映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

汚れなき祈り

2013年04月05日 | 洋画(13年)
 『汚れなき祈り』をヒューマントラストシネマ有楽町で見ました。

(1)本作は、見る機会の少ないルーマニアの映画だということと(注1)、出演した二人の女優がカンヌ国際映画祭で女優賞を受けたことから(さらに脚本賞も受けました)、見に行ってきました。

 本作は、ルーマニア正教会の修道院が舞台。
 幼い頃から、アリーナヴォイキツァとは孤児院で一緒に暮らしてきましたが(アリーナは一時、里親のところにいました)、ドイツへ行き(注2)、ヴォイキツァは修道院に入ります。



 ですがアリーナは、やはりヴォイキツァと一緒にいたいとルーマニアに戻り、修道院に出向きます。アリーナのつもりとしては、ヴォイキツァを連れ出してドイツで共に暮らしたかったところ、ヴォイキツァは修道院の生活で満足を得ていて、出たくないと言います。
 やむなく、アリーナは修道院に居つくことになるものの、次第に精神に失調を来してきます。
 果たして二人の関係はどうなっていくでしょうか、……?

 映画は殆どが修道院のシーンであり(特に、そこにいる修道女たちは黒い服をすっぽり被っているのです)、全体として酷く地味なものとなっています。



 とはいえ、ヴォイキツァを演じる女優コスミナ・ストラタンは、『彼女が消えた浜辺』でエリを演じたタラネ・アリシュスティにも似てなかなか魅力的であり、また、本作では、ルーマニア正教会の問題というよりも、むしろ、現代社会にも通じる集団内の問題が取り扱われているように考えれば、かなり興味が惹かれるところです。

 例えば、本作は、特定の集団内に束縛されている人を外部の人間が救い出す様を描いていると捉えてみてはどうでしょうか(注3)。
 あるいは言い過ぎになるかもしれませんが、ある集団に紛れ込んできたトリックスターとしてアリーナを看做しても面白いかもしれません(注4)。
 特に、アリーナは、修道院側が「至聖所」とみなしている聖堂祭壇の裏側に入り込んでしまい、大騒動を引き起こしたりするのですから(注5)。

(2)また、舞台となる修道院は人里離れた丘の上にあって、映画の冒頭で、アリーナと彼女を出迎えたヴォイキツァは、列車の駅からバスに乗り、更に徒歩で丘を登って、やっとのことで修道院に辿りつきます。
 乱雑な木の塀で囲まれている修道院の中には、木造の粗末な建物がいくつかあって、その内の一つが聖堂となっています。



 といっても、俗界と切れているわけではなく、周辺と繋がりを持ち、車で食糧が届けられたり、また危急時には町から救急車がやってきたりします(注6)。

 となると、この修道院がどのように維持されているのか不思議な感じがしてきます。
 というのも、この修道院は酷く財政状態が悪く、板に描かれた大切な宗教画も、十分な支払いができず途中で画家が逃げ出してしまったために未完成となり、今や井戸の覆いに使われている有様なのです。
 なおかつ、壁画がないという理由で、上位の僧侶(主教)も来てはもらえません。
 そうなると信者の拡大も図れず、その寄付を仰ぐといっても限度があるのではないでしょうか(様々な行事のたびに、周辺の信者がこの修道院の聖堂にやってきますが)。

 こうした事情もあって、この修道院では、現在収容されている以上の者をとても受け入れることができないようなのです(注7)。
 修道院の司祭(神父)(注8)は、アリーナを受け入れることに酷く難色を示しました(注9)。




 同じ事情は、アリーナやヴォイキツァが暮らしていた里親の家についても当てはまるようなのです(注10)。既に次の子供が来ていて、再度アリーナを受け入れることはできないと言われてしまいます。

 ヴォイキツァとしては、アリーナに修道院から出て行ってもらいたいと思っているのですが、無暗にそんなことをすると、彼女を寒空に泊まる場所もなしに放り出すことになってしまうことが分かっているのです。
 奇矯な行動を繰り返すアリーナに閉口した神父は、2人に修道から出て行くように言います。
 でもヴォイキツァは、自分も修道院の外に居場所が見つからないと分かっていますから、神父に、アリーナとともにこの修道院においてくれと懇願せざるを得ず、結局は悲劇がもたらされることになります。

(3) 中条省平氏は、「主題は宗教の独善と不寛容だが、これは特殊なカルト教団の出来事ではなく、人々の善意がかえって地獄への道を開くという、人間が作る集団。組織の本質的、普遍的問題を抉っている」と述べています。
 また、木下昌明氏は、「同じ孤児院で育った2人の若い女性が再会し、丘の修道院で暮らすようになる……。独裁時代は労働力として“産めよ増やせよ”の政策がとられたが、経済力が伴わず人々は飢え、子どもは捨てられた。マンホール生活をする子どもが大勢でた。映画はそんな負の遺産を背景に、主人公2人が「心に神」を求めて葛藤する姿をとらえている。心のよりどころを失った日本の若者にも通じて痛ましい」と述べています。
 さらに、柳美里氏は、「(同じムンジウ監督の)『4ヶ月、3週と2日』と『汚れなき祈り』のラストシーンの視線の遮り方は、「あ!」と小さな叫び声を上げるほど斬新で、スクリーンから突き飛ばされたような衝撃を受ける。2作共に殺人によって一つの命が奪われるのだが、死者によって告発されているのは、殺した者ではなく、観客席でただ見ているしかない私たちであるような居たたまれなさを感じるのだ」と述べています。




(注1)本作を監督したクリスティアン・ムンジウ監督の『4ヶ月、3週と2日』を2008年3月に銀座テアトルシネマで見たことがあります(同作は、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞しました)。
 以下は、その際に記したメモ書きです。
 「映画の内容は、ルームメイトの中絶を助ける正義感溢れる女の子の話という実にシンプルでトテモ分かりやすく、ことさらなものは何もありません(話自体であれば10分程度の映画で済むでしょう)。ただ、それよりなにより、その単純なことを描き出す映像自体が実に素晴らしい出来栄えだと思いました。
 というのも、饒舌な米国映画と違って、何もしゃべらないシーンが長々とワンカットで映し出されることで、主人公の心の動きが返って大層リアルに手に取るように分かる感じがしますし、また、そのことによって、主人公の彼氏の家におけるパーティーの俗っぽさ加減も強調されます。
 さらに、潜りの医者の嫌らしさも、怒りで押し黙った主人公の様子からヒシヒシと感じ取れます(彼は、チャウセスク独裁体制下の状況を象徴しているのでしょう。あるいは、胎児の捨て場所を探しに主人公が夜の街を歩き回るシーンも、独裁政権が出した夜間外出禁止令の最中の都会を描いているのかもしれません)。
 一番のシーンは、ラストでルームメイトとレストランで対峙しているところです。お互い何もしゃべらないまま時間がどんどん過ぎていく様子が、二人の無限に拡大してしまった距離をトコトン表しているように思いました。」

(注2)この記事によれば、ドイツでは、最近トルコ系移民が減少し、ルーマニアなどからの移民が増えてきているようです。なお、ヴォイキツァによれば、アリーナは、普通のバーのウエイトレスとして働いていたとのこと。

(注3)誰でもが思い浮かべるのはオーム真理教事件にかかわるものでしょうが、他にも例えば、統一教会に入信した飯干景子氏を父親が救出する事件がありましたし、最近では、オセロの中島知子氏を占い師のもとから関係者が奪還するという事件もありました。
 本作においては、主に修道院側から描かれているために、悪魔にとりつかれているのはアリーナと思われてしまいますが、一般社会の側から見れば、修道士こそが宗教にとりつかれているとみなされるでしょう。

(注4)前回取り上げた『ザ・マスター』におけるフレディも、風貌や行動から、ある意味でトリックスターと言えるかもしれません。尤も彼は、教団「ザ・コーズ」に何ら影響を与えることなく立ち去ることになってしまいますが。

(注5)アリーナが、「そこに入れば願いがかなうかと思った。何もないのに嘘をついているのではないか。何かあるのなら見せて」と言ったために、神父は至聖所の中に入って「聖画」を取り出してきて見せますが、彼女は「何よこんなもの」と言って壊してしまいます(お稲荷様のご神体の石を投げ捨て、別の石に入れ替えたという福沢諭吉の話と類似するところがあります)。

(注6)最初にアリーナが暴れたときには、車で彼女を病院に運びこんで、さらに、アリーナが意識を失った時には、救急車によって病院に運ばれましたが、すでに死亡しておりました。担当した医師が、死因に疑義があると警察に通報したところから、事件が明るみに出ることになります。
 映画のラストも、本格的な取り調べが行われる警察署に神父たちを運ぶ車の中のシーンです。

(注7)とはいえ、アリーナの兄は受け入れたようです(この知的障害のある兄も、同じ孤児院にいたのですが、その後自動車清掃工場に行き、次いで修道院で働くことになりました)。

(注8)ヴォイキツァの話によれば、神父は30歳であり、発電所で働いていた時に天使を見たとのこと。なお、彼女は、神父のことを「お父様」とも呼んでいます(修道女長を「お母様」とも)。

(注9)神父は、「ここはホテルではない。また、信者でない者はここの生活を乱す」などと言います。

(注10)アリーナは、ドイツで稼いだお金を里親に預けていたのですが、病院での治療代などで使われてしまい、残っているのはごく僅かにすぎませんでした。




★★★☆☆



象のロケット:汚れなき祈り

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