「松の風静かに、初曙の若恵比壽/\、諸商人買うての幸ひ売つての仕合せ。さて帳綴、棚おろし、納め銀の蔵びらき、春のはじめの天秤、大黒の打出の小槌、何なりともほしき物、それ/\の知恵袋より取出す事ぞ。元日より胸算用油断なく、一日千金の大晦日をしるべし」
森銑三は西鶴の正筆になるこの序文を「一読胸の透くような名文」と絶賛し、「『胸算用』の本文を西鶴の文として見る時、やや平板で、分別臭くて、冗長に失しようとしている」としながら、辛うじて数章に西鶴らしさが見て取れるとする。
とはいえ、さいしょの章「問屋の寛闊女(「バブリー妻」と読む)」の冒頭も序文に一歩も譲らない、これが西鶴でなくて何なのだと、浅学の筆者などはついおもってしまう。
「世の定めとて大晦日は闇なる事、天の岩戸の神代このかたしれたる事なるに」
暦の太陰に掛けている。
「銭銀なくては越されざる冬と春の峠、これ、借銭の山高うしてのぼり兼ねたるほだし」
こうゆう「山」の比喩は『永代蔵』にもけっこうあった。
子供への出費も山と積まれる。
「はきだめの中へすたり行く破魔弓、手まりの糸屑、この外雛の擂鉢われて、菖蒲刀の箔の色替り、踊だいこをうちやぶり、八朔の雀は数珠玉につなぎ捨てられ、中の玄猪を祝ふ餅の米、氏神のおはらひ団子、弟子朔日、厄払ひの包銭、夢違ひの御札を買ふなど、宝舟にも車にも積余るほどの物入り」。
ヴィジュアルアピールたっぷりのガラクタの列挙。滲む一抹の侘しさ。
以下は巻一の二より、質草の列挙。
「古き傘一本に綿繰ひとつ、茶釜ひとつ」、その隣家からは「嬶が不断帯観世紙縒に仕かへて一筋、男の木綿頭巾ひとつ、蓋なしの小重箱一組、七ツ半の筬一丁、五合桝・一合桝二ツ、湊焼の石皿五枚、釣御前に仏の道具添へて、取集めて二十三色にて、一匁六分借りて年を取りける」
プレヴェールの「財産目録」もかくや。
爆笑篇「鼠の文づかい」から以下、鼠の引っ越し道具のいちいち。
「穴をくろめし古綿、鳶にかくるる紙ぶすま、猫の見付けぬ守り袋、鼬の道切るとがり杭、桝おとしのかいづめ、油火を消す板ぎれ、鰹節引くてこまくら、その外娌入りの時の熨斗、ごまめのかしら、熊野参りの小米づとまで、二日路ある所をくはへてはこびければ」
「桝おとしのかいづめ」というのにくっすん大黒。
森銑三が西鶴の手が認められるとする「訛言も只はきかぬ宿」より。
「取りみだしたる書出千束のごとし」
「あそび所の気さんじは、大晦日の色三絃、誰はばからぬなげぶし、なげきながらも月日を送り、けふ一日にながい事、心におもふゆゑなり」
以下、ランダムに。
「頰さきの握り出したる丸顔」
「さるほどに今時の女、見るを見まねに、よき色姿に風俗をうつしける」とあって、京都の呉服屋の奥さんは遊女に、奉公人あがりの人妻は「風呂屋もの」に、下町の仕立物屋や仕立て直し屋の女将は「茶屋者」にみえるなど、身分相応にめかしこんでいるとする観察眼。
かくしてみかけでは判別できない商売女と堅気の女の見分け方が列挙される。たとえば「床で味噌・塩の事をいい出」すのは後者である。
「大晦日のかづき物」にされて「茶屋は取りつく嶋もなく、夢見のわるい宝舟、尻に帆かけてにげ帰り」
「善はいそげと、大晦日の掛乞手ばしこくまはらせける。けふの一日、鉄のわんらぢを破り、世界をゐだてんのかけ回るごとく、商人は勢ひひとつの物ぞかし」
「わけざとは、皆うそとさへおもへば、やむもの」
「世の月日の暮るる事、流るる水のごとし。程なく年波打ちよせて、極月の末にぞなりける」
「年の波、伏見の浜にうちよせて」
「台碓の赤米を栴の秋と詠め」
「銭は水のごとく流れ、白銀は雪のごとし」
お約束の元禄おめかし事情。
「ぐんない嶋の小袖」
「ぎんすすたけの羽織」
「葉付きのぼたんと四つ銀杏の丸」
「柳すすたけに、みだれ桐の中形」
「千本松の裾形もふるし。当年の仕出しは夕日笹のもやうとぞ」