たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

競争と人間の愚かさ <発掘・戦禍の証し 全国最悪の空襲>などを読みながら

2019-02-19 | 戦争・安全保障・人と国家

190219 競争と人間の愚かさ <発掘・戦禍の証し 全国最悪の空襲>などを読みながら

 

今日は終日雨でした。雨の中を歩くのはやっかいなことかもしれません。雨に濡れると寒さもあり嫌な気分になるかもしれません。幸い私の場合自宅・事務所の間ほとんど雨に濡れることがなく、そういった気持ちなることもなく過ごせます。それでも出かける前、事務所から持ち帰った枯れかかった花を庭に植えるときは小雨に濡れました。花にとってはちょうどよいお湿りかなと思いながら、土の中にいくつかの花を入れました。雨景色が好きといっても、実際ずぶ濡れになると、沿うも言って折れませんね。

 

歌川広重の「東海道五十三次之内 庄野 白雨」なんかを見ていると、すてきだなとおもうのですが、描かれた人たちはどうだったでしょう。

 

ところで今日も打ち合わせなどが続き多少忙しくしていたのですが、ちょうど時間が合ってぼんやりしていたとき、突然、昔の仲間から電話があり、長話となりました。仲間と言っても30年前、日弁連熱帯林調査に参加したニューフェイスでした。まだ学生風なかんじで独特な雰囲気をもった女性でしたが、いまではベテランとして活躍してるのだと思います。

 

私がブログ三昧の生活?をしている様子を聞いてくれまして、高齢者のちょうどよい聞き役を演じてくれ、楽しい時間となりました。そういえばZeroトイレ・イノベーターの友人の話も長いですが、この場合は私が聞き役です。

 

さて6時も過ぎてしまいましたので、そろそろ本題に入ります。

 

今朝の毎日記事<発掘・戦禍の証し全国最悪の空襲 1945年8月2日(富山市) 一夜で消えた町の99.5%>は驚くべき内容であると同時、いろいろと連想ゲームが始まりました。

 

富山市といえば最近は、コンパクトシティ構想とかLRTとか、ヨーロッパで繰り広げられている先進例を導入する取り組みをする一方で、議員の不祥事も次々と露呈されて少し話題になっています。

 

その富山市が194582日、<一夜で消えた町の99.5%>というのですから、仰天です。東京大空襲や大阪など大都市が次々と空襲で破壊されたことはよく知られたじじつですが、記事で紹介された<主な被災都市の破壊率>でいえば、比率の最上位である神戸、和歌山、東京がいずれも50%台にとどまる中、富山市の例は異常です。

 

しかもこの比率以上に問題がありました。<不二越などの軍需工場は全く被害を受けなかった。戦後長い間、被災者は「軍需工場への空爆の巻き添えだった」と思っていた。しかし、空爆は当初から住宅地を標的にしたものだったことが明らかになった。>

 

米軍の攻撃はあくまで住宅地、一般人を狙い撃ちしたものであったのです。そんな非道があるか、そんなことは信じられないと思うかもしれません。しかし、<米陸軍航空軍史では「富山空襲は想像を絶する99・5%」と特記していることからも破壊率の高さがうかがえる。>

 

これを読みながら、私にも突然、思い出すことがありました。当地には陵山古墳というまるで天皇陵かと早合点しそうな名称の古墳があります。そこを訪ねたとき、その手前に橋本駅米軍艦載機による犠牲者追悼の碑が立っているのに気づきました。そこに絵が描かれてあって艦載機2機が田舎の駅舎に向かって攻撃している図です。犠牲者は6名の方です。むろん軍人とか、軍需工場などを狙った物ではないことは明らかです。和歌山市空襲は有名ですが、その東方には紀ノ川沿いにのどかな田園地帯がひろがるのみで、そこを2機の艦載機がなぜ飛んでいったのでしょう。

 

当時、アメリカ軍、とくに陸軍とその一組織に位置づけられていた航空軍は、日本を敗戦に追いやるために競い合っていたのです。陸軍はマンハッタン計画で、原子爆弾開発を進め、7月から8月にかけて何が何でも投下して多大の被害を与えて莫大な費用を投じた成果を示そうとしていました。他方で、航空軍は、空襲による被害の戦禍をあげつつも、軍需施設を狙うだけでは成功率が十分でなく、また敗戦に追い込むだけの実績をあげれず、このままでは空軍の独立が危ういと焦っていたと思われます。

 

お互いが競い合っていたのだと思います。むろん競争相手はいくつもあったでしょうけど、少なくとも陸軍内の競争は過熱していたと思われます。そこには人命とか人の生活、家族の一生といったことは念頭になかったと思います。どれだけの被災人数、棟数、規模であったかという数字の争いであったのではないかと思うのです。

 

ですから、そのような航空軍のパイロットが、たった2機で自由に橋本まで飛んできて、勝手に掃射してもおとがめもなかったのでしょう。あるいは戦果として報告されたのでしょうか。そうであればなんのルールもなかったといわれても仕方がないですね。

 

その競争の頂点は広島・長崎の原爆投下ですが、わずか数日前、それを予期した航空軍が少しでも戦果をあげようと無謀・非道というべき富山市壊滅空襲をあえて行ったのでしょう。それは単に軍事競争に過ぎない、でもそれが競争のなれの果てでしょう。

 

いままた米ソが軍事競争を再開しようとしています。背後に軍事産業や戦争商人が支えているのでしょうけど。

 

それは他方で、資本主義であれば当然の結果だと語る人もいるようですが、先日見たNHK番組では、新自由主義を唱えたハイエクも、はたまた見えざる手を訴え市場の自由を訴えた経済学の父?アダム・スミスも、野放しの自由ではないというのです。そういった自由な競争がもたらす多大な負の影響を熟知していて、そのコントロールを指摘していたというものであったかと思います。

 

自由や競争は人類が勝ち得た重要で基本的な価値ですが、そこに大事な、社会や世界にとって守らなければならない一線があるのだと思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。

 

 

 


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