映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

インセプション

2010年08月12日 | 洋画(10年)
 色々喧しく議論されているようなので、それではと『インセプション』を渋谷ヒューマントラストシネマで見てきました。

(1)なかなか理解が難しい映画だと聞いていたものですから、冒頭から心して見たせいか、それほど混乱せずになんとか見終わることができました。むろん、全部がわかったと言うつもりもありませんが。

 お話のあらましは次のようです。主人公コブ(デカプリオ)は、人の意識からアイディアを盗む仕事を請け負う企業スパイ。ある大企業トップのサイトー(渡辺謙)から、ライバル企業のトップとなる予定のロバートにあるアイディアを“思いつかせる”仕事の依頼があります。
 サイトーのコブに対する成功報酬は、その犯罪歴の抹消。というのも、コブは妻を殺害したカドで国際手配されていて、移動の自由が奪われています。実際には、妻は自殺したにもかかわらず(コブが、妻の潜在意識にある考えをインセプションしたがために、自殺してしまうわけですが)、殺害容疑が消えないために、コブは自分の子供に会えないのです。そこで、犯罪歴が抹消されれば入国管理を通過できるので、それを条件に、困難で危険な仕事に取り組むというわけです。
 この仕事を達成するために、卓越する専門的知識を持つ者から構成されるチームが結成されます。そして、目的の人物ロバートの潜在意識に入り込むには、ロバートを含め全員が共通する夢を見る必要があり、そのため、彼らとロバートとが同じ小型飛行機に乗り合わせる機会が利用されます。

 潜り込む潜在意識は3階層あって、植え付けたアイディアが自発的なものとロバートに思わせるには、危険な3番目の階層に辿りつかなくてはなりません。
 ところが、ロバートの方でも、自分の潜在意識を守るために強力な守備部隊を配置している上に、コブの自殺した妻も第3階層に出現して、コブの行く手を妨げます。
 サイトーが守備部隊の放った銃弾によって瀕死の重傷を負ったりするものの、ロバートを含む全員が、なんとか所定の時間内にリアルな意識に戻って、笑顔のうちに小型飛行機から降り、コブも無事に入国でき、そして、……。

 この映画は、を共有するとか、人の潜在意識に潜入するとか、その潜在意識には3つの階層があるとか、なんとかかんとか、いかにも心理学的な専門知識に裏打ちされているかのごとく装ってはいますが、全くのファンタジーであって、そんなおどろおどろしい専門用語じみた言葉遣いに惑わされる必要は何もないと思います。

 だいたい、潜在意識とか無意識は、意識化できないからこそ“潜在”とか“無”というわけで、その有様を夢によってせいぜい間接的に把握するというのが精神分析あたりでしょう。ですから、ビル群とかなんとか目に見えるもので表されている夢を如何に解釈するかが問題であり、「設計士」が外側から夢を作り替えてしまえば、潜在意識など補足できなくなってしまうのではないでしょうか?

 また、潜在意識の間では時間の進行が異なるというので、橋から落下する車はスローモーションで映し出されますが、これはどの意識段階から眺めた光景なのでしょうか?だって、その階層にいるのであれば、自分たちの動きが遅いとは意識しないはずでしょうから!とすると、違う階層から別の階層の光景を見たというのでしょうか?ですがそんな神様みたいなことができるのでしょうか?その神様にしても、いったいどの地点からこの光景を見たというのでしょうか?

 すべては、話を観客に分かりやすくするために絵解きしているに過ぎないものばかりですから、どんなルールに従って映像化されているのかを掴んでさえしまえば、話の筋の大体のところは把握できるはずです。
 それに、ラストシーンの駒は回り続けるのかそうでないかは、その先がカットされてしまっているためにどうなるのか分からず、そんな点を議論してみても仕方がないのではと思います。

 この映画は、こんな心理学的な装いを捨て去ってしまい、最近のSF物のように、いろいろな可能的世界を渡り歩く話と理解してしまえば、ずっと受け入れやすいのではないでしょうか?
 そんな可能的世界ならば、都市の半分がめくりあがったり、また無人のビルが無数に立ち並んでいたり、海岸沿いのビルが次々と崩壊しても、少しもおかしなことではありません!
 あるいは、村上春樹氏の『1Q84』が描いている物語―月が一つの世界から月が二つある世界へ行き、また元の世界に戻るお話―を若干複雑化したものと思ってもいいのかもしれません。なにしろ、『1Q84』は、月が二つある世界で、オーム真理教のカリスマ教祖のような人物を暗殺した「青豆」という若い女性と「天吾」という小説家が、元の月が一つある世界に手を携えて戻るというストーリーで、雰囲気としては、今度の映画によく似ているのではと思えるのですが。

 余計な虚仮威し的なところを取っ払ってしまえば、この映画はいつものアクション物であり、第1階層でのカーチェイスとか第3階層における守備部隊との銃撃戦とかは、十分楽しめるものではないかと思いました。

 俳優陣では、デカプリオはいつもながらの持ち味を発揮していますが、今回特に興味を惹いたのは、彼の相棒アーサーに扮したジョゼフ・ゴードン=レヴィットです。第2階層におけるエレベーター内での作業を実に黙々とこなしている様は、この映画でも出色ではないでしょうか?
 さすがに、あの『(500)日のサマー』の主役を演じた俳優だけのことはあるなと、いたく感心いたしました。

(2)映像に映し出されているのが、現実なのか主人公の想像によるものなのか、実際のストーリーはどのように進行しているのか、と言ったことが曖昧模糊として良く分からないという経験は、以前見た『脳内ニューヨーク』でも味わいました。



 最近そのDVDがTSUTAYAで借りられるとわかり、早速見てみました。依然として理解しがたい感じに包まれるものの、もしかしたら主人公ケイデンフィリップ・シーモア・ホフマン)の後半生を描いた作品で、その中に彼が妄想で作り上げた劇作が紛れ込んでいるのでは、と思えてきた次第です。
 主人公ケイデンは戯曲の演出家ながら、ある日突然、愛する妻が娘を連れて家を出てしまう一方、これまでの業績から、多額の賞金が付いた賞を受賞します。
 ここで、妻の個展にケイデンが出かけるエピソードや、娘が全身にタトゥーを入れた姿でヌードモデルとなるものの難病にかかって死んでしまう話、ケイデンが劇場の受付嬢ヘイゼルと親しくなったり、女優との間で子供をもうけたりしながら、最後に死亡するに至る話は、一応リアルな世界の出来事ではないか、と思われます。
 他方で、受け取った多額の賞金を使って、マンハッタンにある巨大な倉庫を購入し、その中にニューヨークの街のセットを作り、そこで自分自身の真実の人生をありのままに描き出そうとする話は、ケイデンの脳内の妄想によるものではないかと思われます。

 ただ、そう振り分けても、うまく理解できないケースがいくつも出てきます。
 たとえば、ケイデンは、自分が作ろうとする劇に、自分自身も登場させようとして、ケイデン役を募集すると、これまでたえずケイデンのことを追跡してきたという男性サミー・バーナサンが現れます。すると、彼がケイデン役を演じればサミー役は誰がやるのか、ということになり、それではということでサミー役の男性が現れます。映画ではこれ以上は追及されませんが、本格的に辿れば、無限にこの役を募集する必要が出てくることでしょう!
 それはともかく、ケイデン役になったサミーは、実際のケイデンと同じようにヘイゼルと親しくなろうとします。すると、本物のケイデンは、どうしてサミーと親しくするのかとヘイゼルを叱りつけます。すると、それを見ていたサミーが、人生に絶望して飛び降り自殺してしまいます。
 いったいこれはどこまでがリアルな世界で、どこまでが妄想の世界の話なのでしょうか?

 この映画は、『インセプション』と違いアクションなど娯楽的要素が全くないため、こうした疑問にはまり込むと出口がなかなか見つからず、放り投げるか考え続けるかどちらかせざるをえなくなってしまいます!
 でも、『インセプション』のような虚仮威し的な感じはマッタクしませんでした。

(3)映画評論家は、総じてこの作品に対して好意的であるように思われます。
 福本次郎氏は、「もはや夢と覚醒の境界線は曖昧になり、夢の中の夢の中の夢の中の夢という恐ろしく複雑で壮大な構成に、主人公が軸足を置いている現実でさえ夢なのではという疑問にさらされる。時間も空間も歪み重力さえなくなる夢の情景を描いた映像は細部にまでリアリティが宿り、圧倒的な情報量は視覚的表現の可能性のさらなる進化を実感させる」として、80点という高得点を、
 渡まち子氏も、「夢という無形で無限の素材を使い、犯罪、アクション、ラブストーリーまで組み合わせた前代未聞のこの映画、“邯鄲の夢”にも似た物語はなるほど複雑だが、思わず唸る面白さだ」として70点を、
 前田有一氏は、「凄いものを作ったものだと頭では理解できるものの、感情に響くものは少なく、改めて鑑賞したいという欲求はあまり起こらなかった」として65点を、
それぞれ与えています。

 ただ、前田氏は、「現実と非現実の境界。真実(と信ずるもの)を知ったほうが幸せなのか否か。そんなややこしい哲学的問題を描く『インセプション』は、映画の内容もかなり複雑」と述べたり、「『インセプション』は本来、前日には十分な休養をとり、ワンシーン、ひとつの台詞たりとも見逃さない覚悟で、3回くらいは見ないと作品の真意を理解するには至らないであろう、重厚な作品である」とか、「ユング心理学でいう、集合的無意識の共通、の概念をモチーフにしているのかなと思う」とか述べたりしているところ、こういう物言いこそが、この映画を神棚に祭り上げているのだと言うべきではないでしょうか?




★★★☆☆


象のロケット:インセプション

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4 コメント

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TBありがとうございました (ゴーダイ)
2010-08-12 11:02:20
>ラストシーンの駒は回り続けるのかそうでないかは、その先がカットされてしまっているためにどうなるのか分からず、そんな点を議論してみても仕方がないのではと思います。

同感です。何度見たって描かれてないんですからね。

それと、前田有一さんの「ユング心理学でいう、集合的無意識の共通、の概念をモチーフにしているのかなと思う」ってコメントなんですが、集合的無意識ってそういう概念でしたっけ??
Unknown (かからないエンジン)
2010-08-21 18:38:48
TBありがとうございます。
この映画にイマイチのめりこめなかった者の一人です。

発想自体は面白いのですが、いかんせん「おカタい」感じがして・・・。
「どうせ夢の中なんだから~」という台詞があるんだから、もっと派手にやってくれても良かったのに。

インセプションはdeceptionか (白いカラス)
2010-08-27 16:43:10
  この映画の受け取り方も、これも感性の問題かも知れません(映画監督の名前はまるで興味対象外ですから、名前に感じてありがたく見せていただくという観念がありません)。他人の夢に入り込んで、これを知り、操るということは、それなりに面白いと思いますが、その活動の依頼者の渡辺謙があまり大金持ちという感じがなく、たいへんな作業の割に報酬もそれほどでもない、夢に入り込まれる者もあまりたいした人物ではないように感じて、話がなんだかつまらないと思った次第です。
  その内容はとなると、現実と夢のなかとが交錯し、夢のなかにさらに夢があるなど、設定が分かりにくいこともあり、私も映画同様、半ば寝ながらお気楽に観ていましたから、ますますよく分からなくなります。いろいろな場面がよく綺麗に映っていて、グラフィック面でたいへん工夫をし、金がかかっていたかもしれないと感じたものです。私のような理解力のない人から見れば、この映画は、だから何なんだといいたい内容のストーリーではないかとも思われます。

  ディカプリオ様と渡辺謙が登場するということで、映画館では一番大きな部屋が割り当てられ、私の観た回は一番人が入りそうな回ではありましたが、前の数列を除き、お客が一杯だったという入りにまずビックリしました。yahoo!!映画には☆5つの評価が多くありますが、これら評価の多くがサクラではないかと感じるものです(もし、本当に良く理解しての投稿でしたら、御免なさい)。もっとも、ゲームのなかに本作のような数重層構造の遊びがあるようで、こうした感覚に慣れたひとは楽しく観て、かつ理解できたという声も聞きました。だから、サギかカラスかは、ご自身の頭で考えてみることになります。
サギ?カラス? (クマネズミ)
2010-08-29 10:55:48
 「白いカラス」さん、わざわざコメントをいただき、ありがとうございます。
 私にとってこの映画は、人間の無意識の世界を描いた重厚な作品(「サギ」でしょうか)ではなく、といって荒唐無稽なつまらないもの(「カラス」でしょうか)でもなく、デカプリオを主役とするアクション映画にゴテゴテした衣を付けたシロモノに過ぎないものの、カーアクションなどそれはそれとして楽しめる、といった感じです。
 とすれば、まさに「白いカラス」とも言えそうです!

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