カーストの外にいた貧しい鍛冶屋の息子から接待を受ける。
有名な<きのこ料理>
この河のほとりで休む。
中村元の話だ。
また、チュンダが貧しいかどうか?と。
釈迦1行を接待したのだからと。
死期はは3ヶ月後とアーナンダ達に伝える。
最後の言葉は、
<一切の事象は衰滅していくもの>と。
心して修行に励みなさい。
紀元前483年、
インドの暦ヴァイシャーカ月(4月~5月)の満月の日のことでした。
資料
1 チュンダが捧げた食物が悪かったのか。
①釈迦に激しい病が起こり、下痢をして赤い血がほとばしった。
※食事をしていた釈迦に病苦が起こったので、食事が原因となったとは考えにくい。
②毒性キノコでも、多くは発症するまで6時間~24時間かかる。
③頻発する粘血性下痢や嘔吐は赤痢菌とも思えるが、発病まで1~4日かかる。
④朝の食事で赤痢にかかり、その夜に死亡するのは短すぎる
2 釈迦と純陀(チュンダ)の別れ
〔大乗の涅槃経における純陀と釈迦の最終的なやりとりは、
初期経典に描かれた最終的な釈迦の遺言
「全ては遷ろい行くもの。怠らず励め」
釈迦は次のように説いた。
「いいか純陀よ、現世の流転の苦しみに限りはない。
栄えるものにも必ず終わりがあり、
会うものにも必ず離別がある。
誰しもが<老病死の苦しみ>に喘ぐのだ。
つまりこの世に生きることは苦しみそのものを体に集めているのと同じことであるから、
これを取り除くことは出来ない。
むしろこれを楽しみ=日々が修行であり、
苦しみは常に自分を磨いてくれる尊い事象である。
そして森羅万象全ての正体はみな空だということを悟り、
この苦しみの現世に上妙の楽を見出すのだ。
3 遺骨
遺骨はマガダ国のアジャータサットゥ王、
ヴェーサーリーのリッチャヴィ族、
カピラヴァットゥの釈迦族など八つの部族に分配。
■マガダ王国のアジャータサットゥ王(ヴィデ-ハ国王の女の子)がラージャガハ(王舍城)に祭る
■ヴェーサリーに住むリッチャビ族がヴェーサリーに祭る
■カピラ城に住むサーキャ(釈迦)族がカピラ城に祭る
■アッラカッパに住むブリ族がアッラカッパに祭る
■ラーマ村に住むコーリヤ族がラーマ村に祭る
■ヴェータリーヴァに住むバラモン達がヴェータリーヴァに祭る
■パーヴァーに住むマッラ族がパーヴァーに祭る
■クシナガラに住むマッラ族がクシナガラに祭る
遺骨の他に、次の二つのストゥーバがつくられ、祭られましました。
■ドーナ・バラモンが遺骨を納めるための瓶のストゥーパをつくって祭る
■ピッパリ林に住むモーリヤ族がピッパリ林に灰を納めたストゥーバをつくって祭る
かくて、八つの舎利塔と瓶塔と灰塔との計十塔が各地に建立されました。