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やりたいこと

2013-07-25 | 雑記
しばらく、Facebookとやらで、どーでもいいことをツイッター代わりに書いたりしていた。

言っても詮無きことだが、こちらに長々と書く気が沸き起こらなかったからだ。まあ、書くような内容のことはない。



とはいいつつも、さて、このタイトル。



そうか、五百人か。いや、違う。


というわけで、以下、回想から始まる。



先月、あるお店で飲んでいた。後から来た客が、わしにこう尋ねてくる。大抵の人がまず聞いてくることである。


「なんで着物を着ようと思ったのだ?」と。



こちらも、いつも同じような答えをする。

書いたこともあるかもしれないが、簡単に。


子供のころに剣道をやっていて、大学時代は茶道を習い、その時、正式な和装というものに触れた。
幼少のころに触れた剣道の胴着とは似ていながらやはり違い(そりゃそうだが)、実に感動したものだった。
だから、今着て暮らすことにした。日本の気候にもあっているし、こちらのほうが着てて気持ちいいからだ。


と、その時も答えた。

茶道に触れた経緯をわき道に逸れて書き記しておく。


これもまた、子供のころだが、山本周五郎の『火の杯』という小説がある。

二人の主人公の視点で話が進んでいき、最終的に合流する(男女で、なんと最後は夫婦になる)、舞台は戦後の小説である。


その男のほうは、名前なんぞは覚えてないが、財閥だかの家柄。

同年代の他家の子息らがフェンシングにかぶれていたとき、「胴長短足の日本人に似合うものではない」と、一人剣道をやっていたり、皮肉屋というかなんというか。


それはともかく。


兄貴と同じ大学に同時に在学していた。

兄はビューグルバンドというのをやっていた。動き回って隊形を組みながらラッパを吹くアレである。

肉体労働である。陛下、肉体労働は苦手です、という陛下はいないが、兄のそばに居たくもない上に、やらされていた記憶しかない音楽。

多分、上記の『火の杯』が思い起こされたのだろう。人に誘われて茶道部の見学に行った後日、入部した。


と、いうわけである。おわり。いや、終わってない。



話しは戻って、話しかけられた場面に。


あちらが定型分なら、こちらも常套句である。これも大体「へー」で終わる。終わらなかったりするが、大体は「何で今?」が続いたりする。

そこは「数年前の地震の後でやけっぱちになった」という風に答える。やけっぱちになった、とはいわんが、やけっぱちに書けばそうなる。


こう返ってきた、というより、向こうはばっさり切って優位に立ちたかったのかもしれない。おっさんだったし。

「それじゃ理由が弱い」と。


理由が弱い?ならば問おう。スーツ着るのに一々理由付けしてるのかと。ジーパンにしろなんにしろだ。

クーラーがかかっているならまだしも、ひとたび外に出れば、ネクタイなんぞ拷問だろう。それを乗り越える理由があってそうしているのかと。
そのおっさんがネクタイしていたかは忘れた。

納得する理由を聞きたいものである。「日本では明治に、西洋式の正装を公式に設定したから」だとかいうなら、こちらも「弱い」と返すであろう。
会社にはスーツ着ていくのが決まりだから、でも以下同文である。


そこまですぐ思いついたわけではないので、「うーん?弱いですかねぇ」で終わった。



思い起こせば腹が立つので、一々弁明するかのような「子供のころに」から始まる常套句は投げ捨てようと思う。



これからは「見せびらかすために着ている」と、言うことにする。そういえばそうであった。


何やら長々と書こうとしたが、蛇足気味だったので、以下は省略した。では、また。