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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

踏破と踏査 <『森浩一の考古学人生』>を読みながら

2018-05-05 | 古代を考える

180505 踏破と踏査 <『森浩一の考古学人生』>を読みながら

 

今朝は田中陽希のグレートトラバースシリーズが放映されませんでした。深田久弥の日本百名山一筆書きを踏破した翌年、二百名山の一筆書きを終え、現在?は三百名山の踏破を進めているのでしょうか。今晩その九州編をNHKで放送するようです。

 

ところで、登山家など山登りの場合山頂に達することを「踏破」というようですが、どんな意味かを確認してみました。デジタル大辞泉では「困難な道や長い道のりを歩き通すこと。」と説明しています。歩き通すという、肉体的な活動の貫徹を重視しているようですね。そこには精神的な意味づけはしていないようで、それぞれの解釈に任せるのでしょう。

 

登山家や冒険家は「踏破」という言葉を好むように思いますが、なにか間宮林蔵や伊能忠敬のような厳しい条件に屈しない貫徹する強い精神と肉体を表しているようにも思えるのです。

 

ところで、「踏査」について上記辞典では「実際にその地へ出かけて調べること。」と現地に出かけて行って実際に調査することという意味づけをしています。なぜ踏破と踏査を取り上げたかというと、森浩一著『森浩一の考古学人生』を読みながら、森氏が10代から生涯を通じて考古学者として踏査を貫いた人であり、踏査の重要性を体現した人だと感じたからです。

 

陽希さんが生死をかけながら踏破を続ける姿勢は、おそらく10年間程度ではないかと思いますが、それでもその成し遂げた実績は十分評価されてよいと思います。しかし、森氏が約70年の間貫き通した踏査は、考古学の神髄を示すだけでなく、考古学を多くの庶民に親しみやすいものにしただけでなく、町の考古学者を立派に認知させた見識の基礎にあるように思うのです。

 

私が考古学の書籍に関心をもったのは、当地にやってきて数年後ですから、上記書籍が発刊された頃でしょうか。当初は古代史に関心を持ち、いつの間にか古墳を含む考古学の方面にも興味をひかれるようになったとき、手にしたのが森氏の著作でした。まだそのほんの一部しか読んでいませんが、やさしい語りの中に、物事の本質を追及する姿勢や、合理的な裏付けをもって展開する主張には、記紀の解釈などでは必ずしも賛成できないこともありますが、考古学に関わる論及は納得することが大半でした。

 

ようやく森氏の名前を憶えて一度はお話を直接伺いたいな、なんて思っていたら、お亡くなりになり、残念です。でも森氏の著作はたくさんあり、今日その一つである上記著作を読了したところです。

 

森「少年」はやはり子供のころから別格だったのですね。小学校5年生の時、自宅の近くの西除川で友人と川遊びしていたら、足に何かひっかかり、それを家に持ちかえり調べたら古い時代の土器と考え、翌日学校で担任の先生に話したらそんな古いものがおちているはずがないと、疑うこともなく否定したそうです。それでしょげるような森少年ではなく、反骨心みたいなものでしょうか、家にあった『日本文化史』で調べたら今日の須恵器だと断定し、自分の判断に自信をもつのですね。

 

この話は、アル・ゴアが映画「不都合な真実」で紹介した興味深い話を思い出させます。彼の友人が小学生の時、地球儀をじっと眺めていて、南米の東海岸とアフリカの西海岸がぴったり一致するのではないかと教師に意見を言ったら、教師はそんなことがあるはずがないといったとか。その教師がその後ブッシュ政権の科学アドバイザーになったとか。その生徒は著名な研究者になったとか?物忘れが激しいので生徒と教師のその後はかなりいい加減です。

 

話を戻して、こういう森少年ですから、中学に入っても考古学への情熱が高まり、戦時下で工場勤務の中、いずれは出征し死を覚悟して、それまで時間があれば、遺跡のあるところに通うのです。こういった現地踏査を行い、自分の目耳など六感を通して吸収するのですね。なかなか電車も乗れなかったようで、歩いていったわけです。

 

で、この著作では、戦後初期(と断定できませんが)の大学での考古学研究者の在り方を問題にしています。大学教授とか大学の籍をおいている、とくに国立大学の研究者については、官僚学者と呼び、公費を使って、出張するが、自分が自ら現地調査をしないといった批判を辛辣にしています。

 

それに対し、市井の研究者は、自分は別の仕事で収入を得て、考古学研究は手弁当で行い、学閥や学会の束縛から自由に発言し、地味ながら立派な仕事をしていることを評価しています。森氏自身、ほとんど手弁当で調査を行ってきたというのです。

 

そのせいか、この書籍で取り上げているのはそういう人が多いですね。現在多くの素人が考古学の世界に入り、いろいろな自説を展開したり、そうでなくても発掘現場や講演に参加する状況は、森氏のような姿勢が多くの人に考古学の世界を身近にした要因の一つではないかと思うのです。

 

私は松本清張の推理小説ファンで、半世紀以上前には相当数の著作を読んでいましたが、彼の考古学に関する書籍は読んだことがありませんでした。森氏は清張さんと呼び、なかなか深い交流をしていたのですね。斉明朝の石文化に関わる清張の『火の路』は当時としては卓見であり、その後の発掘で前提事実が崩れたものの、東アジアはもちろんインド、ペルシャ文化までをも見据えた洞察力を森氏は評価しています。清張さんに誘われて飲み屋に行く場面も、大作家がいくような場所ではない店の雰囲気がでていて、清張らしさ?がでている感じがします。

 

また「原田大六さんの考古学」という部分では、学歴経歴が不確かな原田さんだが、その地域調査に裏付けられた見解を高く評価し、学歴にとらわれず、先輩などの意見に抗してその名を上げようとまい進する姿も気持ちがいいです。

 

とこんな話を続けていると、森浩一氏の洒脱で、粋のある文体が台無しになりますので、この程度にします。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


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