映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

海を感じる時

2014年10月06日 | 邦画(14年)
 『海を感じる時』をテアトル新宿で見てきました。

(1)久しぶりの文芸物というので映画館に行ってきました。

 本作(注1)では、1978年の現在の中に、それより2年前の1976年が入り込んできます。
 映画の冒頭は現在の時点で、散歩する恵美子市川由衣)と池松壮亮)の二人(注2)が、「熊が見たい」という恵美子に促されて、動物園に入ります(注3)。
 次いで、恵美子の部屋の場面となり、外は冷たい雨が降っていて、二人は全裸で体を寄せあって座っています。

 場面は変わって2年前となり、場所は高校(注4)の新聞部の部室。
 部室に入ってきた3年生の洋が、そこで雑誌を読んでいた1年生の恵美子を立たせて、「何もしないよ、口づけだけ」と言い、これに対して、恵美子が「私のこと好きなの?」と尋ねると、洋は「好きじゃないけど、キスがしてみたいんだ」と答えます。
 そして、二人はキスをしますが、ベルが鳴ると離れます。

 その後に喫茶店で再び会います。
 恵美子が、今日の部室でのことを持ち出し、「私、前から好きだったんです」と言うと、洋の方は「僕は、女の人の体に興味があったんだ。君じゃなくてもよかったんだ」と答えるのです。

 結局、二人は部室で関係を持つことになります。そんな過去を持つ二人は現在一緒に暮らしていますが、果たしてその先どうなることでしょうか………?



 映画では、最初、男が、自分を愛してくれる女の体は求めるものの、女を愛しはしません。ところが、逆に男が女を愛するようになると、今度は女の方が男から離れてしまいます。こういった錯綜する関係を市川由衣と池松壮亮とが体当たりで演じています。これに母娘の厳しい関係も重ね合わされて、まさに文芸物の仕上がりになっているのでは、と思いました。

(2)原作は18歳の現役女子高生が書いたもので、発表された時(1978年)随分と評判になりましたが、それを脚本家の荒井晴彦氏が1980年に脚本化し、30年以上経過してからその脚本に基づいて今回映画化されました。
 実のところは、『戦争と一人の女』や『共喰い』を脚色した荒井氏のことですから、本作もかなりエロチックな雰囲気を醸し出し、なおかつ政治色の付いたものになるのかな、と恐れていました。
 ですが、実際に見てみると、確かに性的な場面がかなりあるとはいえ、随分と綺麗に仕上がっており、また政治色はほとんど影を潜めています。

 それに、原作を読んでみると、恵美子と洋にはそれぞれ絡んでくる人物がいたり(恵美子には川名、洋には鈴谷)、ラストは母親と恵美子の争いが描かれたりしているのに対し(注5)、本作では、母親(中村久美)と恵美子の争いは、どちらかと言えば恵美子と洋の関係の脇に置かれていて、むしろ後者の方が全面に押し出されているように思われます。
 これは、脚本の荒井氏が、「同時期に出た中沢さんの第二作目の「女ともだち」(1981年)を重ねあわせて、男のほうが逆に女を追いかけ出す話をカットバックしていく構成」にしたことによるものですが(注6)、それは成功しているように思いました。

 最初のうちは、恵美子が、「私、あなたが欲しいというのなら、それでいいんです。必要としてくれるのなら、体だけでも」と言って洋を放すまいとするのに対し(注7)、洋は「会わない方がいいんだ」と言って離れようとしながらも、ただ恵美子の体だけは求めます。



 ところが、ラストの方になると、一緒に暮らす洋が旺盛な食欲を見せると、恵美子はぐっと引いてしまい、あろうことか「私が他の男と寝たの知ってる?」「これは本当のこと」と言って、洋を傷つける秘密を自分から暴露してしまいます(注8)。
 2年前は恵美子の愛を拒絶した洋が、今や「今はお前を大切に思っている」などと言いながら、安心しきって日常生活を営んでいる姿を見ると、逆に今度は恵美子の方が洋を受け付けなくなるわけですが、このシーンが描かれているからこそ、初めの方の恵美子と洋の関係もぐっと説得力を持ってくるのではないか、と思いました。

 それはともかく、一筋縄ではいかない男女の関係が実に上手く描かれているなと思ったところ、さらに本作では、こうした関係に加えて母娘の関係も描かれます(注9)。
 恵美子の母親は、夫に先立たれ(注10)、恵美子を一人で大切に育ててきたにもかかわらず、恵美子が洋と性的関係を持っていることを、恵美子が出したはずの手紙を盗み見て知り、激怒します(注11)。
 実家のそばの海岸で「お父さんはいいよね、早く死んじゃって」と嘆く母親に対して、「母さん、私も女なのよ」と言う恵美子を見ると、『8月の家族たち』に関する拙エントリの「注6」で触れた斎藤環氏の対談集のことが思い起こされるところです。

 とはいえ、その場面で母親が「お父さん」と大声で叫んだり、ラストで海岸から家を眺めて、父親が下手くそなピアノを弾くのを恵美子が思い出したりするのを見ると(注12)、本作は、もしかすると不在の父親を求める作品なのかもしれないと思えてきます。

 なお、本作の政治色ですが、新聞部の部室で恵美子が「朝日ジャーナル」を読んでいるシーンが目につくくらいながら、あるいは、鎖国によって欧米(=恵美子)の文化を拒否していた日本(=洋)が、維新後に文明開化の過程で欧米に擦り寄っていくものの、最終的には拒否されてしまい太平洋戦争を迎えてしまった、というプロセスなどを本作から読み取るべきなのでしょうか?

(3)渡まち子氏は、「ヒロインが満たされない愛を経て女として成長していく青春ドラマ「海を感じる時」。市川由衣の体当たりの演技が唯一の見どころか」として55点を付けています。

 前田有一氏は、「綺麗な裸をみせてくれた市川の覚悟や演技に文句を言うものではないが、この映画の完成度を上げたいのであれば、絶対にそういう「打算」イメージを主演女優にまとわせてはいけなかった。そこに事前に誰かが気づいていれば、と悔しく思う」として20点しか付けていません。
 ただ、前田氏は、「一時は立て続けに話題作で主演を張っていた彼女がこんな小さな作品でヌードになるというのは、いやおうなしに落ちぶれ感を感じさせる。脱ぎ場に文芸作品を選んで少しでも格調高くプレミアム感を出したいという、戦略的判断を感じさせる点もよろしくない」、「出し惜しみ感を感じさせたら本格女優としてはおしまいである事を、事務所の方々は知るべきである」と述べています。ですが、クマネズミは、主演の市川由衣のみずみずしい演技と、彼女について事前情報をほとんど持たなかったことにより、彼女について「潔くない戦略的思考によってキャスティングされた女優」などという楽屋の裏話めいたことは全く思いもしませんでした!



(注1)原作は、中沢けい氏の『海を感じる時』(講談社学芸文庫版)。監督は安藤尋。

(注2)主演の市川由衣は『罪とか罰とか』に出演していたようですが、印象に残っておりません。また、池松壮亮は、今年公開された『春を背負って』や『ぼくたちの家族』で見ています。

(注3)原作の冒頭は、恵美子と洋が南房総の海岸を歩く場面(「城山公園」とか「大房岬」が出てきますから、千葉県館山市でしょう)。この場面は、ラストの直前の場面(一緒に暮らそうと持ちかける洋に対して、恵美子は「あたし同棲なんかしないわ」と冷たく対応します:P.92)につながっています。

(注4)恵美子らが通う高校は、原作では「T市」(P.41)とされている街にありますが、千葉県館山市のことだと思われます。

(注5)原作のラストでは、「母は私の中の海を見つけてしまったのだ。汚い……けがらわしい……海。/世界中の女達の生理の血をあつめたらこんな暗い海ができるだろう」、「母は驚いているのだ、私が女だったことに。私も、母が女だったことに驚いていた。/海は暗く深い女たちの血にみちている。私は身体の一部として海を感じていた」とあり(P.97)、タイトルの意味合いが積極的に述べられています。

(注6)劇場用パンフレット掲載の「Talks」(荒井晴彦氏と中沢けい氏の対談)より。
 なお、『女ともだち』も講談社学芸文庫に入っていますが、未読です。

(注7)さらに、高校を卒業し東京の下宿に行ってしまった洋に対して、高校2年生の恵美子は、「どんな扱いを受けてもいいから、あなたのそばにいたい」とか「欲求を満たすだけの役割でもいい。私の体なんてどうでもいい」と書いた手紙を送ります(実際には、母親が開封してしまい、洋には届かなかったのですが)。

(注8)映画の中で恵美子は、飲み屋にいた見ず知らずの男(三浦誠己)の部屋へ行き性的関係を持ちます。

(注9)この他、本作では、同僚のとき子阪井まどか)や洋の姉(高尾祥子)との関係も描かれますが、小さなエピソードにとどまっています。

(注10)原作では、恵美子が小学5年生の時に父親が亡くなっているとされ(P.40)、恵美子が高校1年の時からすれば、5、6年前のことになります。

(注11)例えば、母親は恵美子に対して、「夜遅くにバス停に迎えに行ったのは何のためだったの?親の苦労を無にして、何のつもりなの?何考えてるの?」と怒鳴ります。

(注12)さらには、本作の冒頭で、恵美子が死に際の父親の温もりを思い出したりするのを見ても。



★★★★☆☆



象のロケット:海を感じる時

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