Negative Space

日本映画、文語文学、古代史劇映画、西部劇、フィルムノワール、hip-hopなど。

庶民劇としての『五重塔』

2012-07-25 | 文語文
 
 露伴の『五重塔』をはじめて読む。

 岩波文庫の紹介文には、「エゴイズムや作為を超えた魔性のものに憑かれ、翻弄される職人の姿を[……]浮き彫りにする」とあるのだけれど、そんな話じゃないんですよね。

 主人公(ということになるのかな?)の十兵衛は非社交的で朴訥。考えていることは単純で、心理描写なんかもほとんどない。一方、源太のこころのまよいは、フランスの心理小説さながら、クリアーかつロジカルに書き込まれている。仕事ができて、性格がよくて、美男。その彼の優柔不断ぶりが人間くさくて愛おしい。

 ただし、クライマックスの台風のシーンでは、十兵衛のほうも、自分の仕事がクライアントに信用されていないと思い込んで絶望の淵に追い込まれる。仕事をしている人間ならだれでも共感できる悩みだ。この男がぐっと身近に感じられてくる。

 源太も十兵衛も、市井の勤め人の悲哀みたいなものを漂わせているんだな。ライバルに出し抜かれた夫・源太の甲斐性のなさにあきれ果て、暗い家の中で一人かりかりしてるお吉もそのへんの会社員の妻みたい。

 というわけで、わけのわからないデモーニッシュな情熱に憑かれた狂気のアーティストが悶々とする、みたいな小説だと思っていたのだけれど、われわれが日々の仕事や人づきあいのうえで抱えているちっぽけだけれども重大な悩みを代弁してくれているサラリーマンもののドラマみたいな味わいがあるのだな。

 冒頭がすばらしい。長火鉢の肌理を強調したアップからはじまって、その傍らに腰をおろした女の超クローズアップがつづく。


 「……男のやうに立派な眉を何日掃ひしか剃つたる痕の青ゝと、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとどめて翠の匂い一トしほ床しく……」(其一)

 色っぽいな。糟糠の妻みたいな十兵衛の奥さんは存在感が薄いんだけど、源太の女房はちょっと玄人っぽいあだな年増で、男くさいドラマに花を添えているんですね。

 キャメラが引くと、いやさ段落が変わると、女中が洗いものをしている音が聞こえてきたりする。このあたり、場面の組み立て方がうまいなあ。

 そこへ訪ねてきた清吉がふたたび家を飛び出していくと、こどもたちの遊び声が意味ありげに読者の耳に残る、なんて演出も映画的でしゃれてますね。

 主人が留守の源太宅を清吉が飛び出していくというアクションは、このあとも反復される。十兵衛をこらしめに行くところだ。このくだりもなかなかいい。


 「……左様ならば、と後声烈しく云ひ捨て格子戸がらり明つ放し、草履も穿かず後も見ず風より疾く駆け去れば、お吉今さら気遣はしくつゞいて追掛け呼びとむる二タ声三声、四声めには既影さへ見えずなつたり」(其二十四)。


 スピーディーで、映画でいうならちょうどフェイドアウトみたいな余韻がかもしだされてると思いませんか?

 で清吉、建設現場に殴り込んで十兵衛に斬りかかるも、親分(アニキ格の人)が折りよく割り込んでとめてくれたおかげで、人殺しにならずに済む。親分と清吉のやりとり。


 「……ゑゝ、じたばたすれば拳殺すぞ、馬鹿め。親分、情無い、此所を此所を放して呉れ。馬鹿め。えゝ分らねへ、親分、彼奴を活かしては置かれねへのだ。馬鹿野郎め、べそをかくのか、従順く仕なければ尚打つぞ。親分酷い。馬鹿め、やかましいは、拳殺すぞ。あんまり分らねへ、親分。馬鹿め、それ打つぞ。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親。馬鹿め。放。馬鹿め。お。馬鹿め/\/\/\、醜態を見ろ、従順くなつたらう、……」(其二十五)


 これは笑える。スピーディーな切り返しショットでキャメラが先走りしてしまっているといった体? この小説、こういういわば映画的な演出が随所にあって読ませる。そもそもむかしの小説って、もともと演劇をモデルにしていたんだっけ。ディドロなんかからしてそうだなあ。

 台風一過のラストシーン。町の人々が口々に前夜のようすを大袈裟に語りあうのんびりした背景描写から入って、しばらくたってから十兵衛と源太をおもむろに登場させる。このゆったりした入り方にもうならされる。 上人が二人に言葉をかけてふりかえると、


 「……両人ともに言葉なくたゞ平伏して拝謝みけるが、それより宝塔長へに天に聳えて、西より瞻れば飛檐或時素月を吐き、東より望めば勾欄夕に紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、譚は活きて遺りける」(其三十五)。


 キャメラがばーっと引くと、漢詩的なフレーズがばんっと前面に出てきて悠久感を出すというゴージャスなエンディング。

 とにかく時間をかけて音読のペースで読まないともったいないリズミカルな文体。詩だな。音楽だな。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿