映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

アリス・クリードの失踪

2011年07月09日 | 洋画(11年)
 『アリス・クリードの失踪』をヒューマントラストシネマ渋谷で見ました。

(1)この映画は、巷での評判が大層いいので見に行ってきましたが、実際にも大変よくできた作品だなと思いました。

 映画については、少しでもストーリーに触れると、見ていない人にとっては面白さが失せてしまうので、これから見るつもりがあるのであれば、以下は一切読まれないことをお勧めします。

 さて、物語は実に単純で、ある大金持ちの一人娘であるアリスジェマ・アータートン)を、ダニーマーティン・コムストン)とヴィックエディ・マーサン)の2人組みが誘拐しますが、そのうちに2人組は仲たがいしてしまい、結局は、……。
 粗筋だけからすれば、単純そのものです。

 ですが、これを3人の俳優だけで101分間演じ続け、最後まで全く飽きさせないというのですから大したものです。

 まず、アリスを誘拐して自分らの家に押し込めるまでの手際の鮮やかさといったらありません。
 ミニバンを盗んでナンバーを取り換え、その上で、様々の必要な道具類(電動ドライバーなど)、部屋を防音にし真っ暗にするために必要な物(窓に張る防音シートなど)、アリスを身動きできないようにするための用具(ロープ、手錠など)を、次々と購入して家に持ち込み、一つの部屋を監禁用として使えるように、何から何まですっかり変えてしまいます。

 そうしてから、アリスを拉致してきて、部屋に設けられたベッドの上で身動きできないように手足を拘束します(2人は覆面をしており、また声が出ないように、アリスの口の中にボールギャグを入れます)。
 その上で、アリスの親元に、拘束されている裸のアリスの写真とともに身代金を要求するメールを送りつけます。

 そこまではありふれた誘拐劇でしょう。としても、手はず通り極めてスムースに物事が運ぶ様は、誘拐事件ながらも、見ていて気持ちよく感じてしまいます。
 そして、そこからがこの映画の見どころとなります。
 ここまでうまく運んだにもかかわらず、少しずつずれが生じ、それに伴い3人の立場が次々に変化していくのです。

 ヴィックが外出中に、ダニーはひとりでアリスの生理的要求をしょりせねばならなくなり、ちょっとしたきっかけで、アリスはダニーの所持する拳銃を奪い取ってしまいます。
 ソウなると立場は逆転し、ついにダニーは覆面を脱いで、アリスがよく知っている男(恋人!)であることを明らかにしてしまいます。



 ですが、途中でヴィックが帰ってきたので、慌てて何とか元の拘束されている状態にアリスを戻します。ただ、ダニーは、自分の正体をアリスが知っていることがばれてしまうのではないかとびくびくします。

 そのうちに、今度は、ダニーとヴィックの関係が、なんとホモセクシュアルなものであることが明らかになります。これは、ヴィックの方がダニーを強く求めてといった感じながら、刑務所で一緒の時期を過ごしたことからくるものなのでしょう。



 そして、今度は、ダニーが外出することになり、アリスの服から携帯電話器が抜け落ちたことを見とがめたヴィックの脅しによって、アリスは、自分とダニーとの関係をヴィックに暴露してしまい、むしろヴィックとダニーの中を引き裂こうと努めます。



 というように、めまぐるしく人間関係が変化するものですから、3人の登場人物しか描かれずとも、ずっと緊張感が保たれたままになります。

 とはいえ、この映画の問題点としては、たとえば次のようなことが考えられます。
イ)営利誘拐において一番問題なのは、犯人側が如何にして身代金を入手するのかという点です。黒澤明監督の『天国と地獄』においても、そこが一番難しいこととされ、結局、列車の窓から身代金の入ったカバンを下に投げつけるという手法が使われ、当時、なるほどと皆が思ったものです(それが最近では、『誘拐ラプソディー』でもパロディー的に使われていました)。
 しかしながら、本作品では、肝心要のところが完全に省略されていて、ヴィックは取得した身代金の入った大きなカバンを手にしてこの家に戻ってくるのですが、いくらなんでもあんまりではと思ってしまいます。
(ちなみに、身代金は200万ポンドとされ、そうであれば現在のところ2.5億円くらいでしょうか)

ロ)アリスは、父親から勘当されていますから、ダニーらが娘を誘拐した旨のメールが家に届いても放置されることがありうるかもしれませんが、そこはやはり親子ですから万全を尽くすでしょう。ですから、当然のことながら警察には手配済みだと考えられます。
 ソウであれば警察は待ち構えているでしょうから、アリスは、ダニーから拳銃を奪った際に携帯電話器も奪って警察に電話するのですが、携帯電話の発信音からGPSで位置確認できる可能性があるのではと思われます。
 また、ヴィックがその携帯電話器を取り返してチェックした際に、アリスが警察に通報したことが判明します。にもかかわらず、ヴィックらはすぐにその家を放棄しようとはせずに、暫くそこでぐずぐずしているのです。

 とはいえ、この映画は、誘拐事件そのものを描くことが狙いではなく、3人の関係が変化する様をヴィヴィッドに描き出すことに焦点を当てていますから、それらの疑問点は、実はどうでもいいことなのでしょう。

 それにしても、ラスト近くで、まず、ダニーはヴィックに拳銃で撃たれるものの、突然姿が消えてしまい、どうしたのかなと不思議に思ったら、樹木の後ろに隠れてヴィックの追及を逃れるのです。重傷を負ったにもかかわらず、そしてヴィックがあちこち探すにもかかわらず、そんなに簡単に身を隠すことなどできるのか、と疑問に思ってしまいました。
 さらにその後で、ダニーは、ヴィックとアリスのいる倉庫に忍び込んで、ヴィックに銃弾を撃ち込んで立ち去るのですが、暫くするとヴィックは息を吹き返し、アリスの要請に従って、手錠の鍵が含まれている鍵束を放り投げ、やっとの思いでそれを確保できたアリスは、窮地を脱出します。
 ここらあたりは全体として、ひどくご都合主義的で、それまで保たれていた緊張感がやや途切れてしまう感じがあります。
 というのも、初めに、アリスが大金をせしめてこの地から消えてしまう(アリスの第2のdisappear)というイメージがあって、そこに話を収斂させるべく、当初の誘拐事件(アリスの第1のdisappear)が作られたかのような感じが、濃厚に漂ってきてしまうからですが。

(2)この作品では、登場人物がわずかに3人ですが、このところ、そうした映画が目立つ感じがあります。たとえば、『リミット』や『127時間』は1人、『スルース』(2008年)では2人、そして『フローズン』では3人といったところです(『127時間』や『スルース』は、複数の人間が登場する場面もありますが)。
 このように登場人物が少ないと、台詞中心の対話劇の趣が強く出てしまい、舞台をそのまま映画に持ち込んでいるような感じが一般にするものです。ただ、『リミット』、『127時間』や『フローズン』は、極限状況を描くものであるため、そう言う感じはほとんどありませんが、『スルース』は、劇曲をそのまま映画化したこともあって、舞台劇の感じが強く漂っていました。

 それでは、本作品はどうでしょうか?
 実は、本作品で見ごたえのある映画の前半部分は、ドアの開け閉めで人物が一人消え去り、残された二人による対話劇の趣を呈します。
 他方、ご都合主義が目立ちがちな後半になると、監禁する場所がそれまでの家から倉庫に変わり、また屋外のシーンもあったりして、舞台劇というよりも映画的な感じになってくるのは、酷く皮肉な感じがします。

(3)渡まち子氏は、「登場人物はわずか3人だが、濃密なドラマが展開し、脚本の上手さが光る1本」、「疑心暗鬼や駆引きは心理戦で会話が中心、その一方で、一発の銃弾や拾い忘れた薬莢、携帯電話という小道具を使った演出は、実に巧みで、リズミカルなものだ」「小粒だがピリリと辛い山椒のような、英国発のクライムサスペンスだ」として70点をつけています。
 福本次郎氏は、「秘密と嘘そして罠、言葉という毒が登場人物の心に広がり、蝕んでいく様子が非常にリアルだ」「誰を信じていいのか、何が真実なのか、疑心暗鬼の中で言葉は鋭い刃となり、拳銃よりずっと強力に、人間を動かす武器になりうる恐ろしさをこの作品は教えてくれる」として70点をつけています。
 前田有一氏は、「ミステリマニアならば、この大胆なタイトルを見ただけでこの映画の作り手が同類である事がわかると思う。フェアな伏線、あとからじっくり考えてもまったく矛盾のないロジカルなストーリーなど、そうしたジャンルの醍醐味を存分に味わえる良質な作品である」として85点をつけています。




★★★★☆



象のロケット:アリス・クリードの失踪

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文句じゃないが (milou)
2011-07-09 06:31:08
非常に面白く楽しめたので文句を付けるつもりじゃないが、
明らかに変だった点ひとつ。

冒頭からの準備段階では台詞がなく快調なテンポで“プロ”らしく
見える(それにしてもパンツまで履き替える意味不明だが…)。

さて誘拐時、車に乗せ“防音”装置までほどこした部屋に担ぎ込むまで
アリスは暴れっぱなしで悲鳴も漏れる。ところが搬出時には注射を打ち
失神状態で倉庫に移動する。変でしょ、それが可能なら搬入時こそやるべき。
出と入り (クマネズミ)
2011-07-10 06:26:51
milouさん、コメントをありがとうございます。
なるほど細部までよくご覧になっておられるのですね。おっしゃるとおりなのかもしれません。
ただ、強いて制作者を擁護すれば、たとえば、次のようなことも考えられるのではないでしょうか?
イ)搬入時にアリスに注射を打って失神させてしまうと、命乞いをするビデオ撮影が早い時期にできなくなってしまうと二人は考えたのではないでしょうか?
ロ)搬入時に大層暴れられたのに懲りたことから、二人は、搬出時にはアリスを注射で眠らせたのではないでしょうか?
ハ)搬入時と搬出時とで同じ映像では、映画的にツマラナイと制作者は思ったのではないでしょうか?
正解でしょう (milou)
2011-07-10 09:17:35
現実に拉致・監禁するためには当然ながら他人に気づかれては困るので
可能なら仮死状態にすべきだし、そうするでしょう。
しかし映画的に見た場合は、後の台詞にもあるように“証拠映像”に
迫真的な“恐怖”を演じて貰うほど価値が高まります。

当然、実経験はないので被害者の心理状態も推測ですが、
突然暴力的に車に押し込まれ目隠しをされ拉致される。
女性なので命と同様、暴行の恐怖が強いでしょう。
部屋に入るなり暴力的に全裸にされるのだから、なおさら。

そのような極限状態に持って行くには被害者にすべての過程を
認識・体験させることで“恐怖”が高まります。
もし車に乗せる前に失神状態にされ、気が付いたら密室で全裸
では恐怖に至る以前に“何が起きたのか”と冷静(?)な思考に
向かわせる可能性がある。

犯人が、そこまで考えてのことなら降参しますが…


舞台 (ふじき78)
2011-12-05 22:23:05
こんちは。舞台映えするかと言う疑問については私も思いました。監禁してる部屋、その前室。そしてアリスの引き渡し場所とほぼ背景も固定してるので、舞台になりやすそうに見えます。

しかし、この映画のかっこいいカット割を考えると、簡単に舞台に適しているとも言えなそうです。あと、舞台だと密閉された部屋と言っても、舞台の方に全開放されているのだから、映画ほど閉塞感が出ないかもしれません。映画でしかできない事を監督はかなり分かってるんじゃないでしょうか
舞台映え (クマネズミ)
2011-12-06 06:51:35
「ふじき78」さん、コメントをありがとうございます。
ご自分のエントリで、本作については何も書かないと宣言してしまうと、やっぱり“腹膨るる業”になってしまうのではないでしょうか?
それはともかく、この映画の話が「舞台映え」をしているかという点に関しては、おっしゃるように、「簡単に舞台に適しているとも言えなそう」ですね。特に、映画の前半部分は対話劇の様相を呈するものの、肝心のアリスは、大部分の時間ベッドに固定されているわけですから、通常の舞台では観客席から見づらくなってしまかもしれません。
また、通常の新劇において部屋の舞台装置が設けられている場合には、観客側にも壁が設けられていると想像しながら観客は劇を見る、というお約束になっているようです。ですから、本作を舞台に上げる場合には、演じる俳優が閉塞感を上手く出さなくてはならないのでしょうが、おっしゃるようになかなか難しいのかもしれません。

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