(写真:京都/御所、京都御所の建礼門<京都市上京区>)
初詣で京都御苑蛤御門の斜め向かいにある護王神社に参拝した(前回)後、京都御苑によっていきました。
人が、人がいませんでした!
蛤御門。
江戸時代末期の元治元年(1864年)、この門の周辺で長州藩と、御所の護衛に当たっていた会津・薩摩藩との間で激戦が行われた。この戦いが「蛤御門の変(禁門の変)」で、門にはそのときの鉄砲の玉傷が残っている。
この門は新在家門といわれていたが、宝永の大火(1708年)の際にこれまで閉ざされていたこの門が初めて開かれたため「焼けて口開く蛤」にたとえて、蛤御門と呼ばれるようになったといわれる。
柱にあいた穴が鉄砲の玉傷(恐らく)。
蛤御門をくぐると、目の前に京都御所の築地塀が見えてくる。
京都御所の南西の角。
京都御所の南面の建礼門。
建礼門。
ちょっと離れてから望む。誰もいないな~
もともとだだっぴろい京都御苑。普段でも人口密度が低いから人が多いとは思えないのに、時期・天候が味方して(?)こんなにも人がいない。
建礼門前大通りの南の端から北方向(建礼門のある方向)を見る。
この広い視界の中に人がいないのはある意味爽快です。
京都御苑の中の木。
落葉して、寄り添うように2本の木が佇む。
堺町御門。裏側(御苑内)から望む。
門の向こう側は、丸太町通。
堺町御門。表側(御苑の外)から望む。
<<京都御苑>>
住所:京都市上京区京都御苑
リンク:京都御苑HP。
<<京都御所>>
住所:京都御苑内
リンク:宮内庁京都御所HP。
<<京都>>洛中、御所。
初詣で京都御苑蛤御門の斜め向かいにある護王神社に参拝した(前回)後、京都御苑によっていきました。
人が、人がいませんでした!
蛤御門。
江戸時代末期の元治元年(1864年)、この門の周辺で長州藩と、御所の護衛に当たっていた会津・薩摩藩との間で激戦が行われた。この戦いが「蛤御門の変(禁門の変)」で、門にはそのときの鉄砲の玉傷が残っている。
この門は新在家門といわれていたが、宝永の大火(1708年)の際にこれまで閉ざされていたこの門が初めて開かれたため「焼けて口開く蛤」にたとえて、蛤御門と呼ばれるようになったといわれる。
柱にあいた穴が鉄砲の玉傷(恐らく)。
蛤御門をくぐると、目の前に京都御所の築地塀が見えてくる。
京都御所の南西の角。
京都御所の南面の建礼門。
建礼門。
ちょっと離れてから望む。誰もいないな~
もともとだだっぴろい京都御苑。普段でも人口密度が低いから人が多いとは思えないのに、時期・天候が味方して(?)こんなにも人がいない。
建礼門前大通りの南の端から北方向(建礼門のある方向)を見る。
この広い視界の中に人がいないのはある意味爽快です。
京都御苑の中の木。
落葉して、寄り添うように2本の木が佇む。
堺町御門。裏側(御苑内)から望む。
門の向こう側は、丸太町通。
堺町御門。表側(御苑の外)から望む。
<<京都御苑>>
住所:京都市上京区京都御苑
リンク:京都御苑HP。
<<京都御所>>
住所:京都御苑内
リンク:宮内庁京都御所HP。
<<京都>>洛中、御所。
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