ウェスタナーズ・クロニクル No.17
ジャック・ターナーの西部劇(1)
“Stranger on horseback” (1955年、ユニヴァーサル)
サボテンがちらほらと生えるアリゾナの山道。地平線の彼方から馬上の人影が小さく見えてくる。鞍にまたがったまま法律書らしき分厚い本に読みふけっている。判事のジョエル・マクリーだ。途中でふしぎな葬儀の光景が目に入る。祈りを捧げる赤毛の美しい女の姿がある。
たどりついたスモールタウンは、街のボス一家に牛耳られ、腐敗が横行し、法は無力だった。マクリーの目的は殺人の容疑がかかる若者を裁判にかけることだったが、容疑者(ケヴィン・“ボディー・スナッチャー”マッカーシー)は街のボス(われらがジョン・マッキンタイア)の息子。目撃者(ナンシー・ゲイツとその父親)を説得し、容疑者の姉(ミロスラヴァ)をも見方に引き入れて裁判を開くことにこぎつける。
ジャック・ターナーのウェスタンは例によってアンダートーンの演出に徹している。派手な見せ場は皆無。クライマックスの平原での一幕も至極地味。ジョエル・マクリーがチンピラにパンチをくらわす場面が2回ほど出てくるが、電光石火の早業で、バイオレンスは見えてないも同然。
ミニマリズム俳優ジョエル・マクリーはまさにはまり役。この判事の過去は知らされない。家族も友もないようす。その無表情な顔からはあたまのなかもこころのうちもうかがいしれない。法律家としての使命をただたんたんと果たそうとするだけ。なにものかにとりつかれた人物としかいいようがない。畢竟、すぐれてターナー的な夢遊病者。
舞台俳優のような威厳のある演技をすることが多いジョン・キャラディンが、マクリーにまとわりつく気さくでおしゃべりな保安官を演じている。れいの面長がときとしてフェルナンデルのそれのようにみえたりする。
ミロスラヴァは赤毛に純白のブラウス、黒の革手袋と鞭がよく似合っている。このひとは数奇な経歴で知られる女優。チェコ生まれで強制収容所に送られた経験をもつ。北欧を経てメキシコに流れてきてそこそこの人気を博す。この作品のあとブニュエルの『アルチバルド・デラクルスの犯罪的人生』に出てかまどで焼かれる女性を演じ、クランクアップ直後に睡眠薬自殺を遂げる。享年三十。元恋人のスター闘牛士の写真を手にしたままベッドに横たわっていた。闘牛士が新しい恋人のルチア・ボゼーと結婚したことが伝えられたばかりだった。そのルチア・ボゼーはブニュエルの次回作『それを暁と呼ぶ』に主演する。ブニュエルはその自伝でミロスラヴァの葬儀に立ち会った際のふしぎな感慨を語っている。
アンスコカラーという特殊なカラーシステムを使って撮られている。きわめて褪色しやすいカラーらしく、ネガプリントも残っていないらしいので、公開時そのままの色はすでに再現不可能のようだが、DVDでみると油絵のようなソフトな画調がふしぎな魅力をかもしだしている。赤茶けた大地がシュール。
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