gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

パーッと消えましたっ!! 読書データ2年分

2009-03-23 20:07:06 | 読書

.

 3年前からパソコンでつけていた読書ノートのデータが、突然消失した。

 2年間、約300冊分が。

 一瞬のうちに、わけのわからないまま。消えた(涙)。

.

 使っていたのはジャストシステム社の「マイペンシル」というソフト。

 特別な操作をしたわけではない。ふつうに使っていて、ふつうにクリックしたら、まったくの初期画面になっていた。

 男と女でも、友人とか肉親とかでも、突然の別れというのはありますけどね。

 まさか、あれが最後の場面だとは知らなかった、というのが別れの常ではありますけれどもね。

 そうですか。消えましたか。痕跡も残さず。きれいさっぱり。く~。

.

 3年前、蔵書(といっても雑本ばかりだが)のあらかたを処分した。そして、以降、本は読んだら読書ノートにつけ、手元に残さないのを旨としてきた。

 この読書スタイル、かなり気に入っていたのだが。

 いま、悩んでいる。読書ノートを再開すべきかどうか。

 記録というのは、空白が生じてしまうと、継続する気力が急激に萎えるものなのだ。

.

 いずれにしろ、あのソフトはもう使わない。

 ジャストシステム社さん、ぼくの300冊の記録を、返してくれ~!!

.

 


しゅっぱんフォーラム

2009-03-13 21:07:33 | 出版業界

.

 取次会社トーハンの発行していた「しゅっぱんフォーラム」という広報誌が休刊になった。通巻291号、1985年1月からだから、24年間続いた。ぼくはその創刊時の編集担当者で、約5年間携わった。だから、思い入れの強い雑誌ではあった。

.

 最終号に、創刊号の「創刊のことば」が小さく再録されていた。「初代担当者が書いた」とあるのは誤りで、これは当時のぼくの上司だった役員が自ら書いたものだ。取次の役員ではめずらしく文学青年崩れで、読んでいただければわかると思うが、漢字のひらき方や言葉使いなどひじょうに気を配っている。内容も現代に通じる。

.

 不動の視点は〝現場〟。

 .

 ぼくは今、その現場の最前線から出版界を見つめている。縁というのは不思議なものだ、と思う。

.

.

【創刊のことば】

.

かなり以前から、みんなで話し合えるような場がほしいとおもっていました。みんなという言いかたは曖昧ですが、ここでいう〝みんな〟とは、出版に何んらかのかたちで携わる人たちというほどの意味です。話し合う中身は、出版にかかわることであればどんなことでもいい。

いま業界は激しい変化のなかで、大きく揺れ動いています。その振幅が大きければ大きいほど、あたらしい可能性を見出すよろこびも深いのではないか。本を作る人、それを配る人、そして売る人が、それぞれの立場から思い切り発言し問題提起のフォーラムとしたい。

.

不動の視点は〝現場〟。

.


作詞⑥ 「落日」3部作

2009-03-04 20:55:48 | 創作

創作ノートより 「落日」3部作

.

            words  茨田晃夫

.

【落日(Ⅰ)】

おだやかな川の流れ

年老いた夫婦の影

やがて大きな 大きな海へと

流されてゆく

人は人生の終わりに誰を

思い浮かべるのだろう

もしかすると それが本当の

「愛」なのかもしれない

暮れてゆく川のほとり

動かないふたつの影

やがて大きな 大きな夜へと

溶け込んでゆく

人は人生の終わりに何を

悔やみ惜しむのだろう

もしかすると それが最後の

「夢」なのかもしれない

..

.

.

【落日(Ⅱ)】

もしも人生をやり直せるならば

もしも人生がやり直せるものならば

ふとそんなことを 

思う夜もある

今にして思えば過ちばかりの

人から見ればまわり道ばかりの

そんな生き方だったかもしれない

.

けれど私は 悔いてはいない

もしやり直すことができたとしても

私は あなたを

きっとまた愛してしまうだろう

.

もしも人生をやり直せるならば

もしも人生がやり直せるものならば

ふとそんなことを 

思うこともある

たとえば行き先の決まった旅よりも

あてのない旅が歌になるように

明日の見えない人生がいい

.

出会うことが偶然ならば

私はきっとまた繰り返すだろう

愉快な仲間と偶然出会ったあの日々を愉快な会ったあの日々を

けれど私は 悔いてはいない

もしやり直すことができたとしても

私は あなたを

きっとまた愛してしまうだろう

.

.

【落日(Ⅲ)】

私は最後の夕日を見るときまで

神の国を信じずに生きよう

祈ることも頼ることもせず

このたくましい腕と

きたえた足とで 歩いてみよう

そして夕日が沈み終わり

年老いた私の体が冷たくなる前に

握り慣れたおまえの手をとり

はじめて祈ろう

残されてゆく おまえのために

私は最後の涙に触れるときまで

愛の言葉を語らずに生きよう

偽ることも飾ることもない

言葉にならぬ愛が

おまえの中にも あると信じて

そして私が瞳を閉じ

おまえの涙が乾いた頬に落ちたとき

ひとりごとをつぶやくように

はじめて語ろう

使い古された 愛の言葉を

.

<蛇足>

 同じようなテーマの詞があったので、「落日」3部作としてみました。(Ⅱ)は曲もつけて、それなりに好評でした。かなりむかしの話ですが。

.

 ある年齢までは「最後の日」は「愛」を胸に抱いて、という思いが強かった。もちろん今でもそう思う部分はあるけれど、どちらかというと今は「諸行無常」かな。キリスト教より、仏教的な世界観に共感します。 でも「無情」ではなく「無常」なのがミソ。「情」はあふれているんですけどネー。

.

  春は芽吹く季節と同時に、別れの季節でもあるわけで、この時期は、いろいろな思いが交差しますです。

.

.

.

.

.

。 .

.

.

.

.

.

.

.