「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     ”南洋で百貨店を開くまでの夫婦奮闘記!岡野繁蔵氏の記録

2012-02-19 07:05:55 | Weblog
昨日、主婦の友社に隣接する私立御茶ノ水図書館へ戦前インドネシア独立の志士、ウスマン氏と結婚した長田周子さん(日本名)=ジャカルタ在住=(97歳)の戦前の資料を探しに行った。残念ながら資料は見当たらなかったが、副産物として戦前ジャワで手広く百貨店を経営していた岡野繁蔵氏(故人)に関する貴重な記事(「主婦の友」昭和9年3月号)を発見した。

岡野繁蔵氏は戦前今のインドネシアのスラバヤを中心に当時の蘭印各地に”日本人最初の百貨店、しかも商品全部が日本品で、外国品一品も影を見せぬという、珍しい百貨店「トコ・千代田」を開いた”(前記「主婦の友」)経営者である。静岡県青島町(現在の藤枝市)の生まれで、大正の初期、20歳の頃ジャワへ渡り、裸一貫、巨万の富を築いた立志伝中の人で、戦前のインドネシアについての研究者にはよく名前が知られている。

平成15年、僕は岡野繁蔵氏が戦前、蘭印各地で撮影した16ミリフィルムが60分カセットにして32本もNHKアーカィブにあることを知り、関係者と一緒にその一部を見せて貰った。当時、日本ではカメラでさえ珍しかったのに、岡野氏は16ミリで撮影していた。研究者にとっては大変貴重な記録である。今回、僕が御茶ノ水図書館で見た記事は、岡野氏がスラバヤに「トコ・千代田」をオープンした翌年の記事で、その見出しには”水車屋の貧乏少年が雑貨王となる”とあり、岡野氏が百貨店を開くまでの夫婦の奮闘記が記されている。

大正時代に流行した「流浪の唄」の一節に”流れ流れて落ち行く先は北はシベリア南はジャワよ”とうのがある。落ち行く先であったかどうかは別として、戦前,蘭印各地には岡野氏の「トコ・千代田」と同じ形の日本人経営のトコ(店)が各地にあったし、写真館、薬屋、自転車屋など沢山の日本人が在住していた。戦争のため、ほとんんどの日本に引き揚げてきた。戦後その関係者が「じゃがたら友の会」を結成し、資料の保存や会報を発行して活動している。幸い岡野氏の16ミリフィルムはNHKで保存されているが、他の資料も一か所にまとめて後世に残したいものである。
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じゃがたら (chobimame)
2012-02-20 09:00:50
じゃがたらと言うと、じゃがたらオユキを思い出します。年代的には違いますが。よく一攫千金の為に満州や外国に出ていった話を聞きますが、昔の日本には経済的な閉塞感があったのでしょうか?(戦後は大変だったと思います)
岡野氏のフィルムをぜひ見てみたいです。
日本人が外国でどのように暮らし事業を成功させたのか。NHKが放送すれば良いのです。
貧困からの脱出 (kakek)
2012-02-20 12:31:44
chobimame さん
戦前の日本はやはり貧しかったのですね。維新後北海道の開拓がはじまり、やがてハワイや中南米にも政府が中心となって事業が開始されています。満州国の建設もも貧困解消の一つの手段ともみることができます。マレーのハリマオーも確か九州からマレー半島にわたり床屋さんをしていた一家です。貧困からの脱出と同時に一攫千金への夢もあったと思います。
貧困からの脱出 (wacin)
2012-02-20 16:30:22
いま、あらためて、トコ・ジャパンなど、明治・大正・昭和初期の邦人海外進出を、再検証する必要があるように思います。当時の日本は貧乏だった。必要に迫られての、厳しい海外進出でした。いま、日本では、自分の適性を生かせる仕事がなければ、働かなくても、健康で文化的な最低限度の生活が保障されているので、トコ・ジャパンの諸先輩のような苦労をする必要はまったく無いのです。海外進出なんて止めなさいと言っているようなものです。そうではなくて、海外、特にアジアへ進出するための、何らかのインセンティブを与えることも、考えて良いのではと思います。
同感です (kakek)
2012-02-21 14:59:09
wacin さん
僕も同感です。昨年インドネシアを訪れた時、知り合いの日本人女性から、ジャカルタの日本企業で働く日本人の若い男性はよく働かないと聞きました。海外勤務は”流された”という気持ちがあるみたいですね。
一方、生活保護が記録やぶりだという国内でも働き盛りの若者が増えているという。最低限度の生活が保障されているので働かないのでしょう。やはり、日本人は働かなくてはダメなのです。
ご存じたと思いますが、西嶋重忠さんは共産党からの転向を条件にトコ千代田に入ったそうです。

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