バンコクから愛を込めないで(タイの政・経・社会編)

プチニート中の「バンコク愚連隊」がタイの事象以外にも世界(含む日本)の経済なども含めて誰もがわかり易いように書いてます♪

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(東の隅の相似形) 番外的に結論を言っちゃうと…

2009年04月15日 21時00分00秒 | 東の隅の相似形、そしてタイ王室は…
本当は、論文「東の隅の相似形」の結論のひとつとして書きたかったんですが…



タイの首相経験者で、タイ国内で余生を迎えることのできなかった方が2名います。

  ひとりはプリディー・パノムヨン(亡命先のフランスで死去)

  もうひとりはプレーク・ピブンソンクラーム(日本の横須賀で死去)


二人とも、タイを君主独裁制から立憲民主制に変えた「立憲革命」の立役者で、

プリディーは文民派代表として立憲革命の思想的中心となり、第2次大戦時には、同盟してた日本に内密に「自由タイ運動」を組織して連合国とよしみを通じ、タイを敗戦国にしなかったという殊勲もあり、一時は元老として政界に君臨し、自らも首相になった人物。

ピブーンは軍人派代表として立憲革命の実行部隊の指揮にあずかり、のちに立憲革命の盟友たちを蹴落として実権を握り、戦中・戦後と首相を務めた大立者。


後に、プリディーはピブーンとの権力争いに敗れてフランスに亡命せざるを得なくなり、ピブーンは子飼いだったサリット陸軍大将(のちに首相)のクーデターで日本へ亡命する羽目になったのです。


じつは相反するような二人の(本人の意向はともかく)貼られたレッテルはプリディーであれば「共産主義者」、ピブーンであれば「共和主義者」なんです。
ピブーンの「共和主義」は明確にこう言われているわけではありませんが、その後のサリット首相が「ポー・クンの政治」として「国王」を「ポー・クン(父たる大君)」として立てたのに対して、ピブーンは「自らをポー・クンに比定しようとした」というところで思想傾向が大統領制=共和主義者とみなしてもおかしくないのです。


この「共産主義」と「共和主義」の共通点は


  政府を超越する「王室」の存在(少なくとも主権)を認めないこと


です。


過去、上のような思想をもった、あるいは持っているとみなされた2人と首相経験者がタイ国内で余生を全うできなかった、というジンクス。
このジンクスが「共和主義者」とみなされているタクシン元首相にもあてはまってくる気がしてならないのです。



ではまた



(え~、実際はタクシン元首相らが起草したという「ヘルシンキ宣言」自体の存在は認められていませんし、上記のジンクスもあくまで印象論でしかありませんが、奇妙な符号ということで筆者の論としています。このためこういう論調は他では絶対見られないと思いますし、皆が皆賛同できるものではない、ということはご了解ください。)

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