まるちゃんの めざせ!快適シンプルLife

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メリークリスマス

2018年12月25日 | ちょっと思ったこと

Merryクリスマス

愛と慈しみの人、キリスト様のご生誕をお喜びいたします

私は仏教徒ですが、キリスト様は慈悲にあふれ悟りに至ったブッダのような人だったんだろうと想像します。世界中に愛と優しさを伝えた大変有り難い存在だったと思いますし、今も人々の心の中に生きて愛と優しさを伝え続けているのだと思います。
どうか、キリスト教の人々だけでなく、地球上の全ての人々、生命が無量の愛(思いやり、慈悲)と優しさを心に大きく育てることができますように。みんな同じ地球に住む同じ人間、同じ生命ですから。

というわけで、日本でもクリスマスを祝うのには意義があると思います。
この日は、恋人がイチャイチャする日ではなく(してもいいけど)、家族友人全ての生命が、真の愛(無償の愛、執着のない愛、思いやり、慈悲)を確認する日なんだと思います。

ケーキを食べる日でも、プレゼントを「もらう」日でもないと思います(食べてももらってもいいんだけど)
そう思いませんか?

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他人の事は自分の事

2018年12月18日 | ちょっと思ったこと
排除したい(怒っている)人は、恐怖心で苦しんでいるんだよね。守りたいものがあるから。

あなたの守りたいものは何??

誰一人としてつながりなしには存在できません。生きているなら、すでにあらゆる人や物とつながっています。すでに他人事じゃない自分の事。

それはあなたの命を奪うものですか?
上手くやっていきましょう。一緒にね。
大丈夫。そんなに怖がらなくていいよ。大丈夫だよ^_^
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当たり前のこと

2018年12月17日 | ちょっと思ったこと
子供は社会の宝じゃなかったのかな?産んだ人の所有物じゃないよな?周りのみんなで、産んだ人や家族や子供たちを助けて支えていかなければ、この忙しくて生きるのに大変な社会では無理でしょう。苦しんでいる人がいたら助けるのが、当たり前。
当たり前のことが、欲に支配された人にはできない。
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社会の育児放棄

2018年12月17日 | ちょっと思ったこと
児童虐待、育児放棄、児童相談所などの福祉施設建設に反対する人、、、大人の責任として子供をちゃんと育てようとしない、育てられない大人が増えたから、子宝が授からない社会になってきたのかも知れないなあ。そんな社会に生まれたくないよなあ。
、、、欲に支配された社会。人間。
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くりかえし

2018年12月02日 | お釈迦様

昨日のつづき。もうひとつ。

 

第Ⅶ篇第二章 在俗信者
   第二節 ウダヤ

ウダヤさんというバラモン(当時のインドの階級)の家にお釈迦様が托鉢に回っていた時のこと。ウダヤさんの家に3日続けて行くと「三回もくりかえしやって来て、しつこいなあ」と言われたお釈迦様は答えました。

「 いつもくりかえし種子を蒔き、

いつもくりかえし神々の王が雨を降らし、

いつもくりかえし農夫は田畑を耕し、

いつもくりかえし〔雨を降らす神々の王が〕他の国土にまでも及び、

いつもくりかえし托鉢行者が食物を乞い、

いつもくりかえし施主が施与をなす。

いつもくりかえし施主は施与をなしたあとで、

いつもくりかえし天界なる場所におもむく。

いつもくりかえし乳牛業者は乳を搾り、

いつもくりかえし仔牛は母に近づく。

いつもくりかえし人は疲れ、また苦しみ労する。

いつもくりかえし愚者は母胎に入り、〔迷いの生存をつづける〕。

いつもくりかえし生まれ、また死に、

いつもくりかえし墓場にはこぶ。

しかし智慧豊かな人は、再び迷いの生存に至ることのない道を得て、再びくりかえし生まれることはない」

 

「輪廻」のことですね。ワタシたちは無明(無知、愚か、悟ってない)からまた生まれる(輪廻する)のです。そして、苦しい生をやり直す(修行とも言える)。ウダヤさんも私たちも悟ってしまえればいいのですが。お布施の機会をもらって有り難いと思えないウダヤさんだから繰り返されたのかな?

勉強でも運動でも、なんでもそうです。わかってしまう、ちゃんと身につくまでは、繰り返し練習なり訓練なり失敗(経験)なりを繰り返す。くりかえすのは苦しかったりするけど、くりかえし励んでいればいつか楽になる。まあ、くりかえしも楽しくやってしまえばいいと思います。

善いことのくりかえしは大事だよね。
というか、アホだからくりかえすのは仕方ないよなあ

くりかえし、くりかえし、、、だなあ。

はやく賢くなりたいものです。

昨日の詩もそうだけど、声に出して音読してみてください。
心に沁みます、、、ワタシは

 

 

116 善をなすのを急げ。悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事を楽しむ。

117 人がもし悪いことをしたならば、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪がつみ重なるのは苦しみである。

118 人がもし善いことをしたならば、それを繰り返せ。善いことを心がけよ。善いことがつみ重なるのは楽しみである。 (岩波文庫 中村元訳 ブッダの真理の言葉)

 

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功徳を積む

2018年12月01日 | お釈迦様

11月は一度も記事をアップすることなしに過ぎていきました。有り難いことに、毎日、穏やかに元気に過ごすことができております。

久しぶりのアップは、今読んでる「ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤⅡ」(岩波文庫 中村元訳)のなかで、心に残っているところをひとつ紹介します。

これ(サンユッタ・ニカーヤ)はお釈迦様が(心で?)天界の神々とか悪魔(惑わすもの)とかと対話されたことが集められています。バラモンとか普通の人と実際に対話されたこともたくさんあって、お釈迦様の言葉(詩の形になってます)が真理の言葉(法)になっていて胸に響きます。また、お釈迦様の対話の仕方という点でも大変勉強になります。

第Ⅶ篇第2章 在俗信者
  第1節 田を耕す人

お釈迦様が托鉢に回られたところのある農夫が、自分たちは土地を耕して種をまいて苦労して育ててから食べているんだから、あなた(道の人、お釈迦様)も自分で食べ物をつくって食べたらどうか、ということを言います。

そこでお釈迦様は答えます。()は訳者の読み。〈〉はワタシの解釈。

「わたしにとっては、信仰が種子(たね)である。苦行〈学び、修行、観察瞑想などのこと?〉が雨である。智慧がわが軛と鋤である。慚(はじること)が鋤棒である。心が縛る縄である。気を落ち着けることがわが鋤先と突棒とである。身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。わたくしは真実をまもることを草刈りとしている。柔和がわたくしにとって〔牛の〕軛を離すことである。
努力がわが〔軛をかけた牛〕であり、安穏の境地に運んでくれる。退くことなく進み、そこに至ったならば、憂えることがない。

この耕作はこのようになされ、甘露の果実(みのり)をもたらす。この耕作を行ったならば、あらゆる苦しみから脱れる。」

農夫にこのように答えて、自分も耕作者、努め励んでいるものであることを示す、、、と同時に、法を説いているのです。しかも、淡々と。
お釈迦様、すごい!!

これを聞いた農夫は食物を捧げようとするのですが、お釈迦様は受け取りません。なぜなら、法を説くということをしたので、受け取ればその「報酬」となってしまうから。報酬(見返り)を受け取ることはできないのです。”他の立派な人にお布施してください”と言われます。

「詩を唱えて〔報酬として〕得たものを、わたしは食うてはならない。バラモンよ、このようなことは正しく見る人々(目ざめた人々)のならわしではない。詩を唱えて得たものを、目ざめた人々(諸々のブッダ)は斥ける。バラモンよ、定めが存するのであるから、これが〔目ざめた人々〕の生活法なのである。
全き人である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽くし悪い行いを消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者のための(福)田であるからである。

そう、托鉢というのは、一般の人がお布施をする(功徳を積む。欲を離れるとか生命を大事にするとかの心を育てる種)機会を与えているのですね。だから、黙ってしばらく立っているだけ。功徳を積みたい(お布施したい。心を育てたい。功徳の種をまきたい)人はお布施しますが、そうでなければ他に移動する。ただご飯をもらって歩いているワケじゃない。もらってるのじゃなくて、相手のために受け取ってあげてる。

これぞ完全ボランティアですね。
相手の徳になるようにと。謙虚で思いやりのあるお釈迦様です。

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