やっと食欲が戻ってきて…
袋ラーメンの2/3くらいは食べれるようになった
バンコク愚連隊です♪(少なっ!)
ただせっかく小さくなった胃なのでこれを出来るだけ大きくならないように抑えておいて運動するようにすればさらに痩せられますね♪
さて、本日の「ムアイサイアム・トゥデイ」に7月9日に敗れて引退を表明したラタナポンのインタビューが載っていたのでここで
いいかげんに訳したもの(おいおい)
を参考まで載せておきます。(汗)
問1:試合前に「KOする」と言っていたのに何故逆にKOされたのか?
(ラ)おほ~(原文ママ)彼(ミゲルノ)のボクシングは若く、フレッシュで、パンチもきっちりだして来たので私は本当にかなわなかった。一生懸命やったが倒すことが出来なかった。いいのが一発入れば勝てたかもしれないが。
問2:練習がよくなかった?
(ラ)練習では調子は良かった。フィリピン人が頑健なのは以前負けたことがあるからわかっていたんだけどね
問3:まだボクシングを続けるのか?
(ラ)もう十分だね。私はもう36歳、力がないし、続ける力も残っていない。情熱もないし。一番重要なのは奥さんもやめろと言ってきていること。もう私が傷つくのを見たくないと。さっき電話をもらいました。(このインタビュー時点はたぶんまだプーケット)
問4:今後はどうしますか?
(ラ)家でやっているバミー(タイ式中華麺)屋は赤字だからね。頑張ってバミーを売って一財産作らなければ。その後はロイエーッ(奥さんの実家のある県)に行ってエビの養殖でもするよ。なんとかなるだろう。
問5:バンコクには残らないんですか?
(ラ)もういいです。バンポー(今住んでいるところ)は家賃も高いし、生活費が高い。ダーングーットッ(奥さんの家のあるところ?)に帰ります。私の家族とは仲たがいしているので奥さんの家に行った方がいいです。
問6:今の資産は?
(ラ)金は2-30万バーツの貯金とあとはロイエーッの土地とピックアップトラックだけですね。
問7:ゴーキェットグループに所属してどれくらい稼ぎましたか?
(ラ)大体30万バーツくらいかな。なんとか今後やっていけます。年老いた自分にもう一度戦わせてくれてゴーキェット氏には感謝しています。
問8:リチャード・ガルシアに負けて(2008年10月)一度引退したんですよね?
(ラ)そうです。その後引退から復帰しました。ゴーキェット氏から要請があったので。彼は私に日本で戦わせたいといいました。そして実際に日本に行って小松選手と戦いました。初回KOで勝ちました。
問9:小松選手には初回KO勝ちだったんですよね?
(ラ)ラッキーでしたね。でもそのおかげでPABAチャンピオンになるチャンスがめぐってきました。
問10:もしゴーキェット氏がもう一度戦ってくれといったらどうしますか?
(ラ)もう無理です。心が付いていかない。もう痛い目にはあいたくない。
問11:今までで一番良かったファイトマネーはいくらですか?
(ラ)20万バーツくらいです。IBFチャンピオンだった時は自分への配分が少なかった。トレーナーも全部自費でしたからね。
問12:自分の最高の試合というと?
(ラ)アラー・ウィランモー(Ala Villamor)との戦いですね。(1993年6月27日のIBFミニマム級王座戦)皆が自分が負けると思っていた。家でも売ってウィランモーにかければよかったのにね。しかし私が7回KOで勝ちました。痛快でしたね。
問13:子供は何人?子供にボクシングをさせたいと思いますか?
(ラ)子供は長男と女の子2人です。子供にはボクシングはさせたくない。こんな痛い目には遭わせたくないです。
問14:今後トレーナーなどで業界に残ることは?それとも完全に手を引く?
(ラ)いいえ。もう完全にボクシング界からは手を引きます。関係したくないし、私には他人に教えるような能力はありません。
問15:政治家になることは?
(ラ)いいえ。私はいますっきりしています。エビ園で自活できればいいです。何をしても損しますからね。
問16:最後にファンの皆さんへ
私が今言いたいのは「私を引退させてください」もう十分ファンのために働きました。もう十分です。年も取ったことだし、ここで引退させてください。ボクサーを辞めさせてください。応援してくださって有難うございました。私はこれで引退します。
ということでした、今回はインタビューの文章を挙げるだけに留め、論評はしません。(民明書房の本書いて疲れたし~。)←おい
ではまた
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袋ラーメンの2/3くらいは食べれるようになった
バンコク愚連隊です♪(少なっ!)
ただせっかく小さくなった胃なのでこれを出来るだけ大きくならないように抑えておいて運動するようにすればさらに痩せられますね♪
さて、本日の「ムアイサイアム・トゥデイ」に7月9日に敗れて引退を表明したラタナポンのインタビューが載っていたのでここで
いいかげんに訳したもの(おいおい)
を参考まで載せておきます。(汗)
問1:試合前に「KOする」と言っていたのに何故逆にKOされたのか?
(ラ)おほ~(原文ママ)彼(ミゲルノ)のボクシングは若く、フレッシュで、パンチもきっちりだして来たので私は本当にかなわなかった。一生懸命やったが倒すことが出来なかった。いいのが一発入れば勝てたかもしれないが。
問2:練習がよくなかった?
(ラ)練習では調子は良かった。フィリピン人が頑健なのは以前負けたことがあるからわかっていたんだけどね
問3:まだボクシングを続けるのか?
(ラ)もう十分だね。私はもう36歳、力がないし、続ける力も残っていない。情熱もないし。一番重要なのは奥さんもやめろと言ってきていること。もう私が傷つくのを見たくないと。さっき電話をもらいました。(このインタビュー時点はたぶんまだプーケット)
問4:今後はどうしますか?
(ラ)家でやっているバミー(タイ式中華麺)屋は赤字だからね。頑張ってバミーを売って一財産作らなければ。その後はロイエーッ(奥さんの実家のある県)に行ってエビの養殖でもするよ。なんとかなるだろう。
問5:バンコクには残らないんですか?
(ラ)もういいです。バンポー(今住んでいるところ)は家賃も高いし、生活費が高い。ダーングーットッ(奥さんの家のあるところ?)に帰ります。私の家族とは仲たがいしているので奥さんの家に行った方がいいです。
問6:今の資産は?
(ラ)金は2-30万バーツの貯金とあとはロイエーッの土地とピックアップトラックだけですね。
問7:ゴーキェットグループに所属してどれくらい稼ぎましたか?
(ラ)大体30万バーツくらいかな。なんとか今後やっていけます。年老いた自分にもう一度戦わせてくれてゴーキェット氏には感謝しています。
問8:リチャード・ガルシアに負けて(2008年10月)一度引退したんですよね?
(ラ)そうです。その後引退から復帰しました。ゴーキェット氏から要請があったので。彼は私に日本で戦わせたいといいました。そして実際に日本に行って小松選手と戦いました。初回KOで勝ちました。
問9:小松選手には初回KO勝ちだったんですよね?
(ラ)ラッキーでしたね。でもそのおかげでPABAチャンピオンになるチャンスがめぐってきました。
問10:もしゴーキェット氏がもう一度戦ってくれといったらどうしますか?
(ラ)もう無理です。心が付いていかない。もう痛い目にはあいたくない。
問11:今までで一番良かったファイトマネーはいくらですか?
(ラ)20万バーツくらいです。IBFチャンピオンだった時は自分への配分が少なかった。トレーナーも全部自費でしたからね。
問12:自分の最高の試合というと?
(ラ)アラー・ウィランモー(Ala Villamor)との戦いですね。(1993年6月27日のIBFミニマム級王座戦)皆が自分が負けると思っていた。家でも売ってウィランモーにかければよかったのにね。しかし私が7回KOで勝ちました。痛快でしたね。
問13:子供は何人?子供にボクシングをさせたいと思いますか?
(ラ)子供は長男と女の子2人です。子供にはボクシングはさせたくない。こんな痛い目には遭わせたくないです。
問14:今後トレーナーなどで業界に残ることは?それとも完全に手を引く?
(ラ)いいえ。もう完全にボクシング界からは手を引きます。関係したくないし、私には他人に教えるような能力はありません。
問15:政治家になることは?
(ラ)いいえ。私はいますっきりしています。エビ園で自活できればいいです。何をしても損しますからね。
問16:最後にファンの皆さんへ
私が今言いたいのは「私を引退させてください」もう十分ファンのために働きました。もう十分です。年も取ったことだし、ここで引退させてください。ボクサーを辞めさせてください。応援してくださって有難うございました。私はこれで引退します。
ということでした、今回はインタビューの文章を挙げるだけに留め、論評はしません。(民明書房の本書いて疲れたし~。)←おい
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それは総額か、選手の取り分かどちらなのでしょう?
でも世界戦の種類にもよりますが、あたしが聞いたあるケースではファイトマネー総額で最低50万バーツですよ。
最期に会ったのがプーケット興行の2日前だったかなぁ。
これ読んで、本当はもっと早く辞めたかったのかなぁ、
なんて思いました。
ラタナポン、お疲れ様でした。
ファンとして有難うとしか言えないですね。