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安保法制について考える前に、絶対に知っておきたい8つのこと/ 伊勢崎賢治から

2016-01-27 14:11:36 | EU
「国連PKO上級幹部として、東ティモール、シエラレオネの戦後処理を担当。また日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除の任に就き、紛争屋として、戦場でアメリカ軍、NATO軍と直接対峙し、同時に協力してきた東京外国語大学教授の伊勢崎賢治氏。日本人で最も戦場と言う名の現場を知る氏が昨年刊行した『日本人は人を殺しに行くのか 戦場からの集団的自衛権入門』から、安保法制について考える前に、有権者全員が心に留めておきたいことを以下に記す。(構成 / 編集集団WawW ! Publishing 乙丸益伸)


1.集団的自衛権と集団安全保障は明確に違うもの

そもそも集団的自衛権の「集団」と、集団安全保障の「集団」では意味が違います。前者における集団は「同盟国」のみを指し、後者における集団は「国連加盟国全体」を指しています。 (p.25)

「集団的自衛権」という文脈(略)の時に出ていく武力組織はNATOなどの有志連合でその指揮権は、攻撃に参加している各国が持っています。(略)つまり、各国は各々の「国益」のためにそれを行使するのです。(略)一方の「集団安全保障」という文脈での「集団」とは、(略)「国連加盟国全体」を指しています。この時に出ていく武力組織は、国連が承認し、国連が指揮の責任を持つPKO(国連平和維持活動)の多国籍部隊――PKF(国連平和維持軍)であることが基本です。(略)「国連的措置」(集団安全保障のこと;構成者注)とは、自分とは利害関係の全くない国の問題でも、(略)皆で窮地に陥った人々を助けようという性格のものです。こちらは、明確に“世界益”のために行われるものです。(p.29)


この二つがごっちゃになると、世界情勢を見る場合に、大きな混乱が生じることになる。


「集団的自衛権」は、あくまで“国益”のために行われるものであるため、時に各国のエゴがむき出しになることもあります。一方の「国連的措置」は“世界益”のために行われるものであるため、一国上の都合やエゴは、建前上、出せません。(p.30)

PKOの活動など――は清らかなイメージを付随させやすいものです。そのため、あえて「集団安全保障」という日本語訳を使い、「集団的自衛権」と混乱させることで、その行使の禁止の箍(たが)を外してしまおう、と考えている勢力がいるのではないかと、私は思っているのですが……。 (p.30)


どういうことかは、追々説明していく。


2.自衛隊の海外派遣を推進したのは「湾岸戦争のトラウマ」という名の外務省の勘違いだった

集団的自衛権の問題は、アメリカとの関係に左右されるといっても過言ではありません。つまり、アメリカに国際的な事件が起きるたびに、日本は集団的自衛権の解釈について頭を悩ませてきたのです。 (p.36)


湾岸戦争当時の1991年6月に、日本は、海上自衛隊の掃海部隊をペルシャ湾に派遣して以降、1992年6月にPKO協力法を成立させた。その3か月後の9月にカンボジアPKO、翌1993年5月にはモザンビークPKO、1994年9月にはルワンダ難民救護派遣、1996年2月にはゴラン高原PKO派遣……。


こうして、自衛隊の海外派遣へと突き進んできた日本国政府ですが、そのモチベーションは、本当に、一般に報じられている通り、「日本が国際貢献をするため」というものだったのでしょうか。(略)一番大きかったのは、外務省側の思惑で、外務省自身が「湾岸戦争のトラウマ」と呼んでいるものです。この説明は、湾岸戦争当時の海部内閣で、首相の演説担当・国会担当の内閣参事官として官邸にいた、江田賢治さん(元「維新の党」共同代表、当時通産官僚)の2007年10月22日のブログの記事が詳しいので、一部引用します。

「湾岸戦争の時には130億ドルもの支援をしながら「汗をかかない」と批判されたと、「湾岸戦争のトラウマ」をことさら強調する論者も多い。しかし待ってほしい。「湾岸戦争のトラウマ」を言うなら、私も、その当事者の一人である。当時は海部内閣であったが、私は総理の演説担当・国会担当(内閣副参事官)として首相官邸にいた。(略)
確かに「カネだけ出して汗をかかなかったから」日本は批判されたのだ、と言うのは、当たっていないことはないが、多分に以下のような特殊事情があったことに留意すべきである。(略)
実は、この「湾岸戦争のトラウマ」とは、直接的には、当事国のクウェートが戦後出した米国新聞の感謝広告に「JAPAN」がなかったというコンテクストで使われるのだが、しかし、これも考えてみれば当たり前のことなのだ。
実は、90億ドル支援(当時のお金で約1兆2000億円)のうち、クウェートに払われたのはたった6億円だったという事実を知らない人が多い。1兆円以上のお金は米国のために支出されたのだ。クウェートの首長は石油王で、イラクがクウェートに侵攻している間は、実は隣国のサウジの超高級ホテルのスウィートルームで優雅な生活を送っていた。その石油王にとって6億円程度は「はした金」にすぎないわけだから、感謝しようにもその気がわいてこないのは、ある意味しょうがないことなのだ。
言いたいことは、「湾岸戦争のトラウマ」を例にあげながら、しきりに「お金だけではだめだ」「汗をかけ」「自衛隊を出さなければ」と言っている人には、背後に、こうした事情、経緯があったことを知った上で発言してもらいたいということだ。「おカネ」は決して卑下すべき貢献策ではない。時と場合によっては、効果てきめん、感謝される貢献策となりうることも肝に銘じておくべきであろう。」

(略)つまり、外務省と、自衛隊の海外派遣を推進したい政治家の言う「湾岸戦争のトラウマ」とは、外務省のミスであり、アメリカからのメッセージの背後にある本心を読み違えた思い込みだったのです。(p.49)


3.アメリカのエゴ丸出しの戦争に、日本はまたも勘違いで加担していた

イラク戦争は、アフガニスタン戦争よりもさらにひどいものだったといえます。なぜなら、この時、イラクに侵攻するためのアメリカの集団的自衛権の行使に対し、国連安保理の決議は出なかったからです。つまりイラク戦争は、(略)アメリカのエゴ丸出しの戦争だったのです。(p.62)

しかも、アメリカが戦争の根拠とした、「イラクが保有しているはずの大量破壊兵器の存在」は、ブッシュ政権の捏造だったことはアメリカ自身の調査、そしてメディアによって、後に明らかにされるのです。おまけに、サダム・フセインがアルカイダを支援していた証拠も見つかりませんでした。(p.62)


アメリカ同時多発テロの時、世界貿易センタービルの倒壊で亡くなったのは約2700人。対して、アフガンとイラクに派遣されたことで亡くなったアメリカ兵は6000人超。そして、アフガン戦争で、1万9269人もの民間人が亡くなり、イラク戦争開始後の3年で巻き込まれて亡くなった民間人の数は15万1000人……。


皆さんは、アメリカ同時多発テロの後に大きく報道された「Show the flag」という言葉を覚えているでしょうか。同時多発テロ直後、アーミテージ米国務副長官が日本政府に対して協力を求めた言葉として広く報じられ、実際に、日本がインド洋に自衛隊を派遣する大きな原動力になりました。しかし悲しいかな、日本はこの言葉を、またしても勘違いして受け取ってしまっていたことが分かったのです。(p.79)

というのも、日本はこの時、「Show the flag」を文字通り「イラクに日本の(自衛隊の)旗を見せろ」という意味で受け取っていました。ところが、(略)アーミテージは、「旗幟を鮮明にしろ」――日本がどちらにつくかはっきりしなさい――と言っただけで、「自衛隊をイラクに派遣しろ」と言ったわけではなかったのです。(p.80)

ここに、自衛隊を海外に派遣するための口実である「湾岸戦争のトラウマ」に、「Show the flag」という口実が加わったのです。(p.80)


4.安倍内閣が集団的自衛権行使容認を欲する理由も、湾岸戦争のトラウマ、ショーザフラッグと同じ系譜

なぜ安倍内閣は、ここまで集団的自衛権の行使容認を欲するのか?


安倍首相は、「集団的自衛権の行使を容認しないと、有事の際に、アメリカが助けてくれなくなって困る」と言っているのです。(p.104)

閣議決定まで終わった「集団的自衛権の行使を容認する理由」がそれである証拠として、安保法制懇のメンバーの一人で、(略)元外務官僚の岡崎久彦さんの言葉を引用しましょう。彼は、2014年5月19日に、ハフィントンポストに掲載されたインタビューの中で、(略)次のように答えています。

「もう東アジアの安全保障というのがね、日中関係、米中関係なんてものはないです。中国対日米同盟、このバランスで全部考えなきゃいけない、共同で行動することを考えないかぎり、日本の安全は今考えられない。日本一人でもアメリカ一人でも守れないもん。アメリカ一人で守れと言ったらアメリカ引きますよ、だって勝てないもん。一番の問題は、日米同盟が危険にさらされた時ですよね、アメリカだけ、アメリカの第7艦隊がやられていて、日本が助けにいかなかったら、アメリカもう(同盟)やめたと、そうなる可能性はありますね、それが一番怖いですね。」 (p.104)


そして伊勢崎氏は、安保法制懇の第1回目の報告書に、「集団的自衛権の行使が必要な理由」として、岡崎さんがハフィントンポストに答えた内容と、ほぼ同じことが書かれていることを、本書の102ページに記している。


問題は、安倍内閣が「集団的自衛権の行使容認」に動いている理由が、「湾岸戦争のトラウマ」と、まったく同じ系譜にあるものだということです。「湾岸戦争のトラウマ」が、日本の外務官僚の勘違いによってもたらされたものであったことは、すでにお話した通りです。 (p.105)

5.アメリカは日本に自衛隊の派遣を求めていない?

では本当にアメリカは、日本の集団的自衛権の行使容認を欲しているのか?


日米関係を語るとき、よく「日本(が出すの)は金だけでいいのか」という議論になり、日本人に肩身の狭い思いをさせています。しかし、戦争を始めるのにも終わらせるためにもお金が必要であるという状況の中で、日本がこれまで、アメリカの戦争に莫大な貢献をしてきたことを、日本人はもっと自覚するべきです。(p.119)

また、「思いやり予算」こと、日本が負担する在日米軍駐留経費のことも忘れてはいけません。沖縄から飛び立った海兵隊が、イランやアフガニスタンに赴いているのです。(p.119)

さらに、世界の約5分の1を担当する世界最大の艦隊・米海軍第七艦隊が、事実上横須賀と佐世保を母港としているのをはじめ、在日米軍基地の担当範囲は非常に広く、アメリカが関与する紛争多発地帯をほぼ包括しています。さらに燃料や爆弾の貯蔵においても、日本は海外最大の保管庫になっています。(p.119)

だから、アメリカから日米同盟を解消することは、アメリカから日本を見はなすことは、特に中国の存在が、地球を良い意味でも悪い意味でも支配する現在、そして近未来において、絶対にありえません。(p.120)


ではなぜ、アメリカが日本に自衛隊を出すよう圧力をかけてきているように見えるのか?


選挙で有利に戦うための短期的な「利害」にしか興味のない政治家は、日本の専売特許ではありません。もちろんアメリカの政局をも支配しているものです。こういうアメリカの政治家にとって、自分で勝手に「湾岸戦争のトラウマ」を背負いこんでいる日本人は、たいへん好都合なのです。なにせ、これをちょっと耳元で囁くだけで、日本人は簡単に震え上がってくれて、それだけで、お金をATMのように引き出せるようになるのですから。(p.123)

今回の集団的自衛権行使容認騒動は、日本側の叶わぬ片思いのようなものです。恋い焦がれるあまり、アメリカが欲していないものでも何でも貢ごうとする……。なんとも切なくなる話です。(p.122)


6.集団的自衛権の行使によって失われかねない「日本の美しい誤解」の存在について

アフガニスタンにおいて実感した話です。(略)アフガニスタンの場合、(略)主要な占領政策はNATO加盟国を中心に分担して行うことになりました。新しい国軍はアメリカ、警察はドイツ、日本は非NATO加盟国ですが、武装解除の責任を負うことになりました。(p.127)

アメリカもNATOも手を焼いて何もできずにいた軍閥間の戦闘に非武装で入り込んで行き停戦させ、スローではあるものの重火器の引き渡しを着実に実現してゆく私たち(日本;構成者注)に対し、いつしかアメリカ軍の関係者たちは「日本は美しく誤解されている」と言うようになったんです。(p.128)

アフガニスタンの軍閥は、冷戦時代から大国のエゴの真っただ中にいた連中です。アメリカを基本的に信用していません。しかし日本は、アメリカから独立しているものと思われていたのです。それは誤解もいいところなのですが、私たち日本には、アフガンの軍閥たちに見られる足元自体がなかったのです。「日本に言われちゃしょうがない」――。あの時、軍閥やその配下の司令官たちは、我々が武装解除に向かった先々で、例外なくこう言い、武装解除に従いました。(p.129)

また、私たちの活動とは別に、イラクでは、日本の自衛隊が(基地にロケット弾が着弾しながらも)銃撃戦を一度も経験せずに任務を完了しました。なぜこれが可能だったかと言えば、地元のイスラム指導者が、「自衛隊を攻撃することは反イスラム」であるというおふれを出したからです。日本は、イスラム圏において、それほどまでに良いイメージを持たれていたのです。(p.131)

なぜか? そのルーツの一つは、日露戦争にあるようです。私もよくアフガンの軍閥に言われたものです。「ジャパンはスゲーよな。俺らも勝ったけど」と。また、アメリカにヒドイ目に遭わされた経験があるイスラムの民は、日本に「勇敢な被害者」という印象を持つようです。日本は経済大国でありながら、彼らの痛みが分かる唯一の国だと、彼らは考えているようです。(p.132)


……そんな日本のすばらしい国際的なパブリックイメージ(美しい誤解)が、今回の集団的自衛権の行使容認を契機として、失われてしまう危険性があると伊勢崎氏は指摘する。それはあまりにもったいないことだと。


7.自衛隊は“今”すでに、海外で人を殺さなければいけない一歩手前にまで追い込まれている

集団的自衛権の行使容認によって、国際的に、日本が苦しい立場に追い込まれかねない現状の中、今回の集団的自衛権の行使容認論議の中には、マスコミにも忘れられている重要な論点が存在しているという。


日本の報道では、集団的自衛権の行使容認の話ばかりにスポットライトが当てられていますが、決して見逃してはいけないことがもう一つあります。それは、安保法制懇の提言のなかには、「集団的自衛権の行使容認」の他に、「国連的措置(集団安全保障;構成者注)であるPKOの活動の幅を、これまで行っていた後方支援活動から、海外での軍事的行動を含む本体業務にまで広げるべき」ということも含まれているということです。(p.86)


日本では、PKOの活動は安全というイメージが流布されているが……、


もちろん、「日本はPKOに派遣している自衛隊が危機に陥ったら、兵を引くだろう」という見立てもあるでしょう。しかし、残念ながら、その甘い見立てが、いままさに自衛隊を危機へと追い込んでいるということも、ここで指摘しておかなければなりません。(p.235)

陸上自衛隊がPKO要員として、2012年1月から派遣されている南スーダンにおいてのことです。(略)2013年12月、南スーダン政府軍に対して反政府軍がクーデターを起こしました。(略)陸上自衛隊が駐屯している首都ジュバでの武力衝突に発展。(略)今、南スーダンは、第二のルワンダ化が心配される世界で最も危険な地域の一つになっているのです。(p.235)


……そして、2013年12月のある日の朝、自衛隊は、宿営地に隣接する国連施設のゲート付近に、数千人規模の避難民が集まり始め、昼過ぎに、開門して避難民を国連の施設に収容するという事態を実際に経験した。


ここで問題なのは、(略)「武装集団は、避難する一般市民に紛れて行動する可能性もある」ということです。もしも、保護を求めて自衛隊の基地に流れ込んできた住民のなかに、武装集団が紛れ込んでいたら? それを追って敵対勢力の武装集団が、熱狂状態にある群衆に紛れて迫ってきたら? 自衛隊はどういう立場におかれるのでしょうか。もはやその不安は、遅きに失していると言っていいでしょう。(p.239)

今回の閣議決定では、当然のごとく、「国際協調に基づく『積極的平和主義』の立場から、国際社会の平和と安全のために、自衛隊が幅広い活動で十分に役割を果たすことができるようにすることが必要である」とされました。しかし、ほとんどの国民がその危険性を知らず、マスコミも易々と見逃してしまい、誰一人として気づかないというお粗末な状況でした。日本は、将来でなく、今現在の時点でも、無辜の民間人と区別のつかない「敵」を殺さざるを得ない状態にあり、帰ることもできないでいるのです。(p.240)


それゆえ伊勢崎氏は、「現状のPKO活動からの自衛隊の全面撤退」を説く。なぜなら、PKOの活動も、日本側の勝手な思い込みで、日本が世界に貢ぎ倒しているだけなのだから……。


今現在、国連のPKO部隊(PKF)に大勢の兵を送り込むのは実は、国連加盟国の中でも、発展途上国の仕事になっているからです。これは、国連のPKFに部隊を送ると、国連からお金をもらえるため、発展途上国にとってはいい外貨稼ぎの場になっているからです。つまり、PKFに派遣される兵士の人数は足りているため、もう日本は、PKF関連の仕事に兵(自衛隊)を送る事業から卒業していいのです(実際、私は、ここまで大隊レベルの大きな部隊派遣にこだわる“先進国”を他に知りません)。(p.169)


あなたはこの事実を知っていただろうか?


8.日本は世界に残された最後の希望

PKOから自衛隊が撤退したら、もう日本は国際貢献できないではないかと思う方もいるかもしれない。しかし、現状のPKO活動よりも、もっと、真の意味で、日本が世界の平和に資することのできる自衛隊の活動(日本独自の貢献の方法)が存在している。


日本独自の貢献の方法――しかもそれがアメリカの国益にもなるもの――とは何なのでしょうか? そのヒントは、COIN(アメリカ陸軍・海兵隊のフィールドマニュアル:Counter-Insurgency)にあります。これは、イラク戦の米最高司令官だったペテロイアス 将軍(略)が、(略)2006年に、それまでの米軍の戦略ドクトリン(教義)を方向転換させたものです。(略)COINとは「対テロ戦マニュアル」のことなのです。(p.132)

なぜアメリカの圧倒的な軍事行動をもってしても、軍事力ではとるに足りないテロリストに勝てないのか? その理由の一つは、テロリストの側に、我々にはない圧倒的なまでの「非対称な怒り」が存在していることです。(略)我々を迎えるあちら側は、我々を傍若無人な侵略者(特に、イスラム教徒にとっての異教徒)であると見なしています。我々が黙ってそこに立っているだけで、彼ら個人個人とその集団を貫くのは、彼らのアイデンティティを賭けた怒りです。しかもそれは、我々の攻撃による同胞や家族の犠牲によって増幅し続けるのです。この「非対称な怒りの増幅」こそが、テロとの戦いに終わりがない所以です。そこで生み出されたのがCOINだったのです。(p.133)

COINが訴えかけるのは、「Winning the War : ウィニング・ザ・ウォー(敵を軍事的にやっつける)」ではなく、「Winning the People : ウィニング・ザ・ピープル(人心掌握戦に勝つ)」です。そのためには、(略)優良な国軍と警察を擁し、ちゃんとした「沙汰」を提供し、「秩序」を保つことのできる――すなわちinsurgents(テロリスト達;構成者注)が入り込んでくる隙間のない――現地政府をつくるしかないのです。(略)これは、“ネーション”(国家)という概念が存在しなかった無法地帯に、それをつくるという作業なのです。(p.136)

“ネーション”づくり。アメリカは、イラクにおいて失敗し、続くアフガニスタンでも失敗しています。(略)しかしこれは、失敗というより、まだ成果をあげていないと言わなければならないものです。なぜなら、COINに代わるドクトリンはまだ出現しておらず、恐らくこれ以上の方法は、将来に渡って出現しないだろうからです。(p.138)

2014年末の軍事的勝利なき撤退を前にして、アメリカやNATOでは、COINのこれからを占う専門的な議論が盛んになりつつあります。しかし実は、2006年にCOINをまとめるヒントとなったのは、日本がアフガニスタンで成功させた武装解除だったのです。COIN制定の前、アフガニスタンのアメリカ軍関係者の間でよく言われていたのは、「アフガンの成功をイラクへ」でした。その「アフガンの成功」とは、私たち日本の武装解除の成功のことだったのです。(略)日本が非武装で行った武装解除の成功がこそが、当時、アフガンに“ネーション”を建設する一縷の希望になっていました。日本が非武装で行った武装解除の成功が、ペテロイアス将軍の作ったCOINの元になったものなのです。(p.138)

アメリカ軍の増派といい、アフガン新国軍の計画兵力といい、オバマ大統領の「戦争計画」が迷走するなか、NATOは首脳会議において、今年2014年の末までに、アフガンに展開しているNATOの治安部隊13万人の大半を撤退させる方針を示している。つまり、この2014年は、NATOが、史上初めて、軍事的勝利のないままに戦争に区切りをつける歴史的な年になる。


2014年度末のNATO軍の撤退は、アフガンに「力の空白」をもたらし、再度勃興しつつあるタリバンに、おおいに有利に働くだろう。これが、OEF(不朽の自由作戦)という名の集団的自衛権の行使によって、アメリカ軍兵士に、1万9984人の負傷者と、2343人の死者を出した後の結果なのである。


これが、アメリカが今、そして、これからも苦しみ続けるであろう「集団的自衛権の行使」の実態です。今年2014年に、NATOは一応の区切りをつけますが、それは、単に経済的・政治的に(厭戦ムードが支配する)この戦争を維持できないからです。そして、「安倍政権の集団的自衛権」は、アメリカが陥っている現在のこの状況に、何の関心も払っていないのです! こんなことで、「アメリカの最も重要な友人」などと、よく言えるものだと、私は内心思っています。(p.139)

では、アメリカの国益になりながら、同時に日本が世界に貢献できる最上の方法とは何か? それは、(略)今こそ、日本版COIN――すなわち、非武装が原則だからこそできる「ジャパンCOIN」――を引っさげ、世界に“参戦”することです。(略)それが、真の世界貢献と(アメリカからの;構成者注)主体性獲得への第一歩になります。(p.140)

そのためには、安倍政権の言う「集団的自衛権の行使」など、一切必要なものではありません。(p.140)

日本はアフガンにおいて、内政干渉だと反発されることなく行政改革を行い、民衆に信頼される“ネーション”を打ち立てることができるはずです。それは、アメリカを中心に、西洋社会がおしなべて苦手としていることです。(p.140)


では、日本の「美しい誤解」を損なうことなく、集団的自衛権の行使容認も必要なく、非武装を原則として、真の世界平和と、アメリカの国益にも叶い、日本が真の主体性を取り戻すことのできる「ジャパンCOIN」、「非武装の自衛隊による真の世界貢献」とは何か――。


小さな政治ミッションでしかなかったアフガニスタンのUNAMA(国連アフガニスタン支援団)のマンデート(任務)を“少し”拡大し、「国連軍事監視団」を設け、アフガニスタンとパキスタン国境上の監視役として、NATOの代わりに、常駐させることだと考えています。(p.146)

このような国連軍事監視団の任務は、中立性を発揮しなければ両者の信頼を損なうため、紛争当事者国に利害関係のない国の要員が向いています。そして、同じ理由から、非武装で行うことが原則です。(p.146)

だから私は、この任務に、日本が手を挙げるべきだと考えているのです。ここにこそ、日本が「武力を使わない集団的自衛権の行使」――ジャパンCOIN――を実行する、大きな余地が生じていると考えています。(p.146)

国連軍事監視団は、伝統的に「安保理の眼」とも言われ、国連の本体業務中の本体業務です。大尉以上の軍人が多国籍のチームを作り信頼醸成にあたる、非常に名誉ある任務です。その任務に、日本が手を挙げるのです。これは、国際社会・アメリカに対し、日本が持ちうる「強み」と「補完性」を最高の形で発揮できる方法であると同時に、真の積極的平和主義の先駆けとなるための、極めて現実的な方法です。(p.146)

しかもそれは、国連的措置に関する任務であるため、日本の美しい誤解を損なう集団的自衛権の行使容認を行う必要はありません。さらに非武装で行う任務なので、憲法9条の問題においても、一切揉める必要がないものなのです。 (p.147)


こんなにいい方法があるのに、伊勢崎氏以外に、ほとんどこのような話をしていないのはなぜか? それは、政治家も含めた日本人が、海外情勢、戦場のリアルな動静に徹底的に疎いからであろう。その結果、日本は、伊勢崎さんが「日本側の叶わぬ片想いのようなもの」と表現するようなこと(湾岸戦争、イラク戦争への自衛隊派遣と集団的自衛権の行使容認)を、必要もないのにアメリカに貢ぎ続けてきたのである。しかもそれは、結果的に日本の国益を損なうものであり、ほとんど国際貢献にもなっていない、最悪の本末転倒だった……。

今こそすべての日本人が、国際情勢のリアルについて学びなおすべき時だろう。手遅れになる前に。


「日本にこれができなかったら、世界から希望の光が消えてしまう――」


伊勢崎氏は、本書で、そう訴えかけている。」

http://synodos.jp/international/14646

日韓関係の遠近法 /浅羽祐樹 ・比較政治学より

2016-01-27 13:06:17 | アジア

「「基本的価値を共有していない」というのは本当か

2015年、日韓両国は1965年に国交を正常化してから50周年を迎えた。「共に開こう 新たな未来を」と謳われたが、「史上最悪の関係」という評価が一般的だった。首脳会談だけでなく外相会談も開催できないという異常な事態が続き、相手に対する感情も下げとどまっていた(内閣府「外交に関する世論調査」)。さらに、その原因を互いに「反日」「右傾化」に帰せ、自らを省みようという姿勢に乏しい(言論NPO「第3回日韓共同世論調査結果」)。

そんな中、安倍晋三首相と朴槿恵大統領は、3年半ぶりの日韓首脳会談を行った。日中韓サミットの脇でようやく実現し、昼食すら一緒にしないという略式のものだったが、慰安婦問題の「早期妥結」に向けて交渉を加速させることで一致するなど、少なくとも政府間関係はある程度「正常化」した。

40周年のときは、韓流・日流ブームの真っただ中で、日韓関係は今後、「体制共有」から「意識共有」へと進化していくと期待されていた(小此木政夫編『韓国における市民意識の動態』慶應義塾大学出版会、2005年)。しかし、「10年経つと山河も変わる」という韓国のことわざのように、自由民主主義や市場経済など政治経済システムや、米国との同盟を主軸とする外交安保政策など、「体制をめぐる意識の離反」が顕著である。

産経新聞前ソウル支局長に対する刑事告訴は、「基本的価値の共有」という日韓関係に関する規定が外交白書などから削除される引き金になった。しかし、ソウル中央地裁は、「韓国も民主主義体制である以上、言論の自由は広く保障されるべきであり、公人に対する場合は、悪意や極めて軽率な攻撃で顕著に相当性を失っていない限り、名誉棄損における違法性が阻却される」という大法院(韓国最高裁)の先例どおり、無罪を言い渡した。

もちろん、そもそも検察による告訴自体に無理があり、「マイナスがゼロに戻っただけ」という評価もある。慰安婦問題で支援団体とは異なる「第3の声」を伝えようとした朴裕河教授(『帝国の慰安婦―植民地支配と記憶の闘い』朝日新聞出版、2014年)も名誉棄損の嫌疑で刑事告訴され、初公判を控えている状況には何も変わりがない。

「言論・出版の自由」(第21条第1項)や「学問の自由」は(第22条第1項)、当然、韓国憲法でも保障されている。異論の許容や多様性の保障は、単に選挙が定期的に行われているだけではなく、実質的な競争、ひいては人権が保障されるという自由民主主義体制の根幹を成している。もちろん、日本においても全く同じことが当てはまる。

日韓それぞれにおける自由と民主主義の程度について、国境なき記者団、フリーダムハウス、ワールド・ジャスティス・プロジェクトなど国際スタンダードに基づいて比較すると、ほぼ同じ水準である。日本政府による規定とは別に、フェアに評価する姿勢が重要である。たとえば、報道の自由は、国境なき記者団の指標では、両国とも「顕著な問題(noticeable problems)がある」と指摘されていて、日本(61位)は韓国(60位)よりも順位が低い。

この「自由なき民主主義(illiberal democracy)」という問題は、特に新興民主主義国の韓国(崔章集(磯崎典世ほか訳)『民主化以後の韓国民主主義―起源と危機』岩波書店、2012年)において、「権威主義体制への転換」には到らないまでも、「民主主義体制の後退」として理解されている。

日本でも、「民主主義の再生」が問われる中、「民主主義ってなんだ?」に対して「これだ!」と断定する傾向が一部で見られる。しかし、そもそも民主主義には様々なパターン(アレンド・レイプハルト(粕谷祐子・菊池啓一訳)『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36カ国比較研究[原著第2版]』ミネルヴァ書房、2014年)があるし、さらに、民主主義だけで十分なのか、という疑問がある。むしろコール(叫ぶ/要求)すべきなのは、「あれもこれも!」だし、「民主主義も自由主義も!」であるはずだ。

民主主義だけでなく自由主義も、代議制民主主義体制に欠かせない基本的価値である。いくら民意を反映して権力を創出したとしても、権力相互間で牽制させることで均衡が保たれない限り、「多数派の専制」によって少数派の人権が侵害されかねない(待鳥聡史『代議制民主主義―「民意」と「政治家」を問い直す』中公新書、2015年)。日韓それぞれでいま問題になっているのは、明らかに、後者である。

民主主義と自由主義、政治と法、議会と司法の関係は、国や時代によって異なるが、基本的には憲法で規定されている。日本の場合、最高裁判所は国会の立法裁量を広く認め、法令の違憲審査に消極的であるが、「憲法の予定している司法権と立法権との関係」(最高裁「選挙無効請求事件/最大判平27.11.25」)は決して静態的なものではない。

このダイナミズムは、韓国を理解する上で、躓きの石になっている。産経新聞前ソウル支局長の件でも、そもそも検察は大統領(府)の意向を汲んで刑事告訴を行い、外交部も裁判所に対して善処を求めるなど、「行政からの司法の独立」が疑問視された。韓国憲政史においては、過去清算のためにはときに遡及法も厭わないが、これも、まずはどういうロジックになっているのか、内在的に理解する必要がある。


どのように慰安婦問題で「妥結」するか

安倍首相と朴大統領は日韓首脳会談で、慰安婦問題の「早期妥結」に向けて交渉を加速させることで一致した。安倍首相としては、国交正常化時に日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決された」(第2条第1項)という従前の立場を堅持しつつ、「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去」(首相官邸「戦後70年総理談話」)について、アジア女性基金と同じように、「人道的見地」からは何らかの措置を改めてとることを表明したことになる。

他方、就任以来、「慰安婦問題の進展」を日韓首脳会談の条件にしてきた朴大統領にとって、「解決」ではなく「妥結」というかたちに応じたのは画期的である。「法的責任」「国家賠償」を求める支援団体が厳に存在し、世論を圧倒する中で、国内外で合意が可能なウィンセットは歴代韓国政府としても限られていた。

今回、程度はともかく、日韓双方が譲歩したということである。問題は、こちらがさらに譲歩すれば相手も同じように報いるという確証を互いに持てるか、である。「何度も蒸し返された」という不満がある日本は、「今度こそ最後だ」という保証を求めている。在韓日本大使館の前に支援団体が設置した少女像を撤去するのは、そのための方法の一つだが、韓国政府が国内調整に主体的に動いてはじめて可能になる。

逆に、日本政府も、韓国政府だけでなく、広く韓国国民から「心と精神」の両方を勝ち取る手立てを工夫する必要がある(渡辺靖『文化と外交―パブリック・ディプロマシーの時代』中公新書、2012年)。その際、「謝罪する国家」という英文専門書の表紙がワルシャワ・ゲットーで跪くブラント独首相の写真であることに留意したい。

もっとも、たとえ慰安婦問題が「妥結」したとして、「日韓歴史認識問題」(木村幹著、ミネルヴァ書房、2014年)の火種はなお残る。

朴大統領は2017年3月からの新年度に向けて、「正しい歴史教科書」という国定の歴史教科書の編纂に着手した。「正しい歴史認識」はこれまで日本に対して要求してきたが、韓国内でも「正史」を通じた「正しい国家観」を確立することを目指すというのである。賛否は真っ二つに割れていて、保守層や高齢層ほど賛成が高い(世論調査機関「リアルメーター」による「世論調査結果」2015年10月22日)。

日韓間で争点になりうるのは、「日帝強占期」の評価である。「日本という帝国主義によって強制的に占領されていた期間」という意味で、1910年の韓国併合条約や、父である朴正煕大統領による日韓国交正常化に対する法的評価と直結する。日本は「正当性はともかく、合法・有効」、韓国は「そもそも不当・不法・無効」をそれぞれ主張したが、最終的には「もはや無効(already null and void)」(日韓基本条約第2条)というかたちで双方「妥結」した。

他にも、国際的には法的主体として扱われたことがない「3・1運動によって建立された大韓民国臨時政府」(大韓民国憲法前文)の実態についてどのように描かれるのかも焦点である。1919年の時点で「建国」ということになると、1948年8月15日は「政府樹立」にすぎず、現在の憲法の「法統」(大韓民国憲法前文)、さらには「法源」は、この「抗日」の歴史に由来することになる。

それでなくても、大法院(韓国最高裁)は、この憲法前文に裁判規範性を認め、「日帝強占と直結する私人の不法行為」に関しては個人請求権が日韓請求権協定で消滅していないという法的立場を示し、それに基づいて下級審が複数の日本企業に対して賠償を命じる判決を下している。いずれも控訴・上告されていて、うち3件は大法院に係留中であるが、日本企業の敗訴はほぼ確実である。他方、憲法裁判所は、日韓請求権協定そのものが合憲かどうか争われた件で、「却下」決定を下すことで、日韓関係を成立させ、50年間持続させてきた枠組みが根底から覆されるという最悪の事態は回避した(憲法裁「2009憲バ317」「2011憲バ55」2015年12月23日)。

そもそも「1965年体制」は、50年前の条約や協定だけで成り立っているのではない。その後、総理談話や共同声明など日韓両国による外交実践が積み重ねられてきている。日韓請求権協定も、「完全かつ最終的に解決された」で結ばれているではなく、「解決されたこととなることを確認する」と続いている。この「確認」の積み重ねを双方思い起こしたい。

そうでないと、「最初から何もしていない」という批判や、「もう何もする必要はない」という強弁だけがまかり通ってしまうことになる。いずれも、日韓50年の歩みを全体として理解できておらず、つり合いが悪い。診断を誤ると、当然、処方も効かず、症状を悪化させかねない。

1965年体制は依然として日韓関係を支える枠組みとして有効であり、それを前提にして諸課題に対処していくのが現実的である。1945年以前に対する歴史認識だけでなく、1965年の国交正常化以降、特に1990年代における取り組みに対する歴史認識の食い違いも顕著である。河野談話、村山談話、アジア女性基金など、それなりに「確認」を重ねてきたことをいま一度「確認」するべきである。「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯」に関する検証は、「河野談話作成からアジア女性基金まで」を対象にしたが、アジア女性基金というかたちで韓国政府も当時「妥結」していた点が浮き彫りになっている。

問題はむしろ戦略的利害を共有してるかだ

歴史認識問題で韓国が国際世論に訴求する姿勢に対して、日本では「告げ口外交」「ジャパン・ディスカウント」として理解する傾向がある。しかし、より深刻なのは「逆告げ口外交」で、「韓国は中国に傾斜している」という日本の認識と、「日本がそのように米国に喧伝している」「中国傾斜論は日本による米韓離間策にすぎない」という韓国の認識との間のギャップである。

韓国の中国傾斜(論)をどのように評価するか。

中国の抗日戦勝70周年軍事パレードに朴大統領が「西側」の首脳として唯一参加したことで、「レッドラインを越えた」という評価(たとえば鈴置高史・木村幹の対談「ルビコン河で溺れ、中国側に流れ着いた韓国」日経ビジネスオンライン)が一気に広まった。朴大統領は、人民解放軍の「空母キラー」を習近平国家主席と一緒に観閲する反面、在韓米軍によるTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)の配置には同意していない。THAADは本来、北朝鮮のミサイルから韓国を防衛するためのものだが、中国は「黄海の奥深く、北京まで射程にとらえる」として反対し、韓国に対して受け入れないように露骨に圧力をかけている。

韓国政府は米韓首脳会談で「中国傾斜論を払拭できた」と自負している。しかし、オバマ大統領から「声を上げろ」(ホワイトハウス「米韓首脳会談後の共同記者会見」)とはっきりと要求された南シナ海問題で依然として中国を名指しせず、「航行の自由」と「紛争の平和的解決」という原則を繰り返すだけである。後者は、環礁の埋め立てがすでに完了している中では、「力による一方的な現状変更」を黙認することになりかねない。

問題は、法と規範に基づくリベラルな国際秩序を守護しようとするのか、それとも、挑戦を容認するのか、ということである。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉の妥結を受け、オバマ大統領は「中国のような国にグローバル経済のルールを決めさせない」と断言した(ホワイトハウス「TPPに関する大統領声明」)。韓国は、日米とは異なり、中国が主導するAIIB(アジアインフラ投資銀行)にも加わった。

中国の台頭というグローバルな構造変化に対して、世界各国が対応を迫られている。日韓関係の変容もその中で生じていて、「もはや米中関係の従属変数にすぎなくなった」という見方さえある。そこまで極端ではなくても、「日韓」関係は単独の二国間関係としてはもはや捉えきれず、「日米」「日中」、「米韓」「中韓」、何より「米中」という他の二国間関係や、「日米韓」「日中韓」「韓米中」などマルチの関係との中に位置付けなければ何も分からないことだけは明らかである。つまり、「一次方程式」ではなく、「高次連立方程式」として問いを立ててはじめて、解くことができるし、解いても意味があるというわけである。

こうした中、日本は米国との同盟を強化し、抑止力を強めることで対応しようとしている。他方、韓国は米国との同盟を堅持しつつも、中国との関係を多方面で深めている。この「韓米中」「安米経中(安保は米国、経済は中国)」という路線は、ここ3年間の朴政権下で一層鮮明になっていて、「安中(安保も中国)」「韓中米」に変わるのではないかというシミュレーションすら行われている(鈴置高史『朝鮮半島201Z年』日本経済新聞出版社、2010年;Sue Mi Terry, Unified Korea and the Future of the U.S.-South Korea Alliance, A CFR discussion paper, December 2015, Council on Foreign Relations)。

「韓米中」の中では「日米韓」というより「米日韓」が後退するのはむしろ当然である。「中国傾斜」は「日米韓に対する裏切り」として非難したり落胆したりするのではなく、グローバルな構造変化に対する日韓それぞれの認識や対応の相違として冷静に理解するべきである。その上で、それを所与の条件として、日韓関係を再定立すればいい。「日米韓」において「日韓」はかつて「擬似同盟(quasi-alliance)」や「事実上の同盟(virtual alliance)」とも評価されたが(ヴィクター・D・チャ(船橋洋一監訳・倉田秀也訳)『米日韓 反目を超えた提携』有斐閣、2003年;Ralph Cossa, “U.S.-Japan-Korea: Creating a Virtual Alliance,” PacNet, 47, 1999)、今や日本にとって「準同盟」はオーストラリアと言われている。

3年半ぶりの日韓首脳会談が開催されたのも、日中韓サミットというマルチ会合の場だった。次回は安倍首相がホストすることになっているが、2016年5月には伊勢志摩サミットも予定されている。バイ(二国間関係)を動かすには、他のバイやマルチとの連動がより有効な場合がある。

日中韓サミットの開催を確実にすれば、朴大統領の初来日と2度目の日韓首脳会談はおのずと織り込み済みになる。韓国がそうであったように、日本も、中国との関係を進めることで「日中韓」や「日韓」を動かそうとするのは間違いない。

「日中韓」はマルチの枠組みの中で制度化が低く(大庭三枝『重層的地域としてのアジア―対立と共存の構図』有斐閣、2014年)、「北朝鮮の核問題」についても一つの声を上げることができない。今のところ、「日中韓」はPM2.5の対策など機能的協力くらいでしか有効でないかもしれないが、バイの会談を進めるモメンタムにはなっている。

「日米韓」も、中国をめぐっては齟齬が目立つが、少なくとも北朝鮮の核問題に関しては、一致した立場をとることができる。「日韓」では霧散したGSOMIA(軍事情報包括保護協定)も、対北朝鮮に限定して、米国を介在するというかたちでは実現した。

このように、日韓関係の変容は、基本的価値を共有しなくなったから(だけ)でも、歴史認識問題が決着していないから(だけ)でもない。むしろ、グローバルな構造変化に対する認識に日韓間でギャップがあり、政策的対応に違いが生じているからで(も)ある。つまり、問題なのは、日韓両国が基本的価値というよりも戦略的利害を共有しているのか、ということである。

たとえ慰安婦問題が「妥結」したとしても、この戦略的齟齬はそのまま残る。むしろこれまで「カバー(擬装)」されていて見えなかったことが誰の目にも明らかになる。その意味では、「中韓歴史共闘」や「韓国の中国傾斜」も、中国による「対『米日韓』離間策」やその結果として理解すべきかもしれない。

いずれにせよ、これが日韓国交正常化50周年を迎えた日韓関係における「新常態(new normal)」である。ようやく首脳会談が開催され、長年のしこりが解消されたとしても、「日韓友好」という「正常」に戻るというわけではない。変わりゆく遠近感をそのまま描く方法や受けとめる姿勢が問われている。

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