私がコミックや小説などを読んでて、本当に楽しい要素のひとつが、「心強い仲間が、また1人、また1人・・と揃ってくる段階」だ。
その分かりやすい例が、水滸伝だ。
はじめは少なかった仲間が強力な敵と出会い、その強敵と五分の勝負をし、その後その敵が新たな仲間に加わる・・・というパターンだ。
そして、それを繰り返し、だんだん心強い仲間が増えていく。
その過程は、本当に楽しいし、わくわくする。
ただ、この黄金のパターンでは共通する課題もある。
それは、ひととおり仲間が揃ったあとの展開だ。
水滸伝などは、仲間がだんだん増えてくる過程は面白いのだが、全員そろった後の展開は、けっこう悲劇的だ。
物語的には、様々な過程を経て揃った仲間だから、それぞれに出番を与えたい。
でも、人数が多いと、全員には同じくらいの出番を与えられなかったりする。
よくあるのが、敵として出てきた時は強かったのに、いざ仲間になってみたら、さほどでもなかった・・というもの。
まるで、「強さサギ」に思えたこともあった。
作者としては、その後も物語を続けていくにあたり、主人公陣営(?)が強くなるにつれ、さらに強い敵を出さなきゃいけなくなるわけで、かつての敵をいつまでも「主人公がてこずるような強さ」にしておくわけにはいかなくなるのだろう。
それがすでに敵ではなく、味方になってしまっていればなおさらだ。
味方になってしまえば、そのキャラが凄む場面はあえて描かなくてもよくなったりする。
で、強かったはずの「かつての敵」は、仲間になってだんだん影が薄くなったりする。初期の頃に仲間になった古株キャラは、その傾向が強いと思う。
となると、すでに仲間になってしまった「かつての敵」は、強さや凄さとしては、仲間になる前の「敵時代」の頃が強さのピークだったことになる。
ただ、読者としては、そのキャラが「敵時代」に強かった頃のイメージが頭に残っているわけだから、「お前、こんな弱かったっけ?」とか、「かつてのあの凄みはどこにいったんだ?」と思ったりもする。
物語の進行上、次々に新しいキャラを出さなきゃいけない場合、どうしても新しいキャラにスポットをあてることになる。
古いキャラは、すでに過去にスポットをあててあるからだ。
まあ、それでも物語上、新たな強敵が出てきた時に、いきがかり上「かつての強敵で、今では仲間」のキャラがその強敵と戦う展開になることもあり、そんな時にそのキャラは一瞬かつての輝きを取り戻すこともある。
そんな時は、あ、やっぱりこのキャラも強かったんだな・・・と思ったりもする。
そのキャラが味方になってかつての強さや凄みを発揮してくれないのは、単に出番が減って、本来の凄みを発揮できる機会が減っているからなのだろう・・と思って、私は自分を納得させてきた(笑)。
やはり、どんなに強いキャラでも、その強さを発揮できるメイン級の出番がないと、かすんでいってしまうのだろう。
主人公の味方や仲間になってしまうと、主人公と戦うことはなくなってしまう。
味方や仲間が主人公を倒そうとはしないし、むしろ主人公とは良い関係であろうから。
物語は、どうしても主人公目線で進んでいくから、「かつての敵で、今は仲間」のキャラは、「いい奴」的に描かれるし。
仮に、物語上、そういうキャラが特殊な理由や、やむをえない理由で再び主人公と戦う展開になっても、その対決にはどこか「手加減」みたいなものも感じたりするし、へたしたら本当の敵をあざむくための「芝居」だったりもするし。
まあ、物語の進行上、主人公は敵と戦うにつれて成長もしていくわけで、その結果主人公はどんどん強くなる。
物語を面白くするためには、主人公の楽勝ばかりではつまらなくなる。やはり、ピンチを演出し、苦戦させていかないと。そのためには、新たに出てくる敵も、どんどん強くしていかねばならない。
だから物語上の初期に出てくる敵よりも、物語が後になればなるほど敵も強くなっていくことになる。
そうなると・・やはり、初期の敵は、かすんでいってしまうわけだ・・。
「かつての敵で、今では仲間」になったキャラに、仲間になってからも、平等にそれぞれ強さを発揮させる機会を与えるのは、中々大変なのだろう。
初期の敵は、後半の敵より強くなかったりするから。
ただ・・ゲームでは、それを出来ることもあった。
例えば「幻想水滸伝」というRPGだった。
これは中国の「水滸伝」の手法・・・かつての強敵がだんだん仲間になり、その結果仲間がどんどん増えていく・・というスタイルを取り入れた、オリジナルのファンタジー物語であった。
プレイヤーがパーティメンバーを自由に入れ替えて戦いにのぞむことで、増えた仲間をプレイヤーは自由に活躍させることができた。
ゲームなら、プレイヤーの都合で長く遊んだり、とっとと終わらせたりすることもできる。
普通のアニメやコミックや映画など、尺という問題があり、中々キャラに平等にメインになる機会を与えることはできないが、ゲームなら、尺はプレイヤーの自由になる。
集めた各キャラに平等に活躍の出番を与えたいなら、パーティメンバーを次々と入れ替えて、長く遊べば、ある程度それはできる。
一方で、早くクリアしたいなら、キャラを絞って成長させ、最強のメンバーで話を進めればいい。
それも、プレイヤーの自由。
もっとも、ゲーム内のストーリー上のイベントで、強制的に(?)特定のキャラをパーティに入れなければいけない場合もあるかもしれないが。
私などは、どのキャラにも活躍の場を与えたくて、物語の進行から離れて、各キャラを平等に成長させた覚えがある。
とはいえ・・やはり、ゲームの場合でも、最初に敵として出てきた時の方が・・強かったかなあ。
味方になった途端、敵時代よりも弱かったりもしたし。
まあ、その「弱く感じた部分」は、その後プレイヤーがそのキャラを成長させていってくださいという演出だったのだろうが、前述のような「強さサギ」みたいな印象を持った覚えがあるのも事実だった。
そこで一句。
「強敵も 味方になると 弱くなる」
鑑別所時代のふてぶてしさも特等少年院では、びびりキャラ全開でしたね。
その後の減量苦での鼻からうどん(笑)も語り草。
でも紀ちゃんと結婚するとは思いませんでしたね〜
言われればそうですね〜。
主人公が物語の序盤で出会う敵(ライバル?)は、
むちゃくちゃワルくて強かったりするんですが、
主人公に倒されて紆余曲折して最終的には仲間になりますね。
クライマックスでは、その後登場するライバルたちと一緒に主人公を助け、
ラスボス戦に挑んでいく…はは、これってある意味少年漫画の王道ですね〜。
そういえばドラクエやり始めの頃はスライムが強くて、
というか勇者が弱いのですが…スライムベスとか出てきた日にゃ、
もう泣きたくなりましたね(笑)
登場した時は凄みがあったのに、だんだんヤワなキャラになっていきました(笑)。
こういうパターンは、コミックには、よくありますよね。
昔、男一匹ガキ大将というコミックなんかもそうでしたっけ。
そのパターンは、手を変え品を変えて、脈々と受け継がれてきてます。
コミックだけでなく、ゲームでもそうです。
ドラクエ、ファイナルファンタジーなどなど。
ちなみに、ドラクエでもファイナルファンタジーでも、私のキャラはガイコツ系のザコ敵にマヒさせられて、何度か全滅しました、、、。