映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ミケランジェロの暗号

2011年09月21日 | 洋画(11年)
 『ミケランジェロの暗号』をTOHOシネマズシャンテで見ました。

(1)この映画は、ナチス物と言えば言え〔映画の中でヒトラーやムッソリーニに関することは話題に上りますが、実際には登場しません。ただ親衛隊(SS)将校は何人も登場します〕、また強制収容所も出てくることは出て来ますが、これまでの映画のように、そうした事柄自体を非難することよりも、むしろそうした装置を巧みに使って、実に愉快で面白い物語に仕上げています。

 映画は、第2次大戦末期のお話。ナチスドイツは、イタリアとの同盟関係の一層の強化を図るべく、ムッソリーニに「ミケランジェロの素描」を贈ろうとし、それを所有していると聞きこんだオーストリアの画商から押収しようとします。

 映画の冒頭では、ウィーンに住むユダヤ人画商の息子・ヴィクトルモーリッツ・ブライブトロイ)が、隠匿しているはずの本物の「ミケランジェロの素描」の在り処を白状しないことから(注1)、SS本部での尋問のためウィーンからベルリンへ移送される途中、乗っていた飛行機が墜落、そのどさくさで、ヴィクトルはSS将校になりすましてしまいます。

 実は、この飛行機事故で助かったのは、ヴィクトルとSS将校の2人なのですが、このSS将校というのが、ヴィクトルの画廊で雇われていた女使用人の息子ルディゲオルク・フリードリヒ)で、元々はヴィクトルの親友だったのです。
 彼は使用人の息子であるために、いくらヴィクトルが家族扱い・親友扱いしようとも、劣等感に苛なまれていたのでしょう、ある時期ベルリンに行っていたと思ったら、時節柄SS将校となってウィーンに戻り、逆にヴィクトルを尋問する立場に逆転したというわけです(結局、ヴィクトル一家は強制収容所に入れられてしまいます)。

 ですが、ルディが飛行機事故による傷で動けなくなってしまったために、またもや立場が逆転し、ヴィクトルはルディが着用していたSS将校の制服を身にまとい、逆にルディはユダヤ人用の衣服を着ざるを得ない破目になってしまいます。
 とはいえ、それも長くは続かず、再度立場は逆転し、ヴィクトルは強制収容所に入れられてしまいます。
 しかしながら、どうしても本物の「ミケランジェロの素描」が見つかりません。というのも、強制収容所で亡くなったヴィクトルの父親が、新進画家にその模写を何枚か頼んでおいたことから、SSが模写に振り回されてしまったためなのです。

 ここから先、ヴィクトルやルディーがどうなるのか、本物の「ミケランジェロの素描」は見つかるのかどうか、などといった点は見てのお楽しみにしておきましょう。

 ただ、邦題に「暗号」とあるところから、謎解きと身構えて見るよりも(謎自体は至極簡単なことなので、すぐにわかりますし)、原題「Mein bester Feind」(英語のタイトル「My Best Enemy」)の意味するところを愉しんだ方が面白いのではと思いました。

 この映画でヴィクトルを演じたモーリッツ・ブライブトロイは、これまた傑作の『ソウル・キッチン』において主人公ジノスの兄イリアスを実にコミカルに演じていて、本作でもただでは済まないのではと思っていたところ、案の定、その演技力の素晴らしさに圧倒されました。



 また、ルディに扮したのは、ゲオルク・フリードリヒで、一方では、劣等感にさいなまれ、SS将校としてヴィクトルを酷い目に遭わせながらも、他方、長年親しく付き合ってもらっていたことや、飛行機事故で救出してくれたこともあり致命的なところまでヴィクトルを追い込めない気の弱さもあるといった二面性を持った難しい役をうまくこなしています(なお、彼は『アイガー北壁』でオストリア隊の一人を演じていたとのことですが、覚えがありません)。



 さらに、紅一点的なレナ役にウルズラ・シュトラウスが出演しています。そしてこのレナも、一時ルディと婚約するものの、それはヴィクトルの財産を守るためであって、実はヴィクトルをずっと愛していたという二面性を与えられている役柄であり、それを彼女は随分と魅力的に演じています。



(2)以上の簡単な要約からもお分かり願えるでしょうが、本作の眼目は、主人公の立場が目まぐるしく入れ替わるという点にあると思われます。
 なかでも、SS将校のルディとユダヤ人のヴィクトルが入れ替わって、暫くの間それが通用してしまうところが、実に面白く描かれています(注2)。

 こうした身分や立場が入れ替わってしまうとか、人が入れ替わってしまうという筋立ての物語はこれまでも随分作られてきました。
 古くはマーク・トウェインの児童文学『王子と乞食』とか、モーツアルトのオペラ『コジ・ファン・トゥッテ(女はみなこうしたもの)』などがスグに挙げられるでしょう。

 最近見た映画ではクリント・イーストウッド監督の『チェンジリング』があります。
 失踪した息子が戻ってくると言うので、駅に出迎えた母親(アンジェリーナ・ジョリー)が、その子供を見てこれは自分の息子ではないと言い張るところから、この映画は始まり、警察が母親の言い分に取り合ってくれないために、彼女と警察との戦いが続いていくという展開となります。

 また、歌舞伎でいえば、例えば、『寺子屋』(『菅原伝授手習鑑』の四段目)において、松王丸は、自分の実子である小太郎の首を見て、内心は驚愕しつつも菅丞相(菅原道真)の子息だと確認します。

 これらと比べると、本作においてヴィクトルは、ユダヤ人でありながらもSSの制服を身にまとい、しばらくの間はそれで通用してしまうという奇想天外なことをしでかしながらも、コメディタッチで描かれているために、誠に愉しい作品となっています。

(3)渡まち子氏は、「思うに、本物というのは、収まるべきところに収まってこそ真の本物たりうるのではないか。物語は、ヴィクトルの母親を、手に汗握る駆け引きで救出した後、あっさりと終戦となる。だが狡猾にも画商に収まったルディに対して、ヴィクトルが打つ“最後の大勝負”が本当のクライマックスだ。ミケランジェロがウィンクしたかのようなラストは、爽快で胸がすく」として70点をつけています。
 また、福本次郎氏も、「知恵と機転で命の危機を生存のチャンスに変える主人公。彼の奇想天外な発想と驚きの行動力は時にスリリングで時にコミカルだ。映画は幻の名画を巡るユダヤ人画商とナチス親衛隊員の駆け引きを通じて、ホロコーストのか弱き犠牲者というステレオタイプではない第二次大戦中のユダヤ人像を描く」として70点をつけています。


(注1)映画では、「ミケランジェロの素描」について、400年前に見失なわれたものの、ヴィクトルの先祖が150年前に入手したとされ、以来ヴィクトルの画廊で秘密に保管していました。
 画廊で行われたオークションに際しての記者会見において、イタリア人記者に、その絵は今どこにあるのかと尋ねられて、ヴィクトルの父親は、鑑定を依頼されて一時的に自分の下にあったが、今ではアメリカの所有者に返却されているなどと嘘を答えています。
 イタリア人記者の質問には、元来その絵はイタリアのものなのだからイタリアに返却すべきではないのか、ということが背景にあり、ですから、独伊の同盟関係強化のための格好の贈り物として、この絵に目が付けられたわけです。
 なお、ヴィクトルの画廊が秘密に隠し持っていることがナチスに分かってしまったのは、家族同様に扱って信頼していたルディにヴィクトルがこの絵を見せためで、密かにSSに入隊していたルディがその情報を上官に密告したことによります。

(注2)むろん、この点に関しては問題点はすぐに指摘できるでしょう。
 例えば、ルディがあれほど自分はユダヤ人ヴィクトルではなくSS将校のルディ・スカメルなのだと言っているのですから、本部に問い合わせをするなり、SS将校として知っておくべき事柄をいくつか質問したりすれば、たちどころに化けの皮ははがれてしまうことでしょう。
 ですが、そんな野暮なことは言わずに映画を楽しむべきだと思われます。



★★★★☆




象のロケット:ミケランジェロの暗号