よしもとばななさんのエッセイを読んだ。
忙しくて、「ちょっとだけ」といって、散歩に連れて行っていると、犬が散歩嫌いになり、すぐに家に帰るようになっていた。それで、ちょっとだけと言わずに、ゆっくりと時間をとって散歩をしてみた。すると、犬はゆったりと散歩を楽しみ、また散歩好きに戻った。
散歩を楽しむ犬の“気持ちがふんわりしているように見えた。”
と、いう話だった。
多分それは、言葉の問題だけじゃないよね。心のお話。
バリちゃんもわたしたちの気持ちに細やかに寄り添ってくれたな。
忙しくてつらいとき、生きることが切ないとき、バリちゃんはそばにいてくれた。
その優しさ、明るさ、暖かさ、バリちゃんの持っている、素晴らしいもの全てをシェアしてくれた。
そして、わたしが気を持ち直したとき、“ふんわりした気持ち”がやってきた。
それはきっと、犬の気持ちだけがふんわりしたんじゃなくて、途切れていた犬と人の心がつながった“ふんわり”なんだと思う。
人間同士でも微笑みあったときに、二人の間にお互いの優しさが流れ込んで、混ざり合った優しさが幸福感になって、二人を包むみたいな感じ。
バリちゃんといると、いつもふわっと優しいものに包まれていたなぁ。
未熟なわたしに、いつもいつも優しく明るいものを差し出してくれてありがとう。いつも辛抱強く待っていてくれてありがとう。
バリのおかげで、いつも幸せだったよ。
ありがとう、バリ。愛してるよ、バリ。
忙しくて、「ちょっとだけ」といって、散歩に連れて行っていると、犬が散歩嫌いになり、すぐに家に帰るようになっていた。それで、ちょっとだけと言わずに、ゆっくりと時間をとって散歩をしてみた。すると、犬はゆったりと散歩を楽しみ、また散歩好きに戻った。
散歩を楽しむ犬の“気持ちがふんわりしているように見えた。”
と、いう話だった。
多分それは、言葉の問題だけじゃないよね。心のお話。
バリちゃんもわたしたちの気持ちに細やかに寄り添ってくれたな。
忙しくてつらいとき、生きることが切ないとき、バリちゃんはそばにいてくれた。
その優しさ、明るさ、暖かさ、バリちゃんの持っている、素晴らしいもの全てをシェアしてくれた。
そして、わたしが気を持ち直したとき、“ふんわりした気持ち”がやってきた。
それはきっと、犬の気持ちだけがふんわりしたんじゃなくて、途切れていた犬と人の心がつながった“ふんわり”なんだと思う。
人間同士でも微笑みあったときに、二人の間にお互いの優しさが流れ込んで、混ざり合った優しさが幸福感になって、二人を包むみたいな感じ。
バリちゃんといると、いつもふわっと優しいものに包まれていたなぁ。
未熟なわたしに、いつもいつも優しく明るいものを差し出してくれてありがとう。いつも辛抱強く待っていてくれてありがとう。
バリのおかげで、いつも幸せだったよ。
ありがとう、バリ。愛してるよ、バリ。