映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

カールじいさんの空飛ぶ家

2009年12月28日 | 洋画(09年)
 アニメ「カールじいさんの空飛ぶ家」をTOHO日劇で見てきました。

 少し前に同じデズニー映画の「クリスマス・キャロル」を見たばかりですが、その時は「パフォーマンス・キャプチャー」の方に目が行ってしまいがちだったので、もっと純粋のアニメで3Dを見たらどうだろうかと思っていたら、この映画が公開されたというわけです。

 この映画も特別のメガネを使って見たところ、3Dに関しては、「クリスマス・キャロル」でも思いましたが、観客をも引き込むような臨場感のある場面というのは数えるほどしかなく、あとは別に3Dにしなくともといった感じでした(自然の風景を描くシーンでは、近景・中景・遠景と分離されるものの、通常の場面はマア立体的だなといったレベルです)。

 それではストーリーの方はどうかというと、予告編からすれば、カールじいさんの妻であるエリーがもっと活躍するのかな、話自体はエリーが死んでからのものになるにせよ、何らかの形〔誰かに姿を変えて〕で登場するのかな、と思っていましたら、当初の10分間で色々動き回った後はまったく登場しないものですから、一寸拍子抜けといった感じになりました(エリー以外の女性はほとんど登場しない少し不思議な映画です)。

 代わりに登場するのがラッセルという子供で、カールじいさんと二人で大冒険をします。
 ただ、邦題からすると今度はカールじいさんの出番かと思うと〔原題は「UP」〕、確かに彼は頻繁に登場することはしますが、風船で空中に吊り上げられた家(カールとエミリーが暮らしていた家)を目的地まで引っ張っていくのが主な仕事で、様々に活躍するのはこちらのラッセル坊やなのです!

 なにしろ、ラッセル坊やが、怪鳥ケヴィンの救出を強く主張したがために、カールじいさんは、大事な思い出の詰まった家を手離す破目になってしまうのですから!
 それでも、どんどん飛行船の上から下の方に落下していった彼らの家は、最後の場面からすると、偶然なのでしょうが、目的地だった滝の上に着地したことになっていて、まずは目出度しといったところです。

 そうなのです、この映画の前半は、カールがエリーに行こうと約束していた南米ギアナ高地の“パラダイスの滝”(実際の滝は「エンジェル・フォール」)のそばに、二人が暮らしていた家を運ぶお話なのです。
 そして、このアニメでは、最近まで人跡未踏だったギアナ高地の様子がかなり克明に描かれていて、それを見るだけでも心が躍ってしまいます。
 というのも、このところいろいろな映像がTVでも放映されますが、あの巨大な台地が雲の間から覗いている様子は何度見ても不思議で、もっと探索を進めれば、これまで見たこともないような動植物などに遭遇できるのでは、と期待を持たせるところなのですから!

 そうした興味津々たる奇怪な地形を持った場所と、現代のアメリカとが簡単につながってしまうのですから、これはアニメの独壇場と言えるでしょう〔とはいえ、何故そんな途方もないところを訪れてみたいとカールとエリーが考えていたのかは、何も描かれてはいないので酷く唐突に感じられはするのですが!〕。

 怪鳥ケヴィンとか犬のタグと伝説の冒険家たちとの戦いなどの描き方は、これまでのディズニー映画そのものであまり新鮮味は感じられないものの、ギアナ高地を前面に取り出したという点で、このアニメ映画には○を与えてもいいのでは、と思いました。

 なお、評論家たちは次のように評しています。
 前田有一氏は、「本作はピクサーが初めて「飛び出す」立体映画にチャレンジした作品だが、正直なところメガネの立体効果を生かしているとは言いがたい」ものの、「2009年のアメリカ人が心地よく感じるであろう要素を主軸に組み込んだ、高度な計算に基づく作品」だとして85点の高得点を与えています。
 渡まち子氏も、「この映画の最大の見所はと聞かれたら、迷わず、冒頭の、セリフなしのモンタージュ形式で描く、カールとエリーの人生の物語だと断言する」云々として80点をつけています。
 ただ、福本次郎氏は、「いくら年をとっても未来に目を向けている限り人生は有意義なものであり続けることをこの映画は教えてくれる」ものの、「それはカールほどの元気があればの話で、たいていは加齢とともに体力も衰え気力を無くしていく現実をこの作品はもう少し考慮すべきだろう。。。」として50点しか与えていません。

 少し揚げ足取りをすれば、前田氏は評論の中で、「本作のテーマは、何度も繰り返される「別れ」。すなわち「別れの重層構造」のなかにあった」と、「この映画の中でしつこいくらいに描かれる「別れ」」を発見したことで有頂天になっている感じですが、何か新しいものを「見つける」からこその「別れ」なのであって、別に「別れ」だけがそこらに転がっているわけではないと思われますが。
 また、福本氏は、「加齢とともに体力も衰え気力を無くしていく現実」を考慮すべきと言いますが、何もこうした楽しいアニメでわかりきった厳しい現実をことさらめかしく「見つけ」なくとも良いのではないか、と思えるところです。


象のロケット:カールじいさんの空飛ぶ家