「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          池部良中尉と中村輝夫一等兵

2009-08-08 05:21:21 | Weblog
先日みた映画「台湾人世」の中で高砂族(先住民族)出身の中村輝夫一等兵(現地名スニ
オン)についてふれていた。中村一等兵は戦争中、高砂族主体の遊撃隊の一員としてモル
ッカ諸島(インドネシア)のモロタイ島に配属され、連合軍との戦闘の中で敗戦も知らずに昭
和49年まで30年もジャングルで生活していた人だ。

世界地図を広げるとインドネシア領海にローマ字の「K」のような形をした島が二つある。大き
い「K」はセレベス島で、小さい島はハルマヘラ島である。モロタイ島はハルマヘラ島の下に
ある小島である。戦争末期の19年から20年にかけて、この島に連合軍が地上軍4万人、航空
部隊1万7千人を投入して奪回を計りにきた。フィリッピン作戦上の重要戦略地点であった。こ
れに対して日本軍は高砂族主体千人程度の分遣隊にすぎなかった。

日本軍はハルマヘラ島の戦闘司令部から数回にわたって増援部隊を派遣したが、あまり効果
がなかった。このハルマヘラ島の前線衛生隊に池部良中尉が小隊長として勤務していた。池
部中尉は戦後「青い山脈」などに出演、青春スターとして一生を風靡したあの人だ。池部良は
戦後出版した自著「ハルマヘラ・メモリー」(中央公論社1997年)の中で中尉の小隊がデング熱
やマラリアに悩まされ、トカゲやへびやワニまで食べて勤務していた生き様を書いている。

そんな勤務の中で池部中尉はなんの前触れもなく戦争が終わったことを告げられる。その瞬間、
池部中尉は、これで死も戦争も部下の命も考えずにすむと思い、同時に何をしにこんな南のジャ
ングルへやってきたのかと思った、と本で書いている。池部さんは今年91歳である。

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2 コメント

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壮絶な作戦 (chobimame)
2009-08-09 08:32:33
時の陸軍は、強硬に作戦を取りましたから、出兵した兵士の苦労は敵と戦うだけでなく、大変なものであったと思います。私の祖父は戦地から戻ってきた後は、マラリアで苦しんだそうです。あれは本当に生き地獄だったようです。

今日、NHKのBSで午後6:45から、海軍の証言集を放映するそうです。当時、戦争推進派の陸軍の意見とは真っ向から違い、海軍は早くから戦局を読み反対していたという話を聞いたことがあります。なんとか時間を作って見たいと思っています。
マラリア (kakek)
2009-08-09 09:58:53
chobimame さん
昭和20年代、南方から復員した方々はマラリアで悩んだそうです。僕も40年はじめインドネシアへ出かけたとき、香港で特功薬キニーネを買って行きました。
一般には海軍は戦争の早期解決を望んでいたといわれていますが、どうなんでしょうか。
大本営のエリート参謀が,前線を知らずに机上で作戦を進め悲劇を生んだという批判はよく聞きます。
劇団四季の「南十字星」が9月から再演されます。従軍世代の人たちには好評です。

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