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ジェームズ・アンソール展

2010年02月06日 | 美術(10年)
 ブログ「はじぱりlite!」の1月28日の記事によれば、パリのオルセー美術館では、昨年から今年にかけて「ジェームズ・アンソール展」が開催されているとのことです。

 アンソールの絵は、仮面とか骸骨などが描かれていることが特徴的とされ、それは、「近親の人々の死に色濃く影響されているように思」われるものの、その記事を書いたtrippingdog氏は、次のように述べています。
 「アンソールの絵画に、いわゆる「」の暗いイメージはほとんどないように思います。それは、死すらドラマチックな物語に回収してしまう常識的な価値観への強烈なアンチテーゼにも見えますし、また、死すらもひとつのオブジェとして描いていく絵画という芸術への、崇高なオマージュを見るような思いがしました」。

 さて、私がアンソールの絵の実物を見たのは、2004年に東京都庭園美術館で開催された「ジェームズ・アンソール展」においてですが(注1)、ただ画家の名前を知って酷く変わった絵を描く画家だなと思ったのは、小説家・福永武彦の『藝術の慰み』(1970、講談社)によってです。

 同書では、22人の西欧の画家が取り上げられているところ、アンソールについては、例えば次のように述べられています。
 アンソールの場合、「自分を「慰める」ために仕事」をしたといえるが、そうであっても、「彼の芸術が、あなたをも慰めないときまったわけではあるまい。この奇怪な、魅せられたように骸骨と仮面とを描いた、諷刺と虚無との画家の作品に、不思議な感動を覚えるのは私ばかりであろうか」。
 また、「アンソールにとって、人間とは、骸骨の上に肉を纏い仮面をつけただけにすぎ」ず、「人間性への疑惑と反抗とが、自己をもその中に含んで、殆ど生きながら死と共にあった」などとも述べられていて、40年ほど昔には、やはりアンソールの絵に「「死」の暗いイメージ」を読み取っていたのではと思われるところです。

 福永武彦(1918~1979)は、小説『草の花』とか『死の島』などで著名ですが、詩人でもあり、太平洋戦争中には同世代の文学者と文学同人「マチネ・ポエティク」を結成し、定型押韻詩を試みたりしています。
 また戦後、「マチネ・ポエティク」の同人の評論家・加藤周一と小説家・中村眞一郎との3人で、評論集『1946年・文学的考察』を刊行してもいます。

 そういうこともあって、加藤周一は、福永武彦の死に際して、次のような文章を表しています。
 「福永武彦は私の友人である。彼が危機を脱して、私が安心したというよりもほとんど有頂天になっていたときに、突然、私の家の電話が鳴った。/その翌日の朝から、―福永はもういなかった。私の見なれた周囲の風景は、そのまま未知の別の風景であるかのように見えた。/泣きたいときには、私はひとりで泣くだろう」。

 さらに、中村眞一郎(1918~1997)の死に際しても、加藤周一は次のように述べています。
 中村眞一郎は「若くして両親を失い、孤独な病身を養って、多く読み、多く書き、1997年の降臨祭の夜熱海の小さな病院で死んだ」が、「彼との交友は半世紀以上に及んだ」。「戦後日本文学の「前衛」は原則に従って生き、原則に従って書いた。それは尊敬に値することである」。「われわれが今何を失ったのかということは、棺を蓋うて後ただちに定まるのではなく、やがて長い間に明らかになってゆくことだろう、と思う」。

 その加藤周一(1919~2008)も、1年ほど前に亡くなってしまい(注2)、昨年末には、29編の追悼文を集めた『冥誕』(かもがわ出版)が出版されました(注3)。



 その中で、核化学者・垣花秀武氏(1920年~)は、次のように述べています(注4)。
 「君は人に優しく友情に篤く、つねに弱者の味方で、例えば女性の立場についてもありすぎるほどの理解があった。強靭な理性と正義感とともに、温かい情がつねに君を離れなかった。そのような類いまれなる人間である君と、70年近くこの地上でつき合えたことに私は深く感謝する。しかし、加藤周一君よ、君が亡くなり、僕は本当に悲しく寂しい」。

  『藝術の慰み』において福永武彦は、画家を論じた後にその画家から連想される詩人にも言及しているところ(注5)、そのひそみに倣って、ここでは加藤周一等にも若干触れてみましたが、今頃空の彼方で、福永、加藤、中村の3人が、冒頭に掲げたアンソールの絵(注6)のように、仮面を被ったり骸骨に変身したりしながら楽しく談笑しているのかもしれません。



(注1)この展覧会では140点もの作品が展示されましたが、その時のカタログを見ると、葛飾北斎の絵手本『北斎漫画』を模写したデッサンが10点近くも含まれています。
(注2)既に、平凡社から5巻の『加藤周一セレクション』(平凡社ライブラリー)が出されており〔上記の加藤周一の2つの文章は、「2(日本文学の変化と持続)」に掲載〕、また現在、岩波書店の『加藤周一自選集』全10巻が刊行中です。
(注3)興味深いことに、福永武彦の息子である作家・池澤夏樹氏の追悼文も収録されています。
(注4)加藤周一著『高原好日―20世紀の思い出から』(ちくま文庫)の「23 垣花秀武」は、「畏友、垣花秀武は軽井沢離山の山荘に、風の如く来たり、風の如く去る」と書き始めて、その自然科学者、カトリック信者、そして日本の伝統文化愛好家である人物像が、実に簡潔に描き出されています。
(注5)アンソールの絵から連想される詩人として、『青い鳥』で知られるマーテルリンクが取り上げられています。
(注6)「笑から涙へ」1908年。


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