「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        孫の春の運動会 戦争と平和

2010-05-23 05:16:42 | Weblog
昨日、真夏のような暑い日射し中で老妻と一緒に孫(中三)の運動会の応援にでか
けた。僕ら戦前生まれの東京の人間にとって、この時季の運動会はあまりなじみが
薄いし、季節感がない。運動会はやはり天高い秋の侯のほうが似つかわしい。

東京の運動会が春に行われるようになったのは、何時ごろからであろうか。昭和40
年代、僕ら一家は転勤で札幌に居住、子どもたちは地元の小中学校にお世話にな
ったが、運動会が春なのに驚いた。冬の到来が早く、秋の短い北国では運動会は昔
から春なのだ。

太宰治の作品「津軽」の中で太宰が小守のたけさんと再会したのは、小泊国民学校
(小学校)の春の運動会の会場だった。年譜によると、昭和19年5月下旬である。太
宰はその時の模様を「大戦争の最中にも思えない明るい不思議な宴会だった」と記し
ている。

僕が東京の国民学校を卒業したのは18年3月だが、東京では翌19年6月、太宰が小泊
国民学校の運動会を参観した同じ時期、政府の閣議決定で学童の集団疎開が決まって
おり、秋の運動会は中止になっている。

中三の孫は180㌢近い大男である。思えば敗戦の年、僕も中学3年だったが運動会どこ
ろではなかった。動員先の工場も学校も空襲で焼け、空腹をかかえながら強制疎開地の
建物の取り壊し作業に従事していた。明るく元気に溌剌と走りまわる子どもたち見て、改
めて平和の喜びをかみしめた。