『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』
資料 本阿弥光悦
1615年、大坂夏の陣の後、
光悦の茶の湯の師・古田織部が豊臣方に通じていたとして
自害させられる。
そして57歳にして光悦の人生に大きな転機が訪れた。
徳川家康から京都の西北、
鷹ヶ峰に約9万坪の広大な土地を与えられた。
師の織部に連座して
都の郊外へ追い出されたとする説もあるが、
いずれにせよ光悦は俗世や権力から離れて
芸術に集中できる空間が手に入ったと、
この事態を前向きに受け止め、
新天地に芸術家を集めて理想郷とも
言える芸術村を築きあげようとした。
以後、亡くなるまで20年強この地で
創作三昧の日々を送る。