもいいよ」っていってれた。
母は「私立はお金がないから、国立にしなさい」と現実的な話をした。
結局、自分は色々と考えた末、国立しか受けなかった。
このあとも一生懸命働いて、営業周りなどを行っていたようだけれど
あるときバブル崩壊の危機に苦しみながら、会社は破産に追い込まれた。
私が大学1年の夏だっただろうか。
もともと裕福ではなかったけど更に貧乏な家庭に近づいた。
でも、そっちの方がいいと思っている。
大学1年生冬には、正式に会社の破産が決定した。
結果としては、母と自分の選択は正しかった。
でも、父の一言は一生忘れられない。
父の自分の子どもには、一番行きたいと思っているところに
行って欲しい。その想いが胸に染み入るほど嬉しかった。
父に代わって今は母が働いているけど、大学通わせてくれてもらえるだけ
大変ありがたいことだと今でも本当に感謝している。
そして夫婦にはバランスというものがいかに大切かということも学んだ。
父は理想・冒険主義で、お金は使う主義。冒険となればリスクも伴う。
母は質素倹約主義で、現実的な判断をする。現実すぎて先への投資ができにくい。
2人がいるから、家族が上手くいく。
そう教えてくれた。貧乏世話なしとは、まさにうちの家庭のことだろう。
父の会社の倒産があって、自分金融関係の仕事への興味は増大した。
今でも父の会社のように今日、明日にでも潰れそうな危機的な経営を行っている
ところだって多いだろう。
本当は父の会社の跡を継ごうという決意のもと、経済を選んだのだが
今では破産してないため、信頼関係の上に実践的かつ金銭面での支援ができる金融機関に就職して、父の会社のように、全国に五万とある中小・零細企業を支えていく仕事がしたいとと誓った。
この中小零細企業は多くの日本全国の家庭を支えている大事な職場だ。
この職場を縁の下の力持ちとして守り続け、多くの家庭の生活を守ることで、強いては、次世代の子どもの成長エネルギーを送る原動力が培われる。
このような想いで、今の金融機関に決めた。
父と母は、ないものねだりはしない。
現実を直視して、伝えるべきことを
しっかりと自分伝えてくれた、愛情ある家庭だと信じている。
また将来、年金などが入ってくるようになれば、
父母揃って地域のボランティア活動に参加できる日も近くなる。
そうなる日を心より願ってやまない。
うちはお金ははっきりいってない。
けれど、うちには溢れんばかりの温かい想いがある。
それが自分の最大の自慢だ。
今日はこの辺で。。。
佐賀大学の西山です。
久しぶりのブログ投稿になります。
自分にも○○があったらいいのになあ。
などという他人にあって自分にないものを悔しがる性格の方
多いですよね。それは非常に日本人らしい考え方のような気がするのです。
例えば、裕福だったらいいのになあ。
(逆の発想:貧乏の方が苦労した分、他の人の痛みがわかるよ)
宝くじ当たったらいいのになあ。
(宝くじ当たって、そのお金に目をつけられて隠れて生活、大変だよ)
もっとカッコよかったら、もっと美人だったらいいのにな。
(モテまくっても、多くの告白を断わる勇気がいるで。意外と大変やろ)
いい面があれば、考えによっては悪い面もある。
一面だけで判断するのは、危険なことだ。
「オンリーワン」精神で、一生懸命生きとけばいいことある。
努力しても難しいことを願うより、努力してできることの方を頑張ったほうが
短い人生考えたら得だと自分は思う。
ないものねだって、得することはない。
仕事一筋一生懸命頑張っているのに、お金ないのであれば、それでええやん。
そっちの方が自分は断然カッコいいと思う。
お金なくても、生きるために必死になること。
子どもを成長させるために、ない金を振り絞って頑張ってくれている親の姿勢。
こういう姿勢があったからこそ、自分の今の人生があると思う。
子どもにとっては親のあり方、親の生き方って、絶大な影響を与えるんだろうなってつくづく思う。そして自分の親は決して間違っていない賢明な父と母だと思う。
そういう親への尊敬の心が今欠如していると言われる。
親は子どもに最大限の愛情をかけてあげたいのだと思う。
でも今の多くの家庭での愛情はお金と金品など、
「ムチなしのアメだけ」になっている。
けれども、子どもにとっての本当の愛情は、
お金とか金品とか財産とかでは表されないものだと信じている。
それは家庭という大切な倉庫で、ずっとずっと温められていく固い絆と懸命な姿。
どうにも金銭的にも厳しい現実の中でも、
子どもにはその厳しさをわからせないようにと
必死にもがき、時には夫婦喧嘩にいたりながらも、子どもの将来と家庭のために
懸命に働く親の姿。おそらく子どもには、すでにわかりえるだろうが、子どもにだけはつらい想いをさせたくない、という何にも変えがたい想いだと思う。
自分の家は父がコンピューター会社の社長で、バブル崩壊後から急激に業績が落ちていた。ときおり見せる父親の悔しそうな表情と酒で事を紛らわしてソファーで横になりいびきをかきだす父の姿が、今でも鮮明に残っている。
高校生のときの自分には、父の痛みがわかっていたつもりであったが、それでもせめてしまっていた自分がいた。こうしたらもっといいかもよ。
はっきり言って、今になってわかることだが、
何も経営のノウハウもわかっていず、父の営業の現場と現実も全く見ていない
自分の息子にそんなこと注意されたくはなかっただろう。
またアドバイスなんて言われる筋合いはないといっても過言ではない。
でも怒ることもなく、寝ながら耳を済まして聞いてくれていた。
ありがたがった。一生、そんな父が忘れられない。
自分が大学受験するとき、父は「関西や関東の私立でもいいよ」っていってれた。
母は「私立はお金がないから、国立にしなさい」と現実的な話をした。
結局、自分は色々と考えた末、国立しか受けなかった。
このあとも一生懸命働いて、営業周りなどを行っていたようだけれど
あるときバブル崩壊の危機に苦しみながら、会社は破産に追い込まれた。
私が大学1年の夏だっただろうか。
もともと裕福ではなかったけど更に貧乏な家庭に近づいた。
でも、そっちの方がいいと思っている。
大学1年生冬には、正式に会社の破産が決定した。
結果としては、母と自分の選択は正しかった。
でも、父の一言は一生忘れられない。
父の自分の子どもには、一番行きたいと思っているところに
行って欲しい。その想いが胸に染み入るほど嬉しかった。
父に代わって今は母が働いているけど、大学通わせてくれてもらえるだけ
大変ありがたいことだと今でも本当に感謝している。
そして夫婦にはバランスというものがいかに大切かということも学んだ。
父は理想・冒険主義で、お金は使う主義。冒険となればリスクも伴う。
母は質素倹約主義で、現実的な判断をする。現実すぎて先への投資ができにくい。
2人がいるから、家族が上手くいく。
そう教えてくれた。貧乏世話なしとは、まさにうちの家庭のことだろう。
父の会社の倒産があって、自分金融関係の仕事への興味は増大した。
今でも父の会社のように今日、明日にでも潰れそうな危機的な経営を行っている
ところだって多いだろう。
本当は父の会社の跡を継ごうという決意のもと、経済を選んだのだが
今では破産してないため、信頼関係の上に実践的かつ金銭面での支援ができる金融機関に就職して、父の会社のように、全国に五万とある中小・零細企業を支えていく仕事がしたいとと誓った。
この中小零細企業は多くの日本全国の家庭を支えている大事な職場だ。
この職場を縁の下の力持ちとして守り続け、多くの家庭の生活を守ることで、強いては、次世代の子どもの成長エネルギーを送る原動力が培われる。
このような想いで、今の金融機関に決めた。
父と母は、ないものねだりはしない。
現実を直視して、伝えるべきことを
しっかりと自分伝えてくれた、愛情ある家庭だと信じている。
また将来、年金などが入ってくるようになれば、
父母揃って地域のボランティア活動に参加できる日も近くなる。
そうなる日を心より願ってやまない。
うちはお金ははっきりいってない。
けれど、うちには溢れんばかりの温かい想いがある。
それが自分の最大の自慢だ。
今日はこの辺で。。。