『杉原千畝 スギハラチウネ』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。
(1)『イン・ザ・ヒーロー』で好演した唐沢寿明の主演作ということで、映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭は、昭和30年(1955年)の東京。外務省の一室。
外務省の関満(滝藤賢一)が、外国人(実はニシェリ:ミハウ・ジェラフスキ)の杉原との面会要請に対し、「センポ・スギハラですか。そのような者は、現在も過去にもおりません」と答えます。さらに、その外国人は、「何かの間違いでは?リトアニアで確かにあの人に会った。世界の何千という人が覚えている。再会する約束をして、この査証をくれました。センポが私たちに命をくれたのです」と粘るものの、関満は「お引き取りください」とにべもありません。
次いでタイトルが映し出され、副題として「Persona non grata」とあります(注2)。
そして画面は、昭和9年(1934年)の満州国に。
走る列車の中で、満州国外交部の杉原千畝(唐沢寿明)が食堂車を通って客室の中に逃げ込みます。
その後をピストルを持った男が追いかけてきて、杉原は捕まりそうになるところ、女(実は白系ロシア人のイリーナ:アグニェシュカ・グロホフスカ)がその男をビンで殴って杉原を救出します。
杉原は、「サンキュー、イリーナ」と言って、彼女が途中まで着かかっていたドレスの背中のボタンをとめます。
さらに、満州国ハルピン(注3)で。
杉原と関東軍将校の南川(塚本高史)が話しています。
南川が「あなたほどソ連に精通している人はいない。素晴らしい情報ですな。ただ、あなた方外交官はいつも平和主義だが、男子たるもの戦わねばならないのだ」と言います。
南川が立ち去った後、現れたイリーナが「なぜあんなやつと?」と尋ねると、杉原は「確実な方法をとった。利用するだけだ」「それにしても、なんとかしてモスクワに行きたいものだ」と答えます。それに対して、イリーナは、「ロシアは消えてしまった。戻る事はできない。私はもう必要ない。今夜が最後よ」と言います。
その夜、鉄道の操車場の近くで潜んで事態の推移を見守る杉原。
さあ、一体何が起こるのでしょうか、杉原がこれからどんな役割をはたすことになるのでしょうか、………?
本作は、ユダヤ人救出に助力した外交官として知られる杉原千畝の半生を映画化したものですが、第2次世界大戦の複雑な動きの中で描き出さざるをえないため、どうしてもそちらの説明に時間をとられてしまい、杉原の動きとなると、通り一遍で表面的なものになってしまっているきらいがあります。もっと杉原本人の行動に寄り添った形で描いた方が面白いものが出来上がったのでは、と残念に思いました(注4)。
(2)本作の主人公の杉原千畝がユダヤ人救出劇で成し遂げた功績については、昨年の夏に来日して安倍総理と面会したシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)の名誉理事長レオ・メラメド氏が、救出されたユダヤ人の一人だったことからも(注5)、決して過去のものではないことがわかります。
また、杉原のヴィザ発給について、日本政府が完全にNOと言ったわけではないという指摘がなされていますが(注6)、反論もなされていて(注7)、「どうして政府の許可を待たずに独断でユダヤ難民にヴィザを発行し続けなければならなかったか」(注8)を解き明かそうとする本作の立場も十分にありうるものと思います(注9)。
とはいえ、問題点もあるように思われます。
本作は、タイトルこそ「杉原千畝」とされていますが、彼自身については、総じて表面的なところにとどまる描き方がされているような感じを受けます。
例えば、本作では、本省との電報のやり取りは1回だけ描かれていたように思いますし、ヴィザ発給も淡々と行われたように見えます(注10)。
とはいえ、ヴィザ発給に関する本省とのやり取りは本作における一つの要といえますから、もう少し味付けがあっても良かったのではないでしょうか(注11)?
また、上記(1)で触れた昭和9年のエピソードですが、杉原が危ない橋を渡っている様子がヴィヴィドに描き出されていて、映画の出だしとしては悪くないように思います。
ただ、問題の夜にソ連兵らの行動を見て、杉原が「彼らは機関車を盗んで、それを鉄屑にして再度日本に売る気だ」と言ったり、突然、南川が率いる関東軍が登場してソ連兵らを撃ち殺したりするものの、それがどんな意味を持っているのか、映画からではよく理解できませんでした(注12)。
さらに、最初の結婚については一切触れられていません(注13)。
それに、「満洲時代の蓄えは、離婚の際に前妻とその一族に渡したため」、千畝は「無一文にな」り、幸子との再婚後の「赤貧の杉原夫妻は、結婚式を挙げるどころか、記念写真一枚撮る余裕さえなかった」とされています(注14)。
ですが、映画からそんな様子は微塵も感じ取ることは出来ません。
むしろ、小雪が演じる妻・幸子は、日本人妻としてかなり類型的で非個性的に描かれているように思いました。
素人考えながら、本作が、早稲田大学を中退してハルピン学院に入学した辺りから描き始め、より杉原本人に寄り添うようにして映画を制作していったらどうだったでしょう?
特に、ハルピン学院で学んだ根井・在ウラジオストック総領事代理(二階堂智)の役割は、ユダヤ人救出劇の上で大きなものがあるのですから(注15)、その時代の杉原を描くことに意味があるのではと思えます。
尤も、様々の関係者が存命中でもあるのでしょうから、本作以上に人間関係に入り込んで描き出すのは難しいのかもしれませんが。
(3)渡まち子氏は、「映画は生真面目な作りだが、決して退屈ではない。それは杉原千畝その人の人生があまりに劇的だからだ。歴史の裏側で活躍した日本人を知るいい機会である」として65点をつけています。
前田有一氏は、「エア御用プロパガンダの様相を呈するライバル東映の「海難1890」に比べ、「杉原千畝 スギハラチウネ」は見事な出来映えである。それはチェリン・グラック監督が日本育ちとはいえ外国人で、ある程度客観的な視点でこの史実を描くことができたからだろう」として75点をつけています。
読売新聞の多可政史氏は、「他のホロコーストを題材にした映画に比べ、ユダヤ人虐殺の残酷なシーンは、その事実が伝わる程度にとどめた印象だ。チェリン・グラック監督は、目を背けたくなる映像の多用に頼らず、極限に生きた人間の物語という筋を通し、戦争を語りきっている」と述べています。
(注1)監督は、『サイドウェイズ』のチェリン・グラック。
(注2)「Persona non grata」については、本作の公式サイトの「杉原千畝 資料館」の「「ペルソナ・ノン・グラータ」とは?」をご覧ください。
(注3)英語名はHarbinで、例えばWikipediaも「ハルビン市」となっていますが、本作では「ハルピン」とされているので(例えば、公式サイトの「杉原千畝 資料館」)、ここでも「ハルピン」とします。
(注4)出演者の内、最近では、唐沢寿明は『イン・ザ・ヒーロー』、小雪は『探偵はBARにいる』、大島・駐独大使役の小日向文世は『予告犯』、塚本高史は『恋愛戯曲~私と恋におちてください。~』、濱田岳は『予告犯』、二階堂智は『セイジ-陸の魚-』、幸子の兄・菊池役の板尾創路は『at Home アットホーム』、滝藤賢一は『予告犯』、満州国外交部の大橋役の石橋凌は『ハラがコレなんで』で、それぞれ見ました。
(注5)石井孝明氏のこの記事を参照しました。
(注6)例えば、この記事における元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏の発言(「例えもし日本国がNOと言ったのを杉原さんが書いたとして日本政府は当然NOと言いますよね。だから杉原さんはそんなことは分かってるんで、NOと言ってきたら出すわけがないんで、YESと言ったから出したんです」)。
(注7)例えば、この記事では、「……杉原副領事は同指示(訓令)に従わず、行先国の入国許可未了の者、所持金の不十分な者に対しても査証発給を継続したため、本省より同訓令を厳守するよう注意を受けている」とする外務省欧亜局西欧第二課の見解(1994年)を引用しています。
(注8)本作の公式サイトの「イントロダクション」より。
(注9)本件については、当時の外務省からの訓令にある条件(「避難先の国の入国許可を得ていること」と「避難先の国までの旅費を持っていること」)をどの程度厳しく解釈するかに依っているような気がします。それを厳密に解釈すれば、杉原の大量ヴィザ発給は本省訓令違反になるでしょうが、形式的なものと解釈すれば、暗に本省もユダヤ人受け入れやむなしと認めていることにもなるように思えます。
この場合、形式上の目的地はオランダ領事代理のヤンが与えていますし、旅費についてはユダヤ人組織による支援があったようですから。
それと、杉原が発給したヴィザは、「滞在拾日限」の通過ヴィザ(「Transit Visa」)に過ぎませんから、形式がまずまず揃っていればかまわなかったのかも、とも思えるところです。
いずれにせよ、根井・在ウラジオストック総領事代理やJTB社員の大迫(濱田岳)らが存在しなければ(モット言えば、日本政府の黙認でしょう)、このユダヤ人救出劇は成功しなかったでしょうが、それでもまずリトアニアで杉原がヴィザの大量発給を行わなければ何事も起こらなかったわけですから、杉原の功績は大きなものがあるように思います。
(注10)この記事によれば、杉原は、少なくとも2回ヴィザの発給に関し外務省本省と電報のやり取りをしており、また、ヴィザの発給も随分の回数に分けて行われているようです。
(注11)なお、この記事には、「日本の通過ビザさえもっていれば、ソ連側もソ連通過ビザを出す、との確認が取れていた」(P.9)とのこと。そこで、日本のヴィザがとれれば、ユダヤ人たちは救われることになるのでしょう(でも、米国に入国したい場合には、米国のヴィザはどうするのでしょう?)。
(注12)本作の公式サイトの「杉原千畝 資料館」の「「北満鉄道譲渡交渉」とは?」には、「千畝が白系ロシア人ネットワークによって北満鉄道内部のあらゆる情報を調べあげたことにより、ソ連側の提示金額が大幅に引き下げられて1935年3月23日、決着に至った」と記載されていますが、映画で描かれているエピソードとこの記述とがどのように具体的に結びつくのか、よくわかりませんでした。
(注13)Wikipediaの杉原千畝に関する記事によれば、「1924年(大正13年)に白系ロシア人のクラウディア・セミョーノヴナ・アポロノワと結婚していたが、1935年(昭和10年)に離婚」したとのこと。
なお、上記「注11」で触れた記事によれば、「クラウディアがユダヤ系ロシア人であった可能性」があるとのことですし(P.6)、「杉原がクリスチャンとなった動機は、クラウディアの影響が決定的であ」ったとも書かれていますから(P.7)、杉原の生涯を描く際には前妻のことは見落とせないように思われます。
尤も、同記事では、「杉原に伝わった情報が、このロシア人妻を通じてソ連側に漏れているという疑いもかけられたようである」とされており、また彼女は「オーストラリアのシドニー郊外の聖セルギウス養老院にて、93歳で亡くなった」ともされていることから(P.8)、あるいは本作に登場するイリーナにクラウディアのイメージが投影されているのかもしれません(千畝の諜報活動に協力したイリーナも、ユダヤ人科学者とともにアメリカに渡ったとされています)。
〔この点については、ブログ『佐藤秀の徒然幻視録』の本作に関するエントリにおいて、「イリーナって千畝の最初の妻、クラウディア・セミョーノヴナ・アポロノワをデフォルメしたものだろうか」と指摘されているところです〕
(注14)前記「注13」で触れているWikipediaの記事によります。
(注15)本作では、杉原と根井が一緒に写っている写真が映し出され、また二人はハルピン学院の自治三訣「人の世話にならないよう、人の世話をする用、報いを求めないよう」(元々は後藤新平が提示したもの←この記事)を、別々の機会に口にするのです。
★★★☆☆☆
象のロケット:杉原千畝 スギハラチウネ
(1)『イン・ザ・ヒーロー』で好演した唐沢寿明の主演作ということで、映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭は、昭和30年(1955年)の東京。外務省の一室。
外務省の関満(滝藤賢一)が、外国人(実はニシェリ:ミハウ・ジェラフスキ)の杉原との面会要請に対し、「センポ・スギハラですか。そのような者は、現在も過去にもおりません」と答えます。さらに、その外国人は、「何かの間違いでは?リトアニアで確かにあの人に会った。世界の何千という人が覚えている。再会する約束をして、この査証をくれました。センポが私たちに命をくれたのです」と粘るものの、関満は「お引き取りください」とにべもありません。
次いでタイトルが映し出され、副題として「Persona non grata」とあります(注2)。
そして画面は、昭和9年(1934年)の満州国に。
走る列車の中で、満州国外交部の杉原千畝(唐沢寿明)が食堂車を通って客室の中に逃げ込みます。
その後をピストルを持った男が追いかけてきて、杉原は捕まりそうになるところ、女(実は白系ロシア人のイリーナ:アグニェシュカ・グロホフスカ)がその男をビンで殴って杉原を救出します。
杉原は、「サンキュー、イリーナ」と言って、彼女が途中まで着かかっていたドレスの背中のボタンをとめます。
さらに、満州国ハルピン(注3)で。
杉原と関東軍将校の南川(塚本高史)が話しています。
南川が「あなたほどソ連に精通している人はいない。素晴らしい情報ですな。ただ、あなた方外交官はいつも平和主義だが、男子たるもの戦わねばならないのだ」と言います。
南川が立ち去った後、現れたイリーナが「なぜあんなやつと?」と尋ねると、杉原は「確実な方法をとった。利用するだけだ」「それにしても、なんとかしてモスクワに行きたいものだ」と答えます。それに対して、イリーナは、「ロシアは消えてしまった。戻る事はできない。私はもう必要ない。今夜が最後よ」と言います。
その夜、鉄道の操車場の近くで潜んで事態の推移を見守る杉原。
さあ、一体何が起こるのでしょうか、杉原がこれからどんな役割をはたすことになるのでしょうか、………?
本作は、ユダヤ人救出に助力した外交官として知られる杉原千畝の半生を映画化したものですが、第2次世界大戦の複雑な動きの中で描き出さざるをえないため、どうしてもそちらの説明に時間をとられてしまい、杉原の動きとなると、通り一遍で表面的なものになってしまっているきらいがあります。もっと杉原本人の行動に寄り添った形で描いた方が面白いものが出来上がったのでは、と残念に思いました(注4)。
(2)本作の主人公の杉原千畝がユダヤ人救出劇で成し遂げた功績については、昨年の夏に来日して安倍総理と面会したシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)の名誉理事長レオ・メラメド氏が、救出されたユダヤ人の一人だったことからも(注5)、決して過去のものではないことがわかります。
また、杉原のヴィザ発給について、日本政府が完全にNOと言ったわけではないという指摘がなされていますが(注6)、反論もなされていて(注7)、「どうして政府の許可を待たずに独断でユダヤ難民にヴィザを発行し続けなければならなかったか」(注8)を解き明かそうとする本作の立場も十分にありうるものと思います(注9)。
とはいえ、問題点もあるように思われます。
本作は、タイトルこそ「杉原千畝」とされていますが、彼自身については、総じて表面的なところにとどまる描き方がされているような感じを受けます。
例えば、本作では、本省との電報のやり取りは1回だけ描かれていたように思いますし、ヴィザ発給も淡々と行われたように見えます(注10)。
とはいえ、ヴィザ発給に関する本省とのやり取りは本作における一つの要といえますから、もう少し味付けがあっても良かったのではないでしょうか(注11)?
また、上記(1)で触れた昭和9年のエピソードですが、杉原が危ない橋を渡っている様子がヴィヴィドに描き出されていて、映画の出だしとしては悪くないように思います。
ただ、問題の夜にソ連兵らの行動を見て、杉原が「彼らは機関車を盗んで、それを鉄屑にして再度日本に売る気だ」と言ったり、突然、南川が率いる関東軍が登場してソ連兵らを撃ち殺したりするものの、それがどんな意味を持っているのか、映画からではよく理解できませんでした(注12)。
さらに、最初の結婚については一切触れられていません(注13)。
それに、「満洲時代の蓄えは、離婚の際に前妻とその一族に渡したため」、千畝は「無一文にな」り、幸子との再婚後の「赤貧の杉原夫妻は、結婚式を挙げるどころか、記念写真一枚撮る余裕さえなかった」とされています(注14)。
ですが、映画からそんな様子は微塵も感じ取ることは出来ません。
むしろ、小雪が演じる妻・幸子は、日本人妻としてかなり類型的で非個性的に描かれているように思いました。
素人考えながら、本作が、早稲田大学を中退してハルピン学院に入学した辺りから描き始め、より杉原本人に寄り添うようにして映画を制作していったらどうだったでしょう?
特に、ハルピン学院で学んだ根井・在ウラジオストック総領事代理(二階堂智)の役割は、ユダヤ人救出劇の上で大きなものがあるのですから(注15)、その時代の杉原を描くことに意味があるのではと思えます。
尤も、様々の関係者が存命中でもあるのでしょうから、本作以上に人間関係に入り込んで描き出すのは難しいのかもしれませんが。
(3)渡まち子氏は、「映画は生真面目な作りだが、決して退屈ではない。それは杉原千畝その人の人生があまりに劇的だからだ。歴史の裏側で活躍した日本人を知るいい機会である」として65点をつけています。
前田有一氏は、「エア御用プロパガンダの様相を呈するライバル東映の「海難1890」に比べ、「杉原千畝 スギハラチウネ」は見事な出来映えである。それはチェリン・グラック監督が日本育ちとはいえ外国人で、ある程度客観的な視点でこの史実を描くことができたからだろう」として75点をつけています。
読売新聞の多可政史氏は、「他のホロコーストを題材にした映画に比べ、ユダヤ人虐殺の残酷なシーンは、その事実が伝わる程度にとどめた印象だ。チェリン・グラック監督は、目を背けたくなる映像の多用に頼らず、極限に生きた人間の物語という筋を通し、戦争を語りきっている」と述べています。
(注1)監督は、『サイドウェイズ』のチェリン・グラック。
(注2)「Persona non grata」については、本作の公式サイトの「杉原千畝 資料館」の「「ペルソナ・ノン・グラータ」とは?」をご覧ください。
(注3)英語名はHarbinで、例えばWikipediaも「ハルビン市」となっていますが、本作では「ハルピン」とされているので(例えば、公式サイトの「杉原千畝 資料館」)、ここでも「ハルピン」とします。
(注4)出演者の内、最近では、唐沢寿明は『イン・ザ・ヒーロー』、小雪は『探偵はBARにいる』、大島・駐独大使役の小日向文世は『予告犯』、塚本高史は『恋愛戯曲~私と恋におちてください。~』、濱田岳は『予告犯』、二階堂智は『セイジ-陸の魚-』、幸子の兄・菊池役の板尾創路は『at Home アットホーム』、滝藤賢一は『予告犯』、満州国外交部の大橋役の石橋凌は『ハラがコレなんで』で、それぞれ見ました。
(注5)石井孝明氏のこの記事を参照しました。
(注6)例えば、この記事における元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏の発言(「例えもし日本国がNOと言ったのを杉原さんが書いたとして日本政府は当然NOと言いますよね。だから杉原さんはそんなことは分かってるんで、NOと言ってきたら出すわけがないんで、YESと言ったから出したんです」)。
(注7)例えば、この記事では、「……杉原副領事は同指示(訓令)に従わず、行先国の入国許可未了の者、所持金の不十分な者に対しても査証発給を継続したため、本省より同訓令を厳守するよう注意を受けている」とする外務省欧亜局西欧第二課の見解(1994年)を引用しています。
(注8)本作の公式サイトの「イントロダクション」より。
(注9)本件については、当時の外務省からの訓令にある条件(「避難先の国の入国許可を得ていること」と「避難先の国までの旅費を持っていること」)をどの程度厳しく解釈するかに依っているような気がします。それを厳密に解釈すれば、杉原の大量ヴィザ発給は本省訓令違反になるでしょうが、形式的なものと解釈すれば、暗に本省もユダヤ人受け入れやむなしと認めていることにもなるように思えます。
この場合、形式上の目的地はオランダ領事代理のヤンが与えていますし、旅費についてはユダヤ人組織による支援があったようですから。
それと、杉原が発給したヴィザは、「滞在拾日限」の通過ヴィザ(「Transit Visa」)に過ぎませんから、形式がまずまず揃っていればかまわなかったのかも、とも思えるところです。
いずれにせよ、根井・在ウラジオストック総領事代理やJTB社員の大迫(濱田岳)らが存在しなければ(モット言えば、日本政府の黙認でしょう)、このユダヤ人救出劇は成功しなかったでしょうが、それでもまずリトアニアで杉原がヴィザの大量発給を行わなければ何事も起こらなかったわけですから、杉原の功績は大きなものがあるように思います。
(注10)この記事によれば、杉原は、少なくとも2回ヴィザの発給に関し外務省本省と電報のやり取りをしており、また、ヴィザの発給も随分の回数に分けて行われているようです。
(注11)なお、この記事には、「日本の通過ビザさえもっていれば、ソ連側もソ連通過ビザを出す、との確認が取れていた」(P.9)とのこと。そこで、日本のヴィザがとれれば、ユダヤ人たちは救われることになるのでしょう(でも、米国に入国したい場合には、米国のヴィザはどうするのでしょう?)。
(注12)本作の公式サイトの「杉原千畝 資料館」の「「北満鉄道譲渡交渉」とは?」には、「千畝が白系ロシア人ネットワークによって北満鉄道内部のあらゆる情報を調べあげたことにより、ソ連側の提示金額が大幅に引き下げられて1935年3月23日、決着に至った」と記載されていますが、映画で描かれているエピソードとこの記述とがどのように具体的に結びつくのか、よくわかりませんでした。
(注13)Wikipediaの杉原千畝に関する記事によれば、「1924年(大正13年)に白系ロシア人のクラウディア・セミョーノヴナ・アポロノワと結婚していたが、1935年(昭和10年)に離婚」したとのこと。
なお、上記「注11」で触れた記事によれば、「クラウディアがユダヤ系ロシア人であった可能性」があるとのことですし(P.6)、「杉原がクリスチャンとなった動機は、クラウディアの影響が決定的であ」ったとも書かれていますから(P.7)、杉原の生涯を描く際には前妻のことは見落とせないように思われます。
尤も、同記事では、「杉原に伝わった情報が、このロシア人妻を通じてソ連側に漏れているという疑いもかけられたようである」とされており、また彼女は「オーストラリアのシドニー郊外の聖セルギウス養老院にて、93歳で亡くなった」ともされていることから(P.8)、あるいは本作に登場するイリーナにクラウディアのイメージが投影されているのかもしれません(千畝の諜報活動に協力したイリーナも、ユダヤ人科学者とともにアメリカに渡ったとされています)。
〔この点については、ブログ『佐藤秀の徒然幻視録』の本作に関するエントリにおいて、「イリーナって千畝の最初の妻、クラウディア・セミョーノヴナ・アポロノワをデフォルメしたものだろうか」と指摘されているところです〕
(注14)前記「注13」で触れているWikipediaの記事によります。
(注15)本作では、杉原と根井が一緒に写っている写真が映し出され、また二人はハルピン学院の自治三訣「人の世話にならないよう、人の世話をする用、報いを求めないよう」(元々は後藤新平が提示したもの←この記事)を、別々の機会に口にするのです。
★★★☆☆☆
象のロケット:杉原千畝 スギハラチウネ
ただ、今後もっと詳細な作品、あるいはどこかに絞った作品ができていくんでは?
場合によっては海外資本での作品ができても良いくらいの魅力ある人物像なんですがね?
TBお願いします。
存命の関係者(ご子息ら)の了解が得られれば、おっしゃるように、「もっと詳細な作品、あるいはどこかに絞った作品」が制作される可能性はあるのではと思います。