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シェル・コレクター

2016年03月15日 | 邦画(16年)
 『シェル・コレクター』をテアトル新宿で見ました。

(1)リリー・フランキーの主演作というので映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では(注2)、海の中に服を着たままの男(貝類学者リリー・フランキー)がゆっくりと沈んでいき、さらに魚や亀が泳いでいる様子が描かれます。
 海底の大きな巻き貝が映し出された後、海底に設けられた椅子に座る男の独白ということでしょうか、モノローグが入ります。
 「ここにあるのは、ただただ純粋な謎。貝はなぜ螺旋を描くのか、なぜこの形、この模様なのか、答えは永遠に出ない。その美しさは、言葉にならない領域でしか感じ取ることは出来ない」。

 タイトルの字幕が入った後、画面は離島の海岸の映像。
 夕焼けの中の海岸を、貝類学者が杖をつきながら一人で歩いていて、しばらくするとしゃがみこんで、貝を拾って手で触れます。どうやら、この貝類学者は盲目のよう。



 次いで、貝類学者の研究所の中。
 鍋をコンロからおろして、中の物をシンクに空けます。
 そこにはたくさんの貝があり、貝類学者は一つ一つ拾って、ピンセットで身を取り出し、貝殻をブラシで磨きます。
 そして、再びモノローグが。
 「貝はトテモ不思議な生き物。昆虫に次いで種数が多く、11万種を超える。5億年の時を超えて螺線形を維持してきた。貝殻はカルシウムで出来た骨格。美しい骨格の家の中で一生を過ごす」。

 ラジカセから流れるニュースが、「麻痺が全身に広がる奇病の患者が全国で増え続けている」と言い、また「アメリカ軍との共同軍事演習が再開された」とも言っています。空には、レーダーを搭載した偵察機が飛んでいます。

 そんなところに、女(いずみ寺島しのぶ)が、貝類学者のいる離島の海岸に漂着します。



 さあ、物語はどのように展開するのでしょうか、………?

 本作は、盲目ながら離島で貝の収集に勤しむ貝類学者を主人公とする作品。前回取り上げた『女が眠る時』と同じように海外の作品を原作としながら、設定を沖縄の離島に置き換えて映画化したものです。そして、『女が眠る時』と同じように、一定の物語が描かれてはいるものの、個々の映像の意味を統一的に掴もうとするとそれが難しいように作られています。ただ本作は、『女が眠る時』と違ってその作風に違和感を覚えません。よくわからないとはいえ、性急な決め付けはせずに、いろいろ頭のなかで映像を反芻しながらゆっくりと意味を考えていけば良いのでしょう。

(2)本作について、監督が「観る方によって、捉え方が様々に変化する作品」と言っていることもあり(注3)、ストーリーをあまり深く追い求めたりしてもそれほど意味がないように思われます。
 それでも、あらすじの骨格がつかめないわけではなく、またその寓意についてもいくつか思い浮かばないわけではありません(注5)。例えば、

 沖縄の離島(=憲法第9条により守られた日本)で独りで貝を採集しながら平穏に暮らしていた盲目の貝類学者(=日本人)のところに、いづみが転げ込む(=外国の先遣隊の侵入)。彼女は全国に蔓延する奇病(=高揚した好戦意識)に罹っていたものの、貝類学者が採ってきたイモガイの毒(注4)(=憲法第9条)に触れたところ、その奇病が治ってしまった。その噂を聞きつけて、貝類学者の息子・池松壮亮)が人を連れてこの離島にやってくるも(=敵国の侵入)、貝類学者は治療しない。その後、火山が爆発したり、津波が襲ってきたりして全ては流されてしまうものの(=戦争による壊滅)、地元の有力者・弓場普久原明)の娘・蔦子橋本愛)(=日本の原点・古層)と貝類学者とが、静かな海岸を歩きながら、新しい貝を見つけ出す(=平和の回復)。



 または、本作は、病気の治療など人々に受け入れやすいスローガンを掲げた集団(カルト宗教の集団ともいえるでしょう)が個人の平穏な生活を滅茶苦茶に破壊してしまう様子を描いたものとも考えられるかもしれませんし、陸上のそうした禍々しい人々の生活ぶりと、海中のごく自然な生物の生活ぶりとを対比させたものとも受け取ることが出来るようにも思います。

 でも、そんなどうしようもない杜撰な捉え方では、それをいくつ並べても説明しきれない点もたくさん出てきますし、なにより本作をこれだけの俳優・スタッフを使ってわざわざ制作した意味がないように思われます。
 なによりも、本作のように貝類学者が盲目では、貝の模様とか色の判別がつかないのですから貝の識別が酷く難しく、従ってそれ自体矛盾した存在であり、きちんとした説明が難しいように思われます(注6)。
 また、全国各地で蔓延しているという奇病についても、様々な事態を当てはめることが出来るようにみえるため(注7)、かえって曖昧なものになっているようにも思われます。

 マア、無理に本作が言いたいことを捉えようとはせずに、ボワッと全体を受け止めて、あとは受け止めた何がしかのものが自分の中でどのように発酵するのか各人それぞれが待てばいいのでしょう。
 なかでも、冒頭のシーンを始め何回か映し出されるのですが、貝類学者が海に沈んで海底で椅子に座るという映像は、クマネズミにとってとても斬新で、これだけでも本作の価値はあるのではないでしょうか(注8)。
 その他にも、海の中の岩に張り付く花のように美しいイソギンチャクとか貝類学者が拾う貝殻の映像も素晴らしく、またラスト辺りの赤とか白の服を着た橋本愛がとても綺麗に映し出されていると思いました(注9)。

 それにしても、立て続けにリリー・フランキーを映画館で見ることになるとは!
 それも、『女が眠る時』における居酒屋の店主・飯塚の位置づけがよくわからないままでの本作のまたまたよくわからない貝類学者の役です(注10)。
 とはいえ、本作におけるリリー・フランキーの演技は説得力が充分にあり、本作の貝類学者としてはこの人以外には考えられない感じがします。
 5月に公開される三島由紀夫の原作の『美しい星』でも、主役を演じるとのこと。どんな演技が見られるのか、今から楽しみです(注11)。

(3)渡まち子氏は、「目で見るのではなく、触って感じて物事を見極める、体感する作品ということだ。決してわかりやすくはないが、時にはこんな映画で感性をきたえてみるのもいいだろう」として60点をつけています。
 外山真也氏は、「残念ながらこの主人公に同化できない。監督がやりたいことを頭で理解できる域を出ていないのだ。もう少し主人公に感情移入できる脚本であれば、我々観客も彼の触感を共有することができ、傑作に仕上がったのではないだろうか」として★4つをつけています。
 読売新聞の恩田泰子氏は、「残酷なようで優しく、恐ろしくも美しい。世界の一片を切り取ったような映画である」と述べています。



(注1)監督・脚本は、坪田義史
 原作は、アンソニー・ドーア著『シェル・コレクター』(岩本正恵訳、新潮社:未読)。

 なお、出演者の内、最近では、リリー・フランキーは『女が眠る時』、寺島しのぶは『R100』、池松壮亮は『バンクーバーの朝日』、橋本愛は『残穢―住んではいけない部屋―』で、それぞれ見ました。

(注2)冒頭の4分ほどの映像をこちらで見ることが出来ます。

(注3)公式サイトの「インタビュー」より。
 なお、同じサイトでリリ-・フランキーも、「物語を見るためだけに映画があるわけではないと思うし、だから、こういう映画もなきゃいけないと思うんです。わけがわからなくても、なぜか頭のなかにずーっと残ってる。そして、知らないうちに(劇中の)一言を思い出すような映画ですよね」などと述べています。
 また、この記事によれば、初日舞台挨拶で寺島しのぶは、「ぶっとんだ脚本と、ぶっとんだ監督、ぶっとんだ共演者に囲まれて、ぶっとんだ作品ができました。この映画はわかるものではなく感じるもの。私も気に入ってます」と挨拶したそうです。

(注4)イモガイの毒については、例えば、このサイトの記事を参照。
 その記事によれば、「沖縄県ではこれまでに30件のイモガイ咬傷被害が報告されており、そのうち8名が尊い命を落としてい」るとされていて、本作で貝類学者の息子・光がその毒で命を落とすのも、ありえない話ではないのでしょう。
 また、この記事(2014.3.17)によれば、「オーストラリアの研究チームは16日、イモガイの毒から作った実験用の薬剤に痛みを麻痺させる作用がある可能性が示されたことを明らかにした」そうで、そうであれば、いずみや蔦子に取り付いた奇病が治ってしまうのも、あながちファンタジーとはいえないのかもしれません。

(注5)ブログ「佐藤秀の徒然幻視録」のこのエントリは、本作について専ら性的な視点から捉えた優れた論評だと思います。

(注6)この点については、本文で申し上げたことに関連して、例えば次のようなことが考えられるかもしれません。

 日本は憲法第9条により“戦争”を放棄して“平和”だと言っても、もしかしたらたまたま外国が侵略してこないだけなのかも知れず、現に外国が侵入してきた場合には、ただちに自衛のための“戦争”に打って出なくてはならず、いっぺんに“平和”が吹っ飛んでしまうのだから、元々今の日本自体が矛盾した存在なのだ。

 でも、ここは政治的な事柄につき議論する場ではないので、これ以上申し上げることは差し控えましょう。

(注7)直接的には、エボラ出血熱(2年間ほどで1万名以上が死亡)が考えられますし、最近ではジカ熱でしょうか。

(注8)本作の舞台挨拶についての記事を見ると(例えば、この記事とかこの記事)、寺島しのぶや橋本愛についてもっといろいろ撮影されたものの、公開された作品では様々にカットされているとのこと。あるいは、見た人の関心がそうしたシーンの方に偏ってしまうことを監督としては怖れたのかもしれません。

(注9)『残穢―住んではいけない部屋―』の橋本愛はイマイチの感じでしたが、本作の彼女は『リトル・フォレスト』の彼女と同じように素晴らしいものがあります。

(注10)まあ、『女が眠る時』の飯塚が、ストッキングの厚さについて薀蓄を述べたりするのは(同作についての拙エントリの「注5」を参照)、本作における貝類学者が貝という生き物の素晴らしさを述べたりするのと同断といえるかもしれませんが。

(注11)この記事によれば、なんと、本作に出演した橋本愛も同作に出演するとのこと!



★★★★☆☆



象のロケット:シェル・コレクター


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