映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

しかし、それだけではない

2010年03月17日 | 邦画(10年)
 ドキュメンタリー映画『しかし、それだけではない。~加藤周一 幽霊と語る』を、渋谷のシネマ・アンジェリカで見てきました。

 2週間ほどの上映期間だというので、昔からの加藤周一ファンとしては、内容がどんなものなのかは全然確かめもせずに、先の日曜日に慌てて見に行きました。
 と言っても、亡くなった時はすでに相当高齢でしたから(2008年12月、89歳)、わざわざその映画を見たいと思う人はそんなにいないのではないか、と高を括っていました。
 ところが、驚いたことに各回ほぼ満席状態だとのこと。特に、先週の日曜日は、冷たい雨が降り続いていたものの、大勢の人が押しかけ、前回の上映が終わると、見終わった人が映画館を出ようとし、チケットを持った人は映画館に入ろうとし、合わせて、まだチケットを入手していない人が窓口に向かおうとして、雨でツルツル滑る狭い階段がニッチモサッチモいかなくなってしまい、大変でした!

(1)こういうドキュメンタリー映画について論評するのは至難の業ではないでしょうか?
 この映画の大部分は、加藤周一の語りなのです。であれば、その主張を正確に把握して検討するには、なにもこうした映画によらずとも、出版されている膨大な著書に当たるに如くはないでしょう。映画の中で加藤周一が語っていることを正確に覚えることなどできませんし、場内は真っ暗ですからメモ取りも困難です。無理をすれば、極めて不正確な内容となってしまうのがオチでしょう〔同じようなドキュメンタリー映画の『怒る西行』の場合は、まことにありがたいことに、シナリオが採録されていました!〕。

 でも、そんなことを言っていたら身も蓋もありません。以下では、加藤周一が何を映画で語っていたかを、少しだけ記してみることといたしましょう(全く不正確でいい加減なシロモノであることは、どうかお許しいただきたいと思います)。

 冒頭では、東大医学部に入学したことや、終戦直後には広島に被爆の実態調査に行ったことなど、彼の若い時分が辿られます。
 続いて、加藤周一が語り始めます。
 1941年に人形芝居を見に行ったこと、そこから能の話に飛んで、梅若万三郎の演じる「夢幻能」の話へ。そして、幽霊と語ることの意味に関し、幽霊は意見を変えないからいいのだ、と述べます。

 それから、たとえば次のように話しています。
 太平洋戦争の開始によって、自分は早晩死ぬ運命にあることを自覚した。そんな時に、絶えず暗殺を意識せざるを得なかった源実朝の『金槐和歌集』と出会って、滅び行く文化(和歌)に対する源実朝の執着に惹かれる(海について「沖」とか「嵐」を歌い込んだ歌人は、彼を除いていないのだ)。
 自分も彼も、“未来”はなかった。自分は26歳で終戦を迎えたが、26歳で暗殺された実朝と自分とを重ねて考えたりした(注1)。

 さらに、次のようにも語ります。
 友人の中西は、南方に派遣される途中、東京湾を出たところで米国潜水艦による攻撃によって戦死したが、そういう運命は自分が遭遇しても全然おかしなことではなかった。
 こうした強制的な死(死刑と戦争)には反対する。
 他方で、戦時中、言語学者の神田盾夫は、皆が国民服を着ていた時代に、ロンドンであつらえた背広で通勤し、またフランス文学者の渡辺一夫は、日記をフランス語で書いた。
 彼らは、戦争中に戦争に反対していたごく少人数の人たちだ。

 東大駒場での講演会(2006年12月8日)では、次のようにも話しています。
 「憲法9条擁護」という点で、老人と若者との結託ないし同盟が可能ではないか。というのも、若者は大学4年間が自由であり、老人は定年退職してから死ぬまでの期間が自由だから、自由なもの同士で手を握ることができるのではないか。
 世界に意味を与えるのは、それぞれの人間が持っている小さな意識なのであって、それは「平和」でなければ成立しない。だから平和が大切なのだ。

 死ぬ4か月前には、自宅で次のようにも語っています。
 10年後の未来は分からない。ただ、10年間憲法9条を守っていれば、少なくとも平和ではあるだろう。

 以上は語りに関してですが、残りの部分、たとえば、源実朝を高く評価している語りの部では、その著名な和歌と荒海の映像が流されたりします(ただ、私にはそんな事をする意味が全くわかりませんでした。源実朝が、現代歌人のように、実際の荒海を見てその光景をリアルに若に仕立て上げたとは考えられないからですが)。

 さて、こんな風に申し上げると、この映画がわざわざ制作されて一般公開されるに至った背景もおのずと分かろうというものです。要すれば、憲法九条擁護運動の一環として制作された、政治色の強いドキュメンタリーものといえるでしょう(注2)。
 なにしろ、見終わってから調べてみてわかったことですが、この映画の監督は、ノモンハン事変、アウシュビッツ、南京大虐殺などに関するドキュメンタリー番組を制作しているNHKディレクター・鎌倉英也氏なのです。
 先の、荒海の映像などは、日本が先の太平洋戦争に突入するに至る過程を象徴するものとして挿入されているのでしょう。

 なお、この映画では、東大構内の雑草が生い茂る一画に置かれた簡単な椅子に座って話す加藤周一の映像が映し出されます。また、構内を案内するかのごとく歩く姿も映し出されます。こういう映像を見ると、歩く速度は随分と早く、また眼光は鋭いものがあるものの、背中が相当曲がっていたりして、あの格好良かった人にしては随分と哀れな姿になってしまったな、とショックを受けました。
 ラストでは、亡くなる4ヶ月ほど前の自宅における映像が映し出されます。ただ、抗癌剤を飲んでいるとかで相当弱っている感じで、にもかかわらず語りの情熱は途切れずに熱心に話すものですから、もういいですよ、ゆっくりお休みくださいと言いたくもなってしまいます。

 全体としての印象ですが、この映画にもっと別のものを期待していたことから(あの切れ味鋭い物言いで、日本文化の最近の動向を縦横に分析してもらいたかったのです)、加藤周一があまりに戦争の話ばかりするため、かなり失望したというのが偽らざるところです。
 それでも、晩年の彼の姿を目の当たりにすることができ、感銘を深くしたのも事実です。


(注1)全くの偶然ですが、3月10日には、実朝を暗殺した公暁が隠れていたとされる大銀杏の巨木(樹齢1000年とされる)が、強風で倒れてしまいました!
 ただ、16日には、幹の植え付け作業が終わり、今後の再生が期待されるとのことです。
(注2)ご丁寧なことに、日曜日のお昼の回のあとでは、「九条の会」の事務局長である小森陽一・東大教授によるトークまで設けられ、より政治色が鮮明に出た催し物になってしまいました。


(2)ところで、このドキュメンタリー映画の最初の方では、信濃追分にある山荘の話がなされ、その現在の様子も映し出されます。
 『高原好日』(ちくま文庫)は、同地で出会った人々のことを綴った新聞連載をとりまとめたものですが、東京生まれの自分にとって、信州追分のある浅間高原は、「生涯を通じてそこへたち帰ることをやめなかった地点であり、そこに「心を残す」ことなしにはたち去ることのなかった故郷でもあるだろう」と加藤周一は述べています。




 さて、このブログの2月6日の記事で加藤周一について述べた際、その死を悼む核科学者・垣花秀武氏の文章を取り上げましたが、本書の中には、逆に加藤周一が垣花秀武氏について語った文章があります。
 そこでは、垣花氏の自然科学者でありカトリック信者でもある面に触れた後、「日本の伝統的文化への愛着」という「さらに第三の面」があるとして、「1941年12月8日の夜、新橋演舞場での文楽の引っ越し公演」の客席に同氏を見つけたことを書いています。
 おそらくこの出来事が、このドキュメンタリー映画の最初の方で「1941年に人形芝居を見に行った」と加藤周一が語っていることに符合するのでしょう。 



★★☆☆☆


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