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感想:『彩雲国物語―青嵐にゆれる月草』

2009年10月06日 18時54分12秒 | 彩雲国物語
彩雲国物語―青嵐にゆれる月草 (角川ビーンズ文庫)彩雲国物語―青嵐にゆれる月草 (角川ビーンズ文庫)
価格:¥ 500(税込)
発売日:2007-03


13冊目。短編集を除くと11作目となる。本編は現在14作なので追い付くまで残りわずかとなってきた。

デビュー作である本シリーズは、初期の頃はストーリーにも構成にも粗が目立っていたが、作品を重ねるごとに上手くなり今ではほとんど粗は目に付かなくなった。特にストーリーテラーとしては抜群と言っていいセンスが感じられる。
世界観は決して独創的とは言い難い。それゆえに『十二国記』シリーズと比較すると軽い印象を受けてしまう。だが、独創的ではないが、厚みがどんどんと出来てきて今ではとてもライトノベルの枠に収まっているとは言えない状況だ。

異世界ファンタジーは数限りないほど存在するが、ここまで国家像、国の形がしっかりと考えられ、書かれている作品はほとんどない。王の孤独なんて陳腐なテーマだが、それが官僚システムの中でどのように生まれているのかまで描いている作品はどれほどあるだろうか。
貴族の中でも彩七家と他の貴族との違い、貴族出身官僚と国試出身官僚との軋轢、王に対する忠誠と国に対する忠誠との差異、表の世界があり裏の世界があっても決して裏も万能ではないこと、こうした社会システムをキチンと考えて描いているファンタジーがどれだけあるか。
王が望むことも簡単に押し通すことはできない。周囲の者たちもそれぞれの思惑によって動く。何かを行えば反発もある。全てが理に適うわけでもない。そうした様々なところへの目配せが非常に上手く描かれている。

独創的ではないが、非常に綿密で濃密な社会を作り、その中で必死に生きる人々を描く。いつしか、ライトなどと言えない作品となった。
更なる特徴として、メインキャラクターたちがみな「情」より「理」に沿って行動するということが挙げられる。メインでない人々は感情によって流されても、メインのキャラクターたちは踏み止まり理に従う。それは時として窮屈に感じる。深い愛をもってしても世の理という壁に押し潰されてしまうことを受け入れているから。
秀麗というヒロインが危地に赴く時も彼女に任せるという悍さ(つよさ)を彼女を愛する人たちは持っている。それは女性作家らしい視点で、男性作家のどれほどがここまで書けるかとも思ってしまう。

エンターテイメントの多くが安っぽく「理」より「情」に流れてしまう。極端な話、強い想いがあればそれは正義になるなんて酷い話が多過ぎる。愛すればこそ「理」を尊重し、相手を思うがゆえに「情」を優先しない。その耐え忍ぶ様は苛烈で、時にやり過ぎにも見える。しかし、メインキャラクターのほとんどが国を背負う者たちであるがゆえに、そうでなければならないという思いが作者にあるのだろう。
国や王や家といった縛りは、現代の視線ではほとんど感じられなくなったものだ。だが、そうした縛り、つまり責任の重みは、現代に不必要となったわけではない。形を変えて気付かれないだけだったりする。背負うべきものを背負いつつ、情に流されず、大切な思いを実現するために努力する。それを描くためにこれだけの世界を築いたのだ。

スーパーマンもどきだらけの中で、更なる新キャラクター登場。スーパーマンもどきの例外はタンタン君だけで、新キャラクターの十三姫も隼も抜きん出たキャラクター。本書は秀麗が御史台に適応した様子が描かれたが、十三姫らのストーリーは次巻に引き継がれた。みなが納得できる結末を迎えられるのか注目だ。
秀麗と劉輝のことも、ちゃんと二人とも幸せになる結末になって欲しいものだ。特に劉輝は……。


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