たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

戦時下の性暴力 <ノーベル賞 平和賞にムクウェゲ氏とムラド氏 性暴力糾弾>などを読んで

2018-10-06 | 戦争・安全保障・人と国家

181006 戦時下の性暴力 <ノーベル賞 平和賞にムクウェゲ氏とムラド氏 性暴力糾弾>などを読んで

 

今朝の毎日記事は<ノーベル賞平和賞にムクウェゲ氏とムラド氏 性暴力糾弾>など多くの記事で、今年のノーベル平和賞を取り上げています。

 

二人が受賞しましたが、紛争下で武器として使われてきた性暴力の根絶を、それぞれ異なる立場で勇気のある行動や訴え、持続的に行ってきたのが受賞理由です。

 

私は以前から「性暴力」という言葉にどのような意味が含蓄されているのか、ニュースや映画などである程度イメージしつつ、明確に意識していなかったように思います。ノーベル平和賞を受賞することで、私を含めより多くの人がこの問題をしっかり認識して、少しでも根絶に向けた動きをする必要を感じます。

 

性暴力は、むろん強姦という旧刑法の用語とも、強制性交という新刑法の用語とも、異なります。より破壊的で被害者・家族・地域集団全体に恐怖を蔓延させる強力な戦時下の武器ですね。被害女子・女性の精神・身体に生涯残る傷跡を残しただけでなく、家族や地域からも阻害されるのですね。そのうえ、子を産ませ、兵隊ないし男性兵士の性奴隷として養成するというのですから、重要な戦力増強手段でもあるのですね。

 

Sexual violence”をそのままのように和訳したのが「性暴力」あるいは「性的暴力」でしょうか、英語・日本語、いずれも表現が実態に比べて手ぬるいというか、もっと強い表現でもいいのではと思ってしまいます。

 

そろそろ私の拙劣な解説より、記事を少し引用したいと思います。

 

上記記事では<ノーベル賞委員会は5日、今年のノーベル平和賞を、性暴力被害者の救済に取り組んできたコンゴ民主共和国の婦人科医師、デニ・ムクウェゲ氏(63)と、過激派組織「イスラム国」(IS)に性的暴行を受けた体験を語ってきた活動家でイラクの宗教的少数派ヤジディー教徒の女性、ナディア・ムラド氏(25)の2人に授与すると発表した。>

 

そしてその受賞理由について、<アンデルセン委員長は「戦争や武力紛争の武器としての性暴力」撲滅への貢献を理由に挙げ、「戦時下の性暴力を白日の下にさらし、犯罪者への責任追及を可能にした」と2人をたたえた。>

 

医師のデニ・ムクウェゲ氏については、

<「世界のレイプの中心地」と呼ばれるほど性暴力が横行するコンゴ東部ブカブに1999年、パンジ病院を設立。民兵らに性暴力を受けた4万8000人以上の未成年を含む女性を治療し、精神的なケアにもあたってきた。>

 

その治療した数の膨大さに驚きます。そのうえ、その性暴力被害の実態を公に訴え続けることは、身の危険にさらされることだと思いますが、それに屈せず<「性暴力は、コストの安い『戦争の武器』として使われている」>と実態を世界に示したことがようやく認められたのでしょう。

 

別の記事<平和賞 ムクウェゲ氏とムラド氏の授賞理由>では、委員長の上記指摘に加えて、

<・生涯の多くをコンゴ民主共和国(旧ザイール)で性暴力被害者の支援にささげ、病院スタッフと共に数多くの患者の治療に当たってきた。

 ・コンゴ国内だけでなく国際社会においても、戦時の性暴力の根絶に向けて闘う最も統合的な象徴だ。

 ・ム多数のレイプ犯罪を継続的に糾弾し、戦争の戦略や武器としての性暴力の根絶に向けて十分対応しないコンゴ政府や他国を批判してきた。>とのこと。

 

他方、ナディア・ムラド氏については、<イラク北西部シンジャルに近いコチョ村の出身。14年8月にISがシンジャル周辺に侵攻した際に拉致され、拘束されていた約3カ月間、「性奴隷」として繰り返し、暴力を受けた。>とその被害状況が最初の記事で指摘されています。

 

これに加えて別の記事<ノーベル平和賞性暴力「泣き寝入り」「名誉殺人」に警鐘>では、お兄さんが取材に答えて<「きょうだい6人が殺害され、私とナディアは生き残った。物静かで小さな妹が、大きな勇気を見せた成果。誇りに思う」と話した。>とのことで、殺害とレイプが紙一重の中で生かされたより残酷な状況だったのですね。

 

で、上記の受賞理由では、上記の被害事実に加えて、

<沈黙を強いる社会の慣習を拒否し、類いまれな勇気を持って被害者の代表として経験を語った。23歳になった16年、人身売買の被害者の尊厳を訴える国連親善大使に就任した。>被害者として勇気ある行動を評価したのですね。

 

ところで、この社会の慣習については、<<ノーベル平和賞 性暴力「泣き寝入り」「名誉殺人」に警鐘>という記事の中で、中東・アフリカにおける性暴力を受けた女性に対する宗教・慣習の問題として、つぎのように指摘されています。

 

<女性の純潔が重視される中東諸国では、レイプも「婚前・婚外交渉」として被害者に厳しい視線が向けられるケースが多い。被害女性を「家族の名誉を傷付けた」として殺害する「名誉殺人」が横行する。>というのが背景にあるのですね。ですから、性暴力被害者のムラドさんが公に訴え続けたことはとても勇気ある行動だったわけです。

 

しかも、女性被害者の家族によるその殺人が許容されているようなのです。

<女性の純潔が重視される中東諸国では、レイプも「婚前・婚外交渉」として被害者に厳しい視線が向けられるケースが多い。被害女性を「家族の名誉を傷付けた」として殺害する「名誉殺人」が横行する。>女性の人権が基本的に認められていないのですね。

 

さらにこんなひどい法律が残っているのですね。

<中東・アフリカには、レイプの加害者が被害者と結婚すれば罪を免れるという法律が各地に残る。>とはいえ、紛争時の場合はまさか当てはまるとは思えませんが。

 

今日はお二人の受賞を喜びつつ、問題の深刻さを改めて痛感しました。このへんでおしまい。また明日。


日本の自律性 <対米地位協定 独伊と差・・・主体的に事故調査/国内法で飛行管理>などを読みながら

2018-04-18 | 戦争・安全保障・人と国家

180418 日本の自律性 <対米地位協定 独伊と差・・・主体的に事故調査/国内法で飛行管理>などを読みながら

 

横田基地、厚木基地、横須賀基地を調査したり、近くで眺めたりしてきました。私の場合はジェット機のきーんと耳をというか、神経をなで斬りするような音は何回も聞いたことがないですし、そのとき限りでした。

 

それが日常的に聞かされる住民は普通の生活ができなくなるでしょう。元々居住していた人も、後から転居してきた人も本質的に大きな違いはないと思います。法律論として区別する議論は合理的根拠を失っていると思います。

 

でもそんなことより、米軍が日本の空(米軍基地周辺一帯を広大に)を自国の空域として3次元で独占支配している状況、それを前提に自由奔放に活動している状況は、本土以上に、沖縄では深刻な被害を招いていることはこれまで何十年と報道されてきました。

 

米軍の活動に対するコントールだけでなく、米軍人の違法不当行為についても、日本法の支配下に及ばない状況は、本土ではさほど問題にならなくなってきましたが(実際は現在も起こっていますが)、沖縄の現在はまさに危機的状況ではないでしょうか。

 

この法的根拠たる日米地位協定は、アメリカの他国での基地管理において、極めて異常であることはずいぶん昔から指摘され、報道されたり、情報提供されてきました。今回は沖縄県が独自に調査した結果を毎日が<対米地位協定独伊と差 日本にない権限、沖縄県比較 主体的に事故調査/国内法で飛行管理>と本日朝刊で掲載したのです。

 

その比較表によれば、日本が異質であることがわかります。

 

 

<ドイツ南西部、在欧州米空軍司令部が置かれるラムシュタイン基地。米軍にもドイツの航空法が適用され、午後10時~午前6時は原則として飛行が制限される。基地内にドイツの警官2人が常駐して警察権を行使するほか、「騒音軽減委員会」が設置されている。

 同委には米軍司令官や周辺5自治体の首長、市民団体の代表者ら20人以上が参加し、米軍から深夜・早朝の航空機の離着陸回数などのデータが報告される。地元市長は沖縄県の調査に「米軍の騒音軽減の取り組みにはポジティブな印象を持っている」と語った。>

 

これに対し<日米地位協定では原則、米軍に国内法が適用されない。航空法は地上の人や物、航空機の安全を確保するため最低安全高度(市街地300メートル)を定めているが、米軍機は対象外だ。政府には米軍の訓練・演習を規制する権限もない。全国の米軍専用施設の約7割が集中する沖縄では、騒音軽減のための日米合意さえも守られない状況が常態化している。>

 

<96年、日米両政府は嘉手納基地(嘉手納町など)と普天間飛行場(宜野湾市)について、午後10時~午前6時の飛行を原則として制限する航空機騒音規制措置(騒音防止協定)に合意した。だが、防衛省沖縄防衛局の目視調査では、2017年度(今年2月末現在)の飛行制限時間帯の離着陸などの回数は1420回に上る。嘉手納町では騒音などへの住民の苦情件数が同期間で940件もあり、既に前年度の3・6倍に達している。町によると、最新鋭ステルス戦闘機F35A12機が嘉手納基地に暫定配備された昨年11月以降、苦情が激増している。町基地渉外課の我謝(がじゃ)治彦課長は「寝静まっている時間帯に米軍機が飛ぶことに住民は不満を抱いている。米軍へ抗議しても状況は変わらない」と話す。>

 

普天間が危険なのは米軍の基地活動を彼が住民保護を視野に入れず、軍事目的を恣意的に解釈して自由奔放に活動しているからで、それを許容しているという問題が根本にあるでしょう。

 

わが国では、首都圏でも、首根っこの横須賀基地に原子力空母が入港すると、夜間の発着訓練が相当激しく行われます。私が鎌倉に住んでいるとき、普段は静かなのに、突然、上空をもの凄い轟音が鳴り響いて、木造家屋が壊れるのではないかと思うほどの経験をしたことがあります。ま、この程度の騒音・振動は基地周辺の人にとっては日常茶飯事なんでしょうけど、それを許すわが国というのは、本当に自律した国家といえるのかと自問する時期をとっくに過ぎているようにも思えるのです。

 

アメリカの支配下で米軍が規律されているのであれば、その法制度を利用して果敢に戦った事件もありました。日本版NEPANational Environmental Policy Act)訴訟です。横須賀の呉東弁護士という優秀で強靱な精神力をもつ彼が中心にアセス法違反を裁判で追求したのはもう四半世紀以上前でしたか。

 

その後も彼は10数年前に原子力空母横須賀基地寄港の違法性を追求した訴訟を提起しましたが、その揺るぎない法の支配に対する努力は、わが国の司法のあり方、自律のあり方を問うてきたとも思うのです。

 

安倍首相はトランプ大統領と北朝鮮問題や貿易問題などを議論するため訪米して会談するとのことですが、いくらなお友達外交をしても、法的にいびつで不公正なくさびを改善できない限り、対等外交なんてものは、トランプ大統領緒のツイッター一言で裏切られても、断固とした抗議でそれを覆せない、状況にあると思わざるを得ません。

 

むろん、ドイツ・イタリアなどのアメリカの地位協定と、わが国のおかれた条件は異なるからとの理由で、一緒にすることができないというのが、軍事専門家の意見かもしれません。はたして北朝鮮・中国脅威論は、不平等な日米地位協定を合理化できるものでしょうか。慎重な検討を今後していくべきではないかと思うのです。

 

今朝の一面記事<沖縄・宜野湾の米軍ヘリ窓落下普天間、児童避難216回 米軍機、接近やまず 1日23回の日も>の状況は、自分の子供が通っていたら、許せますか。いやどこかに引っ越せばいいじゃないかという意見には賛成できません。

 

沖縄は、日本軍が侵した戦争の惨禍を本土防衛という屁理屈で、甘受させられ、何も言えず死を受け入れ、耐えてきた遺族たちの住むところです。故郷を大事にするのが日本人というのであれば、それはすべての人の故郷を自分の生活条件と同じように守るという意識があってこそ成り立つように思うのです。

 

 


人というものの複層構造 <NHK 草彅剛の“ニュースな街に住んでみた!>を見ながら

2018-03-30 | 戦争・安全保障・人と国家

180330 人というものの複層構造 <NHK 草彅剛の“ニュースな街に住んでみた!>を見ながら

 

数日前でしたか、中国の山間地にある村人の集団移住を描いたNHK番組を見ました。途中から見たので、なぜ、どのようにして集団移住が決まったのかはわからないまま、決まった後の場面を見ました。ある集落では一人だけ残され全員が移住することになり、みんなでバスに乗って、真新しい分譲地に向かいました。外観は立派ですが、内装・設備はかなり時代遅れで、これが中国の一面かなと思いました。それは氷山の一角でした。集団移住した彼らには仕事がないに等しいのです。なんと学校にも行っていないため、自分の名前も書けない、数字もわからない状態でした。これでは都市住民が成長を謳歌して内外で派手な生活をしているのとの大きな落差を感じてしまいました。

 

30年近く前だったでしょうか、東北部に取り残されていて帰国した日本人家族の事件を担当しましたが、そのときその村での生活実情を聞いたとき、戦前か維新前のような暮らしぶりと、生活意識に驚きましたが、TVに映っている移住民たちもさほど変わっていない様子でした。中国の成長は、都市部だけであって、地方ではまったく異なる文化・文明状況に閉じ込められているのではと思ってしまいました。

 

このときは眠気を催しながら、ついつい見てしまったのですが、内容が曖昧ですので、再放送があれば見てからこんど取り上げたいと思います。

 

このような中国の中にある格差、それは都市圏内にもあるでしょうし、その格差構造は複雑に入り組んでいると思われます。多民族国家である中国について、TVニュースで一面だけ見ても到底理解できるものではないでしょう。それでも一つの事実を知ることは、違った見方ができる一つの要素として重要だと思うのです。

 

そんなことを昨夜見たNHKの<草彅剛の“ニュースな街に住んでみた!>でより強く感じさせられました。

 

草薙氏と柳澤NHK解説者?とのソウル市内でのアパート同居生活は、短期間ながら、韓国人の一面を見るのに、いい内容を提供してくれたと思います。

 

ソウル市というか、韓国には一度も訪れたことのない私としては、とても興味深い内容でした。これまで隣国である韓国へは、なんどか誘いを受けながらも、あまり興味を抱くことがなかったため、足を踏み入れないままでした。当地にやってきて、古代の朝鮮に興味を抱くようになってからは、行ってみたい国の一つになったのですが、飛行機に乗ること自体億劫になってしまい、いまではTVで他人の視点で見るだけでも満足しています。

 

ソウル市の中心街などは時折、TVで放映されているのを垣間見ますが、都市化しているためか、あまり大きな違いというか、特徴を感じることができないことが多いです。

 

ところが二人が選んだ場所は、その市街地の外れあたりにある、高台でした。かなり古そうな住宅街の中に、二人が選んだアパート?はきれいにリフォームされたのでしょうか、都会的な内装で、しかもリビングの窓からはソウル市街が一望できる一等地のような眺望を堪能できるところでした。

 

しかし、それはその部屋だけが都会的センスをもっているように思えました。周囲はソウルの異なる雰囲気を残していました。多くの住民は、朝鮮戦争で故郷に帰ることができなくなった元北朝鮮の人、北朝鮮から逃れてきた人などで構成されているようです。

 

草薙氏は10年以上前に韓国に滞在し、韓国語もある程度話せ、彼のことを知っている人に呼びかけられるほどでした。それでも北朝鮮と関わりのある人と接触するのは初めてだったのでしょう。柳澤氏は通訳付きで取材に取り組んでいました。北朝鮮から逃れてきた人などが通う教会に入り、その中で、80代の女性二人が戦時中の写真が自宅にあるので、それを見せながら話す約束を取り付けたようです。ところが、その後断りの電話が入りました。それは日本のテレビ局の取材に応じて戦時中の話をしてそれが放映されたとき、どのような批判の声が上がるかわからないといった忠告があったようです。

 

TVの前に現れる韓国人の多くは、占領時代の日本人の悪行を取り上げて批判するのが当然のようになっていますね。それが韓国人すべての考え方というより、ごくわずかの人が仕向けているのかもしれません。その実態はわかりませんが、次のエピソードなどはそう感じさせるものでした。

 

二人がその町中を歩いていて、ドアが開いているビルの一角に入っていくと、年老いた女性たちが集まってなにかをやっていました。二人が挨拶をすると、険しい声で日本人批判を何人もがしていて、とてもその場にいられないような状態でした。ところが柳澤氏が一人に話しかけると、普通に話しをして、批判の声もおとなしくなりました。そして別れ際、おそらく批判していた人でしょう、日本人が嫌いではないとも言っていました。

 

TVなどの前では、占領時代の日本人への批判をしないと、かえって仲間から、あるいは韓国人の多くから非難されることをおそれているように思えるのです。

 

むろん戦時中の非道な行為の責任について、国家間での協定で解決済みというのは、国民一人ひとりとしては納得できないことも少なくないでしょう。傷つけられた心の痛手は生涯にわたって残るでしょう。

 

そういうことについては、私たち日本人も、自分が行ったことではないわけですが、国民として意識をもつ必要を感じています。とはいえ『帝国の慰安婦』で書かれたような、一定の客観的な事実に基づく主張であればきちんと受け止める必要がありますが、根拠の乏しい主張の場合は、敢然として議論する必要があると思うのです。

 

とはいえ、ソウルの中の北朝鮮の人の立場も複雑でしょう。朝鮮の統一といいますが、朝鮮自体が元々、3つ、あるいは多数の国に分かれていた時代の方が長かったのではないかと思うのです。北朝鮮が領土とする地域は別の民族が長く支配してきたのですね。また、魏志倭人伝にも登場する楽浪郡は平壌を中心として、長い間中国の有力な地域として独立的存在を保っていたわけですね。

 

わが国の統一国家以前、その後の戦国時代といっても、朝鮮ほど異なる国の様相は経験がないのではと思うのです。その意味で、朝鮮というか、北朝鮮や韓国という国、人を理解するのは容易ではないとも思うのです。

 

といいながら、私は日本人の血には、朝鮮を中心に他民族の血が相当入っていると思うのです。律令国家を形成する以前にどのくらいの人が朝鮮半島から渡ってきたでしょう。その人たちの血は日本人と一体になっていると思います。というか、そういった血統といったものが歴史の変遷の中でどれだけの意味を持つのかも疑念を持ちたくなります。

 

でも私たちは、そういった歴史に刻印された記録(多くは国家が規定したものでしょう)によって人を見てしまう傾向を否定できないように思うのです。今回の二人の小さな旅は、ほんのわずかでも国家が作ってしまった刻印を薄めてくれて、人というものと対峙するチャンスを与えてくれたかもしれません。

 

イムジン川を歌った北朝鮮に故郷のある歌手、とても心に響く歌声でした。やはり歌って素晴らしいですね。

 

今日も脈略なく、書いてしまいました。おしまい。また明日。


隠される事実 <加藤陽子・評 『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』>を読んで

2018-02-11 | 戦争・安全保障・人と国家

180211 隠される事実 <加藤陽子・評 『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』>を読んで

 

本書の著者・旗手圭介氏は、<2016年8月放映のNHKスペシャル「ある文民警察官の死」>を作製したディレクターとのこと。

 

私もこの番組を見ました。PKOの実態についてはさまざまな情報が流れていても、十分な根拠にもとづくのか疑問もありました。しかし、この番組では放映された、派遣された人たちが登場して証言する生々しい体験と現場の状況、そして事件の経緯・状況は、いかに厳しい実態であったかを丁寧に伝えるもので、深く感動しました。いまでも記憶に残っています。

 

加藤陽子氏による書評はいつも注目している一つですが、今回も的確な内容で、その書評を頼りに、私の感じたことを書いてみたいと思います。

 

いま北朝鮮問題を含め世界各地で新たな問題が勃発しています。新たな時代と加藤氏が述べている内容は私が描くものと同じではないでしょうけど、新たな時代が起こっている予感はします。

 

そのとき加藤氏は<ひとつの時代が終わろうとしている今、私たちがぜひとも思い出し、検証しておくべき、冷戦終結直後の一つの歴史が、本書によって解き明かされた。>と、本書の意義を指摘します。

 

<1992年、宮澤喜一内閣がPKO(国連平和維持活動)協力法を成立させ、カンボジアPKOに初参加した歴史>について、本書の上記タイトル自体が「告白」という形で真実を赤裸々に、また背後の国、国際社会の人、組織の問題性にも肉薄しています。

 

歴史の表舞台では、加藤氏が書いているように、PKOの見事な成果として世界的に報じられました。

<91年パリでカンボジア停戦協定が調印されたのをうけ、国連監視下での総選挙実施の援助者として、自衛隊、文民警察官、国連ボランティアが派遣された。93年5月末、懸案の選挙は終了し、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)代表・明石康は「自由で公正な選挙が行われた」と凱歌(がいか)をあげた。たしかに、有権者登録数470万人以上、投票率9割近くという数値を達成してはいた。>

 

しかし、事実は隠され、そこで派遣された隊員たちは、まるで戦時中の大本営発表で動かされた海外各地の戦場にいた兵隊のように生死を彷徨い、また沖縄では多くの民間人が自決を迫られたように、真実はこうだと言えないまま、PKO活動を行っていたのですね。

 

加藤氏は<日本から文民警察官として現地に赴いた、全国警察の俊英七十余名の肉声は、全く異なる事態を伝えていた。>として、本書の内容をいくつか引用しています。

 

<カンボジアの治安情勢について、いわく、「内戦中だったんですよ。パリ和平協定なんて全然守られていなかった」。兵站(へいたん)を軽視し違法な命令を強いたUNTACに対して、いわく、「明石氏に正解を聞きたかった」。>

 

このことはNHKの番組で、元隊員たちがリアルに銃砲が飛び交う様を切実に指摘していました。その事実はこの放映まで隠され続き、今なお事実として確定されていないのではないでしょうか。

 

それは<南スーダンに派遣された自衛隊部隊の昨年夏の「日報」>が戦闘状態にある事実を具体的に記述していたのを、ないものにしようとした防衛省はじめ政府のあり方と同一の根深い問題を感じます。

 

もう少し加藤評釈を引用させてもらいます。

<本書の中核をなしたものは、仲間の命を奪われた隊員らが保管してきた原史料や記録だった。彼らも一時は死を覚悟し、「正確にこのこと(現地の状況)だけは伝えよう」と互いに励まし合い、覚悟の上で記録を残していた。>というのです。

 

むろん公式記録ではないのです。日報はどうなったのでしょう。自衛隊員とは違いますが、日報は表現はいろいろな名称があると思いますが、なんらかの職務で仕事をする場合に最低限度の必須の仕事・作業でしょう。まして国連の重大な職務として派遣されているわけですから、公式に日報を日々作成すること、報告することは基本中の基本だったはずです。それは一体どうなったのでしょう。おそらく隊員たちが正確な記録を残すために書いた原資料と異なる、表向きの現地状況や作業内容を書いた、隠された事実の報告にとどまっているのではないかと思います。それが公式記録として現在も残っている、いやすでに廃棄してしまったのでしょう。

 

著者の乾坤一擲の思いで番組を作り上げたのも、この著作を書き上げたのも、加藤氏の次の引用から、こういった隊員たちの思いを受けて、NHK内外の圧力に打ち勝てたのではないかと思うのです。

<著者の旗手啓介が番組を作ろうと決意した動機も、文民警察隊長だった山崎裕人から、当時の手記や報告書を提供されたことにある。政府が公文書を適正に保存しないのみならず、廃棄する事例に事欠かない日本では、歴史の検証は困難を極める。それを思えば、本書の大事さが身にしみてよくわかる。>

 

一人の隊員の犠牲が真実から隠されたという憤激があるのではないかと思います。これは番組を見ていた私の気持ちも強く隊長たちの気持ちに揺り動かされました。

<命を奪われた仲間とは、93年5月4日、対戦車砲と自動小銃を持つ「正体不明」の武装勢力に襲撃され、死亡した高田晴行警部補をさす。高田を襲撃した相手はわかっているが、UNTACと政府は正体不明にこだわる。>

 

加藤氏が事実隠蔽の構造について、PKOの派遣の目的・前提要件として、本書を通じてわかりやすく解説しています。

<選挙と戦場。この二つは本来両立しないはずだ。PKOが可能なのは、PKO参加五原則のうち、(1)紛争当事者間で停戦合意が成立している、(2)紛争当事者の受け入れ合意がある、この2条件を満たす場所だ。だがカンボジアは、ある時点から、この条件を満たさない場所へと変貌を遂げていた。>

 

パリ協定の停戦合意が国内全域で成立していたわけでなく、一番危険なポル・ポト派が支配する領域では有名無実化していたというのです。しかし、このようなことは慎重に調査・検討すれば、容易に予測できますし、戦闘状態があり停戦合意が破棄されていることが確認されれば、撤退の大勢を整えておくべきことだったはずです。

<パリ協定に調印し、停戦に合意したのは四つの陣営だった。その最大勢力がプノンペン政府軍派であり、残りの反政府三派の一つがポル・ポト派だった。ポト派といえば、70年代半ば、一時的に政権を掌握した際、800万人の自国民のうち100万~200万人を虐殺と餓えで死に追いやった一派にほかならない。

 停戦から選挙までに、必ず完了させなければならないのが武装解除のはずだった。パリ協定も4陣営に7割の武装解除を要求してはいた。だがポト派は、選挙前に最大限勢力拡大を図ろうとし、武装解除せず、自らを武装した民警だとして、政府軍との戦いを続けていたのだ。>

 

そしてその一番危険なスポットに派遣されたのです。

<高田の配置された警察署の場所が、あろうことか、ポト派の新しい根拠地に最も近い場所だったことだ。この危険性にUNTACも政府もまったく気づけなかった。ある隊員の嘆き。「なぜだれも日本から、現場に話を聞きに来ないのか」>

 

しかも<93年3月の時点でポト派が、停戦合意を破棄し、選挙をもボイコットする決断を下していたことだ。その時からポト派にとっては、選挙支援に奔走する日本人は、敵として目に映じたことだろう。>

 

この点、番組ではポト派の隊長クラスが当初、好意的な接触をしていたのが、ある時期から状況が変わったといた証言があった記憶です。敵意を当初は見せていなかったのはカモフラージュだったのか、それともさらに上層部の判断が変更したため、敵視するようになったか、は明らかにされませんでした。

 

この番組の取材で、元隊員と再会したときの友好関係にあったポト派の隊長の不自然な対応を見ると、少なくともある時点で、日本人を敵視していた、そして丸腰の隊員たちを餌食のように襲ったことにわずかな後悔の表れを感じたのですが、真相はわかりません。

 

一人一人の命は貴重で大切だと言うことはだれも否定しないでしょう。でも、国家としての目的、国連や国際社会での役割・地位を保つということに軸足を置いてしまうのが国家というものの必然かもしれません。大義のために死ねというのかもしれません。その大義が嘘・偽りを前提にしても、さらに将来を切り開くためといった目的のため、嘘も方便として、一人の気持ちや命を危険にさらすことはやむを得ないと、考える思考が自然に生まれてしまう危険を感じます。そして戦争やその危機を煽るとき、あるいは戦争を回避するという崇高な目的のため、その事実を隠すことが国家という制度の中で平気で生まれるようにおもうは邪推でしょうか。

 

真実が隠された理由について<停戦合意が破られているならば、文民警察官は撤退しなければならない。隊員を率いる山崎はそう判断した。だが、総選挙実施という成果を上げたいUNTACも政府も、撤退の上申を認めなかった。先に、「正体不明」の武装勢力と書いた。UNTACも政府もポト派だと明示できなかったのは、認めたが最後、PKO五原則の前提が崩壊するからである。>と加藤氏が本書により評しています。

 

いま私たちが住む日本は、ある国家目的が次第に醸成されているように思えることが会います。平和への危機を訴える切実な声に対して、平気でヘイトスピーチなり表現を拡散することが増えてきているようです。事実が隠され、それを告白しないといけない状況は、いま広がりつつあるように思えるのです。

 

事実を述べることを躊躇しないですむ社会の成立はおそらく人間社会には生まれないかもしれません。でもそれがより厳しくなるのではなく、できるだけ少なくなるような社会づくりが必要ではないかと思うのです。他方で、批判の自由もあって良いと思いますが、事実に基づかない批判は恥ずかしいことと思える社会に近づくことも努力していきたいと思うのです。

 

また今日も少し長くなりすぎました。冗長でした。もう少し簡潔さを心がけたいと思います。ともかく本日はこれにて終了。また明日。


米軍をどうみるか <発掘・戦禍の証し ・・和歌山・串本 「爆弾捨て場」>などを読みながら

2017-11-21 | 戦争・安全保障・人と国家

171121 米軍をどうみるか <発掘・戦禍の証し ・・和歌山・串本 「爆弾捨て場」>などを読みながら

 

米軍に関する記事が少し気になっています。トランプ大統領の挑発的な言動で、あの黒いカバンにさえ注目が及んでいます。たとえば<質問なるほドリ米大統領の核攻撃指令って? 随行者が通信装置携帯 軍以外止められず=回答・和田浩明>によると、この黒いカバンに入っている指令装置で、大統領が核攻撃などの指令を発したら、軍人が不当として拒否する以外止められないとされ、議論になっているようです。

 

たしかベトナム戦争の時ニクソン大統領がその指令を発したけれども、軍人が不当として拒否し、そして翌日副大統領が酒に酔っていたと説明したとかの記事もどこかで読みました。大統領や軍人のトップは通常、信頼して良いのではないかと思いつつ、不安もよぎります。

 

トルーマン大統領はどうだったのだろうとか。いやいや、最近の米軍の事故事例は結構目立ちますね。最新イージス艦の2つの衝突事故は111日報告書でいずれも乗組員のミスを認めています<米イージス艦事故「回避可能だった」 調査報告書を公表>。当然精鋭といわれる第七艦隊のトップクラスも責任を問われるでしょう。

 

ヘリの墜落事故も多いですね。軍人個人の問題も無視できないです。<米軍車両衝突、男性死亡 米兵の飲酒運転か 沖縄>もあれだけ基地内での規律をと言われているのに、信じられません。沖縄の人にとってはたまりません。

 

そして戦争末期にとった米軍の陸海空軍いずれもが無軌道で卑劣なことを行った記録が次第に発掘され明らかにされていることも直視しておく必要があると思うのです。

 

今朝の毎日記事は、<発掘・戦禍の証し>という連載中の一つですが、<本州最南端の町 1945年 和歌山・串本 「爆弾捨て場」15度空襲>との見出しで、戦時とは言え長閑で平和な田舎町を、空軍機は「爆弾捨て場」として、空襲で残った爆弾をその対象地に指定されていないのに、落としていったというのです。

 

それが15度もあったというのです。橋本市史でも、戦時中はむろん軍事施設も何もない平和な町まで飛行機が一機飛んできて、JR橋本駅に銃弾を発射したという記載があったのを思い出しました。

 

米軍の空軍自体、陸海軍との競争の中で独自の戦禍をあげるため、日本全土で無差別空襲を大規模に行っていたことは、NHKの番組でも紹介されていましたし、この連載記事でも関西を中心に大阪、神戸、堺、和歌山など大規模空襲を行っていることを取り上げています。

 

たとえば<餓死作戦 1945年5、6月 神戸港 機雷投じ荷揚げ遮断>では「餓死作戦」と銘打っているわけです。関心のある方は連載中の記事をフォローできるようになっていますので、ご覧ください。

 

海軍の方も負けずと無鉄砲に乱射しています。反撃がないので余裕綽々だったのでしょう。

 

<米艦隊は紀伊水道沿岸の船舶攻撃が目的だったが、日本の船舶と遭遇しなかったため、潮岬沖約10キロから陸地を砲撃した。5分間に1000発超の砲弾を撃ち込むすさまじい射撃で、水上機基地の待避壕(ごう)などを破壊したほか、市街地が巻き添えにされた。記録に残っているだけでも民家に30発が直撃し、3人が亡くなっている。>

 

こんな姿勢がその後もベトナム、アフガン、イラクなど各地で、次第に世論の声に押されて抑制されてきたと思いますが、誤差は許される攻撃をしてきたと思います。

 

さて再び沖縄の現状に立ち戻ってみたいと思います。

 

米軍基地汚染、沖縄の憂い 周辺から有害物質 専門家「立ち入り必要」>は、まさに危惧してきた問題の一端が発覚したと思います。90年代にカナダで米軍基地が返還された後土壌調査したら、ダイオキシン類の一種が大量に発見され、その原状回復が長く問題になっていました。

 

わが国の基地ではどうなのだろうと心配していました。記事によると<沖縄本島南西部の浦添市。米海兵隊基地の牧港補給地区(通称キャンプ・キンザー)は25年以降の返還が予定されている。周辺では近年、有害物質の検出が続いている。>というのです。

 

汚染のエビデンスがはっきりしています。<周辺で捕獲されたハブの体内に、毒性が強く生産・使用が禁止されたPCB(ポリ塩化ビフェニール)やDDT(殺虫剤)が高濃度で蓄積しているとの調査結果を、名桜大(名護市)の田代豊・国際学群教授(環境科学)らが15年9月に発表した。浦添市が西側の海に面した基地の排水口や周辺河川の土砂を改めて分析したところ、やはりPCBとDDTを検出。国の環境基準は下回ったが、貝に鉛が含まれていることも分かった。>

 

いずれも基地以外では使用されていないものですね。しかし、わが国の法令は適用されません。<米軍は「日本環境管理基準(JEGS)」に基づき、在日米軍施設の環境保護に取り組むことで日本政府と合意している。だが、立ち入り調査ができなくなり、基準が守られているか日本側が定期的にチェックできる機会は失われた。さらに日米地位協定により、基地返還時に米側に原状回復義務はない。>

 

<沖縄大の桜井国俊名誉教授(環境学)は・・・「政府は環境の回復責任を米側が負うよう主張すると同時に、せめてなるべく少ない費用で浄化できるよう、履歴情報の提供を求めるべきだ」と語った。>ということですが、当然ではないかと思います。

 

長々と米軍のことを書いてきましたが、大統領というトップから末端まで、ほんとうに信頼できる状態にあるのでしょうか。たしかに北朝鮮の金正恩朝鮮人民軍最高司令官はさらにひどいし、中国もいつどのような態度に出るかわからないので、アメリカとの安保協定は変えられないというわが国の安全保障にとって基本であるとの考え方は多くから支持されているのでしょう。

 

しかし、このままでよいのか、現行安保体制を維持するとしても、再検証して(抜本的な)見直しを検討する時期に来ているのではないでしょうか。

 

いろいろな話題を取り上げすぎて整理できないまま、漠然とした見直し論は有効でないことを承知しつつ、もやもやする日々の中で一言書いてみたくなりました。

 

今日はこれでおしまい。