減価する通貨が導く近代超克への道

自然破壊、戦争、貧困、人心の荒廃・・・近代における様々な問題の根本に、私たちが使う「お金の非自然性」がある

「近代の超克」についての補記および仮説と提言

2006-07-11 20:15:23 | Weblog
先のエントリー「「近代の超克」とナショナリズム」について「近代の超克」とはなにかということを書いていなかったので補記する。
またそれに関連して、やや大胆な仮説と提言をしたい。

1942年、文芸雑誌『文学界』で行なわれた「近代の超克」の座談会は、各界の知識人を集めて、「大東亜戦争」の意義付けを議論した。戦後、この「近代の超克」は天皇中心の全体主義や大東亜共栄圏を強く肯定するきっかけになったとして批判されている。しかし、その中で議論された内容には、単なる戦争肯定のための浅い哲学ではなく、現代でも通用するような重要な示唆が含まれていた。すなわち「西欧的な近代文明の進歩は、人間の自由の確立をもたらすどころか、むしろ人間性の否定を導いた。それは個人主義をうたいながら、むしろ自主性なき大衆とそのための浪費的利便性という問題を生み出した」という認識があった。そしてその問題を克服するために「欧米流の近代化によらない日本(東洋)独自の思想とそれに基づいた国際社会を形成しなければならない」としたのだ。その具現化が大東亜共栄圏であり、天皇制はそれを支える母体(哲学的手段)であると定義した(と私は解釈している)。

 ここで問題なのは、前段の問題提起を受けて、その対策を右翼的思想によれば、まさに戦前の大東亜共栄圏であり、左翼的思想によれば、戦後の反欧米のアジア主義に繋がる。
 このことを端的に指摘しているのが戦後の左翼哲学者「廣松渉」である。彼は1994年5月に朝日新聞に「東亜の新体制を」と題するコラムを発表した。その中で彼は、「東亜共栄圏の思想はかつては右翼の専売特許であった。日本の帝国主義はそのままにして、欧米との対立のみが強調された。だが、今では歴史の舞台が大きく回転している。日中を軸とした東亜の新体制を! それを前提にした世界の新秩序を! これが今では、日本資本主義そのものの抜本的な問い直しを含むかたちで、反体制左翼のスローガンになってもよい時期であろう。」と述べているのだ。
http://www.ihope.jp/hiromatu.htm

 つまり日本人は、戦前・戦後を通して「近代の克服」を右にゆれ、左にゆれ、繰り返し、トライしては、しくじり、またトライしようとしている、ということだ。右派にアジア主義が残っているのもおそらくはこの考え方が日本のアイデンティティーとなりうると思っている人々がいるからではないか。

つまり、「太平洋戦争の大東亜共栄圏」も「戦後の反米安保闘争」も今なお「右派・左派通じて残っているアジア主義」も、哲学的よりどころとしてきた問題提起の部分は極めて似通っているということだ。そして石橋湛山がいみじくも指摘したように右・左に係らず、「近代の超克」にのめりこみすぎたときに「根本病患者」が発生し、その度に手痛い失敗をしている、と見ることができそうだ。

なぜ、そうなるのか?その原因は複雑であろうが、誤解を恐れずに述べるとすれば、その大きな要因は、日本人の知識層が有してきた西欧文明に対する潜在的劣等感とアジア諸国や貧困層へのルサンチマンではないかと思っている(このことは、先のエントリーに書いた昭和軍人の言葉にも表れているように思う)。いわゆる目覚めた知識層が一般大衆にも多くでてきたのは大正以降の戦前である。戦後の我々が勘違いしているのは、戦前は知識層が一般庶民にたくさんうまれるほど民主的だった、ということだ。それ以降「近代の超克」に代表される問題に知的大衆が取り組み続け、その対策として間違った選択(根本病的思想)を大衆が支持したときに少なくない犠牲が発生するという歴史を我々は経てきているように思う(これは戦前だけはない。戦後の安保闘争でもその末期に直接的・間接的犠牲者がいた)。

「国家の品格」で藤原氏は戦前の「武士道」の衰退が戦争への道を開いた、と言っているが、その見解に私は同意しない。むしろ戦争への道は、日本の急激な民主化により大衆にまとまった知識層ができ、かつその多くに欧米に対する潜在的劣等感があって、その中でルサンチマンが醸成されたときに、日本という「一等皇国」が「アジア」に共栄圏を構築する、というアイデアが提案され、当事の大衆がそれを支持した時点から、と思っている。このアイデアそのものが戦争を生んだとは思わないが、戦争を肯定しやすい土壌を育んだことは確かではなかろうか。そしてここで重要なのは、当時の国際社会が「戦争」という「外交手段」を否定しておらず、むしろ「相手に自分の主張を伝える方法」として肯定されていた、ということだ。そこに戦争が「悪」だから、戦争しない、という発想はない。むしろ「正しいこと」を主張し、「実利を得る」ためには軍事力は必要だ、という考えがあった。実際アメリカはそれを現在でも実行しているわけであり、何も過去の特殊な時期の話ではない。

以上は荒っぽい仮説ではある。だが重要なものをつかんでいそうな気はしている。
そしてこう考えたとき初めて「自分が戦前に生きていたら戦争を肯定していたかもしれない」と思えるのである。そしてその地点(直感)こそが、「リスクの少ない国策オプション」というものはどうあるべきかを考えるスタートではないかと思っている。

振り返って、今、依然として「近代の超克」は果たされていない。
そして私たちは今なお欧米文明に対する潜在的劣等感を抱え、再びそれを克服するために「ルサンチマン」に基づいた解決策にたよろうとはしていまいか?
我々は今こそ戦前の石橋湛山の言葉に耳を傾けるべきだろう。

また現代版の「近代の超克」はどのような形で現れているかにも注意しなくてはならない。
バブル崩壊前まではそれは、日本独自の官僚主義(一種の社会主義)による経済発展があり、『超克』はそれほど議論されない風潮にあった。しかし現在それは崩壊が進み、新たな「超克」論が様々な局面で浮上してきているように思う。
その一つの現れが「国家の品格」がベストセラーになったことではなかろうか。

また例えば、下記のエントリーで紹介した「ブント」のように、60年代の左翼活動の主流が、「人権」と「環境保護」に姿を変えていることもその一端ではないだろうか。
http://www.bund.org/info/bundtop.htm
実際今「持続可能な社会の構築」の必要性が右派・左派に係らず求められている。「グローリズム」への抵抗も右左に係らず主張されている。

私は「環境保全」や「持続可能な社会の構築」は、右派・左派に係らず今の世に欠かせない重要なテーマだと思っている。しかし、そこには「近代の超克」に付きまとうリスクと矛盾があるような気がしてならない(これは実際にそれに取り組んでみてそう思っている)。

そして実際のところ「近代の超克」は必要なのか?という疑問がわいてくる。
確かに「近代の超克」は現状の問題点を鋭く指摘する。戦前・前後、そして現在においても。

しかし振りかってみれば、「近代の超克」などしていないような国々でも元気よくやっている。欧米のエリートも思想家も「近代の超克」に同様に取り組み、悩んできたが、実際のところ超克できなかったから滅びた国はあるだろうか。石橋湛山のいうように「絶え間ない修正の努力を続ける」ことが肝要なのであって、理想は「努力目標」程度に捕らえていたほうが、根本病の罹患リスクは低くなり、今ある人材・資産を有効に活用することができるはずだ。「近代の超克」にこだわって、内ゲバを繰り返す国の方がよっぽど危ういといえる。また内ゲバ状態は、悪意を持った他の組織や人々に利用されやすいという点にも注意すべきである。戦前・戦中に共産スパイやその他の影があるのはおそらく事実であり、それは日本がその頃漬け込みやすい体質を持っていたということを示唆してはいまいか?そしてそれは戦後も、今も似たような形で漬け込まれた(漬け込まれている)例はないだろうか?近代の戦争はハードパワーだけでなく、ソフトパワーを使っても行われるのだ。

「人間の欲望に基づいた資本主義とグローバリズムが地球を滅ぼす」という形に変化した最近の警告についても、実際のところしっかりとしたプラグラティズム(実用主義)に基づいて対策を考えないと、根本病を併発してよからぬ人々に利用される危険があると思う。

これらを防ぐためには「日本人」はまず「日本」の有様を肯定し、その上で誇りを持ったほうが良い。今を十分に肯定した上で、必要な問題解決にあたった方がよい。どこに比べて優れているとか、誰かを助けねば、と余計なことを考えるほどルサンチマンや根本病の罠にはまりやすくなる。

どうしても何かを打倒しなければならないとしたら、余計なことを考えずに、利用可能なすべての武器と知恵を持って立ち上がることだ。最善でなくとも、戦いに勝ち残ることはできる。大切なものを守るのに「大儀」を持ち出す必要はない。必要なのは、負けないという意志とそのための戦略である。

むしろ私たちが最も気がつかなければいけないのは、たとえ最善の方法を思いついても、それを実行できる「体力」と「意志」がなければ、試合に負ける、ということだ。試合に「負けない」ためには、現実的な理性と判断力、そして意志を常に育まねばならない。

欧米か、アジアか、ではなく、まず「日本」、そして「自分」を大切にしよう。
自分を大切にできないやつが、他人を大切にできるはずがない。
これが国際関係にも成り立つかどうかまでは判らないが(笑

危機感は常に私も感じている。しかし、危機感に心まで奪われてはいけない。
危機の直前まで冷静でいられた人が生き残るのである。
そして本当に信頼できる国、利害が合致する国を見つけるためには、日本という国が何を目指しているのか、そのビジョンを宣伝することである。

私としては反「非民主主義国家」連合は絶対欠かせないものと思うし、「日本の技術力や創造性と人種差別のない博愛精神、深い伝統文化に裏打ちされたセンス」などは十分に宣伝して、なるべく多くの国々や人々に憧れや尊敬を持ってもらうのが国益にかなっていると思う。そしてこの場合のビジョンは「理想」というよりも国外向けの「プロパガンダ」と考えるべきで、それらに共鳴してくる人たちは少なくとも当面の「味方」であると判断する。もちろん「プロパガンダ」だからといって虚像にならないような努力をする必要はあろう。

戦前の「大東亜共栄圏」は、それがプロパガンダ(よく言えば外部向けの努力目標)のままだったら国益に繋がっていたと思う。それが、大衆の熱望する本当の「理想」になり、軍部の一部も本気でそれを実現しようとし、右翼・左翼の政治家や活動家もそこで得点を稼ごうとしすぎた。これらの流れは、おそらく知的大衆や知性派と目されていた軍人の中にある欧米文明への潜在的劣等感とルサンチマンに発していたと思う。当事の深刻な不況や農村の貧困という国内問題も新しい改革イメージを後押しした。その具現化の一つとして実際に満州国が誕生した。理想は(いびつな形で)実現してしまった。石原莞爾を天才とみるか、反逆者とみるか、意見は分かれるだろうが、彼に端を発する大アジア主義は今なお(右左に係らず)一部の人の心を捉えて離さない。

昭和天皇をはじめとする当事の日本のエスタブリッシュメント達は「リアリスト」(=単なる平和主義者にあらず)であり、このような流れを冷ややかにみていた。しかし、当事の政治の意思決定で天皇を中心とする「リアリスト派」は少数派であり(だからテロやクーデターの危険にさらされ)、また天皇が非常に「良識的な君主」であったが故に、その流れを止めることができなかった(終戦間近を除けば、天皇は立憲君主制に忠実であった。その禁を破ったのはおそらく終戦間近に戦争を終わらせるための工作をしたときのみである。そしてその結果、日本と日本人が救われた)。また、陸軍も海軍も官僚化しており、国家の危機において内部の派閥争いやテロ・クーデターを繰り返し、大局において実利主義に基づいた行動を取れていなかった(これら軍人の中に『日本国にとっての戦犯』がいると思う)。さらに憲法の改正を行わず、統帥権の間違った運用を政府が認め、軍がこれを乱用した。加えて、(ソ連・中国・アメリカの)共産スパイを始め様々な陰謀にのせられてしまった。以上すべてが重なって、わが国があの戦争に入っていたと私は考えている。それは、決して武士道がなくなったからなどという単純な理由で解説できるものではない。

現実から離れた理想やロマンを無理に実現化しようとすれば、それ相応の不幸を生む。

しかし、私は当時の人々の努力や犠牲や良心が無駄であったとは全く思わない。
むしろそれがあったからこそ、今の日本があると信じている。
選択のミスはあったかもしれないが、今の人間には真似できないほどの努力と意志、覚悟が当事の日本人にはあった。だからこそ、今の日本がある。昭和天皇はその尊い日本の精神の中核を担う役割をあの難しい時代においてご立派に果たされた。もちろん昭和天皇にもミスがあったことは否定しないが、その尊いご意志が揺らがなかったからこそ、あの戦争を終わらせ、その後の日本の繁栄の基礎を残すことができたのだと思う。

例えば昭和天皇がむしろ「良識的」でなければ、日本はひょっとすると戦争に勝ったかもしれない(実際、近衛首相や一部の軍人はそのような意味の不満を漏らしているhttp://ww1.m78.com/topix-2/showa%20emperor.html)。あるいはもっと悲惨な負け方をしたかもしれない(本土決戦や日本分割のような)。昭和天皇が良識的で「リアリスト」でなければ、犯さなかったミスもあるだろうが、そうでなければ今の日本はもっと良かったなどと誰が言えるだろう。昭和天皇は20世紀の国家指導者の中でも優秀な指導者であり、かつ国民を愛する良識的な君主であった。単なる平和主義者やまして独裁者ではないのだ。そして、そうした君主に恵まれた国家・国民はそうざらにはいないだろう。

戦争には負けた。犠牲者もたくさんでた。しかしその原因は当時であれば(昭和天皇も含め)誰もが犯す可能性があるミスだった(ミスとすらいえるかどうかわからないものも含む)。そして最も忘れてはいけないのは敗戦により我々が得たものがある、ということだ。それは戦後の奇跡的な復興である。単に戦争に負けたのではない。戦後の復興は、まちがいなく戦前・戦中・戦後と連続した日本人の努力と良心の賜物である。多くの犠牲を払ったが、過去の日本人は、ぎりぎりの選択の中から「意義のある敗戦」を結果として勝ち取ったとも言える。だから石橋湛山は、戦後すぐに「日本の将来は明るい」と語ることができたのだ。

奇跡は、何もないところに起こりはしない。評価すべきは過去の日本人の行為がもたらした結果である。「近代の超克」の後遺症はまだ残っているが、今私たちが世界の中でも平和で繁栄した国「日本」に生きていることが先人の偉業の証明である。そうした先祖に報いるためにも、私たちはこの国を守り、将来にわたって繁栄するための努力を続けていかねばならない。

結論
①近代を超克しようと思ったときには、「根本病」に気をつけよう。
②先人の行為はミスではなくて、その結果で評価しよう。
③ただし、ミスの原因を探ることは我々にとって良い教訓になる。
④「奴ら」よりも図太くなれ。

以上。