テレビ情報番組に格好の話題を提供していた財務省の福田淳一次官の”セクハラ”と米山隆一新潟県知事の”女性問題”が昨日、二人の辞任で一応ケリがついた格好だ。米山知事は1967年生まれの50歳、福田次官に至っては59年生まれでアラ60歳。いい年をした”大人”の世間騒がせの話である。特に福田次官の魂胆が悪い。”被害者”が名乗りでないと思ったのであろうか、最後までシラを切っていた。
孔子の言葉(論語為政)に志学、而立,知命、耳順、従心という教えがある。40歳にして惑わず、50歳にして天命を知り、60歳にしてして耳に順う(したがう)という意味である。三省堂の慣用句辞典によれば、50歳、知命になれば、天から与えらえた使命を知る年齢、60歳、耳順になれば、何を聞いてもすなおに理解できるようになる年齢である。どうも福田次官も米山知事も孔子の教えを知らなかったのか逆らたのか。
僕は数え年で88歳、米寿のお祝いだが、80歳時の孔子の教えは何なのかを調べたら、70歳、従心で終わっている。孔子の時代には80歳はいなかったのか。そこで、従心をそのまま延長ずると考えるならば、”自分ののしたいことをしても、人間の法則を超えることがない境地”だそうである。果たして,、どうかはわからないが。
米山知事の涙の辞任会見は幼いがなんとはなく人間として理解できる。これに反して福田次官の辞任の態度、手法は”耳を疑う”。あれだけ役所をあげて調査すると言っておきながら”被害者”が出てきそうだと判ると、手の裏を返したように辞任である。福田次官は60歳、耳順まで2年、耳順の境地にまで達していなかったのか。人騒がせの話だ。世をあまり甘くみるな。
孔子の言葉(論語為政)に志学、而立,知命、耳順、従心という教えがある。40歳にして惑わず、50歳にして天命を知り、60歳にしてして耳に順う(したがう)という意味である。三省堂の慣用句辞典によれば、50歳、知命になれば、天から与えらえた使命を知る年齢、60歳、耳順になれば、何を聞いてもすなおに理解できるようになる年齢である。どうも福田次官も米山知事も孔子の教えを知らなかったのか逆らたのか。
僕は数え年で88歳、米寿のお祝いだが、80歳時の孔子の教えは何なのかを調べたら、70歳、従心で終わっている。孔子の時代には80歳はいなかったのか。そこで、従心をそのまま延長ずると考えるならば、”自分ののしたいことをしても、人間の法則を超えることがない境地”だそうである。果たして,、どうかはわからないが。
米山知事の涙の辞任会見は幼いがなんとはなく人間として理解できる。これに反して福田次官の辞任の態度、手法は”耳を疑う”。あれだけ役所をあげて調査すると言っておきながら”被害者”が出てきそうだと判ると、手の裏を返したように辞任である。福田次官は60歳、耳順まで2年、耳順の境地にまで達していなかったのか。人騒がせの話だ。世をあまり甘くみるな。
今は倍の100年ですし、日本は平和ボケで人間は劣化しています。
いい歳をしたオッさんが、女のケツを追い回し、安く遊ぼうとする卑しい根性だからこんな事になるんです。
大人の思考とは思えません。
しかし、テレ朝社員が個人的に取材と称して1年半も会食を続けたり、付き合っている?男にお金を貰ったり、なんか変ではありませんか?
このバカオヤジを庇うつもりは、毛頭ありませんがハニートラップか?などと過ぎりました。
この事件に、小泉だとか山崎がなんで口を出してくるのも理解出来ません。
山崎なんかもっともらしく意見を言っていますが、自身の愛人に週刊誌暴露された過去があるではないですか。
本当にウンザリです。
事務次官個人の問題に関して、財務省の顧問弁護士が支援するとの「財務省ムラ」の動きは全く解せません。
福田氏は、辞任はするけれども、個人としては、セクハラをしていないと主張されており、電車の中の痴漢犯罪の冤罪だと思うのなら、とことん、訴訟で真相を明らかにすべきです。
また、某新聞社も、被害者個人の問題に対して、会社として支援するというのも異常な事態かと感じます。
ブロガーの書かれた通り、財務省の側も、実に尊大な態度だと思います。
隣国の中共や、南北・朝鮮半島でのさばっている党幹部や上級官僚の腐敗・汚職に比べれば、千分の一、もしくは、万分の一なのかもしれませんが、
わが国も敗戦後、
花より団子に浮かれて、世のため人のためを忘れて、我欲・強欲を求める空気が蔓延しているのでは、ないでしょうか?
大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶ事件の再来ですから、この際、
国税庁を財務省から分離・独立させて、財務省の強大な権限を縮小するように組織改革をすれば、どうでしょうか?
「もしも、財務省に逆らえば、税務調査をするぞ」と政治家をはじめ、脅されているようなものですから。