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罪の余白

2015年10月16日 | 邦画(15年)
 『罪の余白』を渋谷Humaxシネマで見ました。

(1)予告編につられて映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭は、幾つも仕切られた水槽の中にいるベタ(闘魚)を見る安藤内野聖陽)とその娘の加奈吉田美佳子)。
 安藤が「オス同士だと殺し合いを始める。闘魚だからしょうがない。だから、1匹ずつ別々に入れている」と言うと、加奈は「もっと広い場所に入れれば殺し合わないかも」と答えます。
 そして、安藤が「どれにする」と訊くと、加奈は「青のがいい」と答えます。

 次いで、女子高校の教室。授業開始前の時間。
 真帆宇野愛海)が「写メ見てよ」と吉本実憂)に見せると、咲は「グロすぎ」と答えるので、真帆は「やっぱナチュラルメイクの方がいいのかも」と言います。
 また咲は、「キリストってクリスマスに生まれたんだって、すごくない?」と言ったりします。

 場面は変わって、安藤が勤める大学の駐車場。
 安藤が駐車した後に、同僚の早苗谷村美月)の車が隣に入ってきますが、危なっかしい様子なので、安藤が運転を代わって早苗の車を駐車させます。
 安藤が「週末にベタを買いました」と言うと、早苗が「今度、うちのムスメとお見合いさせません?」と尋ねるので、安藤は「オスとメスとで殺し合いをしませんか?」と答えます。

 再び、教室の場面。
 咲が加奈を見ながら、「ベランダの手すりに5秒立つの、加奈が嫌だっていうの」と言うと、真帆が「七緒の胸にある十字架焼くのは?」(注2)と尋ねます。
 加奈が黙っていると、咲は「そういうことは大声で言わないで。あたしたち、強制しているわけじゃないし。加奈どうする?一回やってみる?」と言います。

 他方、大学では、安藤が教壇に立って「ダブルバインド」について講義をしていて、「二重に縛られるということ」などと解説をしています。



 再び、教室の場面。
 加奈が、教室の外側に設けられているベランダの手すりの上に立っています。
 これを見た生徒たちが、「加奈、なにやってるの!」と叫ぶ間もなく、加奈は手すりから下に落ちてしまいます。

 事件を聞いた安藤が病院に駆けつけますが、さあ一体どうなるのでしょう、………?

 本作は、最愛の娘を亡くした行動心理学者が、事件の真相に迫ろうとして娘のクラスメートと対決するという内容で、美少女コンテストでグランプリの吉本実憂がなかなかの演技を見せるとはいえ、“驚愕の心理サスペンス”(注3)と銘打たれるほどの心理戦でもないような感じがします(注4)。

(2)心理サスペンスとして本作の鍵となるのは、安藤が大学で講義する「ダブルバインド」ではないかと思われます(注5)。
 その講義と重なるように、加奈が学校のベランダの手すりから落ちます。



 まるで、ダブルバインドの陥穽に加奈が落ちたかのごとくです(注6)。
 その前のシーンで、咲が加奈に対して「罰ゲームとして、手すりに5秒立って」と言いながらも、すぐに「強制しているわけじゃない」とも言うからですが。

 しかしながら、「ダブルバインド」というのは、Wikipediaでは、「ある人が、メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状況におかれること」とされており、それを提唱したグレゴリー・ベイトソンは「その状況におかれた人が統合失調症に似た症状を示すようになる」と指摘しているとのこと。
 さて、咲が加奈に言った「手すりに5秒立って」と「強制するわけではない」という二つのメッセージは“矛盾”するのでしょうか(注7)?
 クマネズミには、咲は、自己防衛のために付言しただけであって、決して「手すりに立つな」といったわけではないように思われます。咲の言葉は、加奈にとり「とにかく手すりに立ちなさい」という命令に聞こえたに違いありません。
 ですから、加奈は、矛盾する二つのメッセージを受け取って混乱してしまい(「統合失調症に似た症状を示」して、でしょうか)、それで下に落ちたわけではなく(注8)、単に、手すりの上から下を見て立ちくらんでしまい足を踏み外しただけではないでしょうか?

 仮にそうだとすると、加奈の死は事故によるものであり、確かに、咲によるイジメが契機といえるかもしれないとはいえ(注9)、父親が形相を変えて追求するまでもない事件のように思えてきます(注10)。

 それと、咲が安藤の激しい追求を受けるに値する人物だとしたら、なぜそんな少女が形成されるに至ったかについて、何らかの背景が描かれてしかるべきではないかとも思いました。



 こうした場合、通常描き出されるのは異常な家庭環境といったところですが、本作において咲が親のことに言及するのは、真帆に「来週から親が出張するから、いつでも家に来ていい」と連絡するときだけです。
 咲は、一体どんな環境でどのように育ってきたのでしょうか(注11)?

 なお、つまらないことながら、谷村美月が演じる早苗は、安藤の同僚とされていますが、実のところ年齢が下でも安藤の上司という立場にあって、安藤は最後まで丁寧語で対応します。おそらく、早苗は抜群の能力があって若くして教授か准教授になっていて、講師の安藤よりも地位が上なのでしょう。でも、それにしては、いくら安藤に恋心を抱いているとはいえ、終始オドオドしている感じであり(注12)、とても才能に溢れる研究者のように見えないのには(注13)、違和感を覚えました(注14)。

(3)渡まち子氏は、「心理戦を期待すると肩すかしをくらうが、第13回全日本国民的美少女コンテストでグランプリに輝いた吉本実憂が、美しいルックスとは裏腹に他人を操る邪悪な少女を怪演。そのギャップを楽しめるのが一番の見どころだろうか」として50点をつけています。
 秋山登氏は、「重要なのは、この物語の背後に病的なもの、ないしはその気配が潜んでいることである。そこにはまぎれもない現代という時代の影が色濃くさしている」と述べています。
 遠山清一氏は、「(安藤と咲の)二人のバトルは原作の緊張感とテンポの良さをみごとに描いている。だが、心理バトルの果てに起きた事件の咲と真帆の心の変化と行動は割愛されている。そこにも“罪の余白”の揺らぎがあると思われるだけに惜しまれる」と述べています。



(注1)監督・脚本は、『スープ~生まれ変わりの物語~』の大塚祐吉
 原作は、芦沢央著『罪の余白』(角川文庫)。
 なお、原作は、2011年の第3回野性時代フロンティア文学賞受賞作。
 ちなみに、著者のインタビュー記事では、スティーヴン・キングの『ニードフル・シングス』(映画化もされているようです)に影響を受けたと述べられていますが、未読です。

(注2)七緒葵わかな)はクラスで数少ないクリスチャンであり、いつも十字架のペンダントを胸につけています。咲はそういう笹川を嫌っていたようで、また笹川の方も咲を疑いの目で見ています。

(注3)映画の公式サイトの「INTRODUCTION」より。

(注4)出演者の内、最近では、内野聖陽は『悪夢のエレベーター』、谷村美月は『白河夜船』で、それぞれ見ました。

(注5)なにしろ、主題歌が金魚わかなの歌う『ダブルバインド』なのです!
 ちなみに、歌詞はこのサイトで(ただし、この歌詞は、“ダブルバインド”のうちの“バインド”という部分に囚われた内容ではないかと思われます)。

(注6)原作においては、この「ダブルバインド」について、「どちらかに従うことが、もう一方に反することになる二つの命令。それを向けられた人間の判断力を奪う、心理的手法」と述べられています(原作では、これは大学の講義ではなく、安藤が加奈に教えたことになっています)(文庫版P.63~P.64)。
 ただ、「心理的手法」とありますが、どういうことでしょう?相手を混乱した状況に追い詰めることを目的として取られる手法だという意味でしょうか?むしろ、ダブルバインドというのは、統合失調症などの心的障害に陥った人の状況を解明するために見出された学説ではないでしょうか?

(注7)なお、咲が大手芸能マネージャー(加藤雅也)から、「君くらいのルックスの子はたくさんいる。君は何も特別な存在じゃない。むしろ、我々の方で、君を特別な存在にするんだ」と言われた後、スカウトの女性からは「あの人があれだけ最初に熱心に話すことはない」等と言われます。
 これはダブルバインド的な雰囲気を持っているように見えます。ただ、二人が咲に言っているのは「命令」のメッセージではありませんし、咲はこのプロダクションと契約しない自由を持っているのですから、グレゴリー・ベイトソンの言うダブルバインドとは異なっているのではないか、とクマネズミは思います(むしろ、「タテマエ」と「ホンネ」の概念枠で理解できる状況ではないでしょうか)。

(注8)咲が、ダブルバインドという「心理的手法」(上記「注6」を参照)を知っていて、それに基いて加奈を混乱した状況に追い詰めたというのであれば、咲には加奈に対して殺人の故意があったことになります。でも、クマネズミにはそのようには考えられません。

(注9)咲の加奈に対するイジメは、口頭によるもの(加奈の日記には、例えば「咲に死ねって言われた」と書き込まれていました)とか仲間はずれにすぎず、昨今マスコミを賑わしている自殺を引き起こすほどの酷いものではないように思えるのですが。

(注10)あるいは、加奈には自殺願望があったとも思えます(加奈の日記には、「お母さんを殺したのが私なら、私が死んでもお父さんは悲しまないかもしれない」とあり、また上記「注5」で触れている主題歌にも、「もし生まれ変わったら この鎖解いて 自由な道を歩けるといいな 小さな希望この胸に抱いて 目を閉じる…」とありますし)。
 でもそうだとしたら、咲が責任を感じる必要はそれほど大きくないでしょう。
 むしろ、咲が言うように、安藤は父親としての自分をより一層責めるべきなのかもしれません(安藤が咲と真帆を追い詰める様子は、『天空の蜂』に登場する三島が、自分の息子の自殺を周りの者が止められなかったとしてとんでもない計画を実行してしまうのに似ているような感じがしてしまいます)。

(注11)原作では咲の両親が登場しますが、咲がオーディションに合格したにもかかわらず必要な50万円を出してくれなかった件(P.42~P.44)など、ほんの僅かです。

(注12)ですから、早苗が咲と対峙した時、咲から「余計なことに干渉する暇があったら、自分のことをよく考えてみた方がいい」などと高飛車に言われてしまうのです。

(注13)早苗は、安藤と同じ心理学者であるにもかかわらず、専門的な知識に基づいたアドバイスをするなどして物語に関与するわけではありません(単に、安藤の食事の心配をするだけの存在のように見えます)。

(注14)原作の早苗は、例えば、会合で自己紹介した際に、「対人関係が苦手で心理学を志しましたが、やはりまだ人の感情を汲み取ることが上手くできずにおります」と述べますし(文庫版P.16)、さらには、「(早苗は)自分と同じ症状を持つ人たちがいることを知った。アスペルガー症候群、高機能自閉症―障害だったのだ、と思うと気持ちが少し軽くなった」とも書かれています(文庫版P.93)。
 それに、ベラを安藤に教示したのは早苗で、それで安藤はベラを購入し自宅の水槽で飼育するのですが、映画の早苗は安藤の部屋にやってきても、ベラに関心を示さないのです。
 なお、映画では冒頭にベラを映し出して、“闘い”が映画全体のキーワードとなるかのような雰囲気を醸し出しますが、その後登場するベラはいつも1匹であり、闘っている様子は映し出されません。それに、映画は、わが子の無念を晴らそうとする父親と、わが子の死に関係する少女との闘いが描かれているのであって、ベラのオス同士の闘いとは様相が違っているような気がします。



★★☆☆☆☆



象のロケット:罪の余白

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5 コメント

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疑問 (まっつぁんこ)
2015-10-16 07:03:17
「自殺を引き起こすほどの酷いものではない」たしかに。
ふつう人が手すりに登ろうとしたら、危ないから誰かとめそうなもの。みんな無視していたのはどうかと思いました。
また、ラスト。あの程度では転落しません。
いろいろ甘いけど許しましょう。(笑)
Unknown (クマネズミ)
2015-10-16 20:48:04
「まっつぁんこ」さん、TB&コメントをありがとうございます。
確かに、「ラスト。あの程度では転落しません」ね。あんなに簡単に転落するのなら、怖くてベランダに出れなくなってしまいます!
でもまあ、おっしゃるように「許」すべきなのでしょう!
Unknown (ふじき78)
2015-10-20 02:15:34
「ダブルボインド」って言葉を思い付いて、右の胸と左の胸がボインで反発しあってボインボイン、とか馬鹿な事を考えてたら他の事はどうでも良くなってしまった事を葵わかなちゃんのクルスに懺悔します。
Unknown (クマネズミ)
2015-10-23 07:03:13
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
「ダブルバインド」と聞いて「ダブルボインド」を思い付いて、それに“シングルバインド”されてしまうような人は、「葵わかなちゃんのクルス」のみならず、「ダブルバインド」説発案者のG・ベイトソンにも懺悔する必要があるでしょう!
Unknown (むらい)
2020-04-17 23:35:33
一方に権力が偏った状態で「登りなさい」「強制ではない」と言われる事はダブルバインドでしょう。
命令は強制ではないにも関わらず、命令に背く事が罰を受ける事に繋がる事がメタメッセージとして発せられてるからです。
貴方の論理だと、「登りなさい」と同時に「登るな」と言われる事がダブルバインドの要件になりますが、そんなことありえないですよ笑
そこに恐怖感を感じないって感性は日本人離れしていてある意味羨ましいですが、悪く言えばアスペルガー的。

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