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必死剣鳥刺し

2010年07月28日 | 邦画(10年)
 『今度は愛妻家』で好演した豊川悦司が、今度は時代劇に登場するとあって、『必死剣鳥刺し』を渋谷TOEIで見てきました。

(1)冒頭、いきなり海坂藩の藩主の愛妾「連子」が、主人公の兼見三左エ門(豊川悦司)によって殺害されるというショッキングなシーンが映し出されると、もうこの映画の世界から逃れられなくなってしまいます。
 といっても、そこからラスト近くまでは、実に淡々とした物静かな映像が続きます。海坂藩があるとされる山形県の四季折々の景色に囲まれながら、閉門を命じられ蔵の中で蟄居する三左エ門の様子、それが1年で許されて藩内を見回る姿が映し出されます。その中で注意を引く動きといえば、三左エ門と身の回りの世話をする亡妻の姪・里尾(池脇千鶴)との関係でしょう。
 池脇千鶴の如何にもといった抑制の利いた素晴らしい演技によって、ある一夜に2人が結ばれるのも当然と観客は納得がいきます。

 さらに、ラストには見せ場が2つも用意されているのです。
 一つは、三左エ門と別家の隼人正(吉川晃司)との対決です。隼人正も剣豪でありながら、三左エ門はなんとか打ち果たします。このときの有様は、二人の俳優に気迫が十分にこもっていて、そのぶつかり合いは実に見ごたえがありました。
 二つ目は、最後の乱闘場面です。
 数多くの相手に取り囲まれ、何人も倒しながら深手を負ってしまい、中老の津田民部(岸部一徳)のそば近くまでにじり寄っていくシーンは、迫力満点といえるでしょう。
 そして「必死剣鳥刺し」の場面です。ほとんど死んだようになった三左エ門の死を確認しようと近寄ってきた津田に対して、最後の最後の力を振り絞って剣を突き立てるのです(あるいは、死後硬直をも考慮に入れての「鳥刺し」なのかな、とも思えましたが)。
 こんなことが可能とは思いもよりませんでしたから、実際度肝を抜かれました!

 とはいえ、この映画については、酷くつまらない点にばかりこだわってみたくなってしまいます。
〔といっても、なぜ別家の隼人正は簡単に城内に入ることができたのか、三左エ門が剣を振り回すと相手は簡単に殺されるのに、彼自身はいくら切られてもなかなか死なないのはなぜか、どうしてこの時代に鉄砲が使われなかったのか、などといったことを問題にしたいわけではありません←それらはこうした時代劇における殺陣の定番なのでしょう!〕

・主人公の三左エ門は「必死剣」によって中老の津田民部を倒しますが、それによって必ずしも勝ったことにはならないのではないかと思えてきます。
 というのも、津田が極悪人ならば、それを最後に成敗したことによって勝ったことにもなるでしょう。ですが、彼は決して悪人ではないのではないでしょうか?海坂藩本家の存続を図るために、剣の達人である三左エ門を斬首とせずに藩主のそばにいて警護にあたれるように取り計らったのであり、それは功を奏して別家の隼人正を排除できたわけですから。
 それに、三左エ門を皆で切り殺して、隼人正を殺した下手人に仕立て上げようと謀ったにしても、元々三左エ門は斬首されても当然と本人が納得していたわけで、何の問題もないはずですから。
 津田を演じる岸部一徳がいかにも悪役面をしているがために、最後に「必死剣」で彼を倒す三左エ門をすごいと思ってしまうところですが、ちょっと立ち止まって考えてみると、いったい三左エ門は何をしたのか、と思えてしまいます。

・映画の冒頭の能舞台のシーンで、舞い終わると場内が静まり返る中、「連子」が“拍手”をし、それにつられてそのほかの聴衆も“拍手”をしますが、いったい江戸時代にそのような場合に“拍手”をする習慣があったのかどうか、大いに疑問です(ちなみにこのサイトをご覧ください)。

・その「連子」ですが、映画の中では皆に「れんこ」様と何度も言われているところ、むしろ「れんし」様というべきではないか、いやいや本来的には名前そのものを軽々しく口にはしなかったのではないか(普段住まっているところの名称などを代わりに使うのではないか)、などの疑問がわきました。

・三左エ門が「連子」の墓を訪れる場面がありますが、そこに「連子」に仕えていた女性が現れ、彼に何か云いたそうにします。ですが、彼はそれを遮って立ち去ってしまいます。おそらくその女性は彼に対して、「連子」殺害の理由を聞き糺したかったに違いありません。 あるいは、「連子」の咎とされるいろいろな行為にも理由があってのことなのだ、という内幕が明かされたのかもしれません(勘定方に切腹を命じたのはともかく、元々、「強訴」をした一揆の首謀者が斬首の刑に処せられるのは、当時それほど特異なことではなかったはずですし、荒廃した菩提寺の造営も光明皇后の新薬師寺ではありませんが〔7月14日NHK「歴史秘話ヒストリア」〕、昔からよく行われてきたことではないでしょうか?)。

 というわけで、豊川悦司と吉川晃司との斬り合いの迫力や、ラストの凄まじい殺陣は十分評価できるものの、物語全体はちょっとどうもという感じがしてしまいました。
 尤も、上で色々難癖をつけた点は、ラストのシーンに至るための単なるエピソードに関するものであり、ラストの2つの斬り合いこそが何より重要なのだという立場に立てば、どれもこれもどうでもいい点ばかりといえるでしょう!

(2) 藤沢周平の小説を映画化した者はこれまでもいくつか見てきましたが、ここでは『隠し剣 鬼の爪』(山田洋次監督、2004年)と比較してみましょう。

イ)『鬼の爪』も『鳥刺し』と同じように、山場が2度ほどあります。
a.主人公・片桐(永瀬正敏)とその友人・狭(小澤征悦)との対決は、三左エ門(豊川悦司)と隼人正(吉川晃司)との切り合いに相当するでしょう。
 ただ、『鬼の爪』においては、片桐は、藩の剣術指南役だった戸田の所に出向いて、相手の倒し方を習得する場面が丁寧に描かれています。とはいえ、そこで教えてもらったのは「隠し剣」ではなく(すでに伝授済み)、相手と向き合ってから視線をそらして背中を見せ、意表を衝かれた相手が隙を見せたところを切り倒すというもの。実際、その戦法を使って片桐は狭間を倒します〔むしろ、彼らを取り囲んでいたものからの発砲によるとも言えますが〕。
 他方、『鳥刺し』においても、三左エ門が隼人正を倒す際には「必死剣」を使いませんでした。

b.片桐が城内で家老(緒形拳)を暗殺しますが、これは『鳥刺し』において三左エ門が津田民部を倒すのに対応していると思われます。
 加えて、その際に片桐は「隠し剣 鬼の爪」を使いますが、三左エ門も「必死剣 鳥刺し」を使います。ただ、前者では、使った道具がどんなものなのか映画の中で示されるものの、後者にあってはどのようなやり方で津田を倒したのか今一よくわからないところです。

ロ)これだけ状況が類似している上、この二つの作品では、主人公と女性との関係がよく似ているとも思われます。
 すなわち、『鬼の爪』では、片桐は、禄を返上して町人となり蝦夷に向かいますが、その際に、以前片桐の家に女中奉公に来ていたきえ(松たか子)に愛を告白して一緒に北に向かいます〔随分と現代人っぽい感じがしてしまいますが!〕。
 他方、『鳥刺し』においても、三左エ門は、一生懸命身の回りの世話をしてくれる妻の姪・里尾(池脇千鶴)と、一夜限りながら関係をもってしまいます(あるいは、津田民部の謀略がなければ、戻って一緒になったのかもしれません。妻の実家に預けられる里尾に、「必ず迎えに行く」と言っているのですから)。
 このように身近にいて世話をしてくれる女性に、主人公が強い愛を感じてしまうというのは、『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督、2002年)でも、井口清兵衛(真田広之)と朋江(宮沢りえ)との関係でも見られたところです。

(3)映画評論家の論評は余り見かけませんが、渡まち子氏は、「この映画は、勧善懲悪の形をとりながらも、剣に生きて死ぬ道を静かに否定しているように思う。それでも戦いに身を投じていく主人公のままならぬ人生が、人間の業となって浮かび上がってくるところに、暗い情熱がある。中老役の岸辺一徳の腹黒い表情、三左ェ門を慕う里尾役の池脇千鶴の秘めた情熱の顔つきが印象的だ。木彫りの鳥の人形を作る豊川悦司の横顔がストイックでいい」として60点を与えています。



★★★☆☆


象のロケット:必死剣鳥刺し


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5 コメント

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忍ぶ女 (クマネズミ)
2010-08-03 05:30:32
桜肉さん、懇切なコメントをありがとうございます。
おっしゃるように、この映画の見所は、ラストの2つの斬り合いと池脇千鶴でしょう。
特に、池脇千鶴は、先般見た『パーマネント野ばら』でも、一緒になる男という男に殴られて捨てられる役を演じていましたし、「忍耐の女」にピッタリなのかも知れません。
鳥刺しといっても刺身ではない? (桜肉)
2010-08-03 01:45:56
  例によって「海坂藩」の小編をいろいろ折り込んで長くしたもののようで、筋書きはほぼ先まで読めるのですが、まじめにしっかり作っており、総合的に考えて、なかなか良かったと評価しています。話としては、桜が綺麗でハッピーエンドにおわるだけ『花のあと』のほうが好きですが、本作も悪くありません。
  最後の関心は、秘剣鳥刺しを誰に対して用いるのかということで、個人的な感想をいえば、二人に対して同時に効果があって、これぞ「一石二鳥」の秘剣で「鳥刺し」だよというほうが、気分的な満足度が高かったと密かに思っています。悪い殿様もご一緒にどうぞという気がするわけであり、「鳥刺し」という命名の由来がよく分からないからです。「一石二鳥」なんて、刀では物理的に無理だよと言わないで、どうせフィクションなのだから、そのように作れなかったのかといい加減な想いを廻らしています。
  女性贔屓の私としては、この観点で見ると、『花のあと』は理不尽に対して「怒った女」の話であり、本作は「忍ぶ女、耐える女」の話だと受けとめます。だから、こうした観点でともに面白く見ることができ、本編でも、女性役を演じた池脇千鶴がしっかり演じていたと評価しています。

  実のところ、クマネズミさんも言われるように、この映画は、その場では勢いのなかで納得して見ていますが、細部を考えると、おかしなところもいろいろあります。敵役の御別家様が迎え撃ちをされるようなタイミングで出てくるのもそうですし(藩内で無双の剣の達人の主人公が謹慎している時期に行動すれば、目的を達せる可能性があるのではないか)、殿様の愛妾殿の呼び方などもそうです。おそらく、言われるように、「ラストの2つの斬り合いこそが何より重要なのだという立場に立てば、こんなことはどうでもいい」というものなのでしょう。だから、私も、同様に考えて、なかなかの立ち回りと忍耐の女性を評価します。
拍手 (ふじき78)
2010-07-28 23:54:19
こんちは。TB辿ってきました。
拍手は周りの侍も明らかに面食らったような顔をしていて、殿様が拍手しだしたので、仕方なく同調の輪を広げたと言う書かれ方をしていたので、どこかで西洋の話を聞いた連子様が筋違いなのにやってしまったという感じじゃないでしょうか(トヨエツが拍手しなかったのは好対照で面白かったです)
拍手 (KGR)
2010-07-28 12:26:11
確かに能に拍手も似つかわしくない気がしますが、そもそも拍手と言う慣習がなかった、とは全く知りませんでした。

最後の山場は盛り上がるんですが、そこに至るまでがダレます。

津田や帯屋、連子や藩主の関係性がいまいちで、仰るように三左衛門が藩に何をもたらしたのかは不鮮明です。
津田の思惑を観客に示さないことで逆に三左衛門にとっての正義がぼやけているというか描ききれてないというか、そういう気がします。
TBありがとうございました。 (hal)
2010-07-28 08:18:10
私も最近の藤沢周平ものの映画作品は大体見ていますが、こういった比較分析はおもしろいですね。やはり基本的なパターンがあるのですね。

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