ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

眺望

2010-04-23 | 雑記
ごく小さいころ、とても偏屈な子供だったらしい。近所のおばさんにそんな話をされて、赤面したものだった。

なんでも、当時の我が家に訪問されたとき、ムスッと出迎えてずっとそのままで、帰り際か
帰った後電話したか、そのあたりはよく覚えてないが、「うるさい!」とほえたらしい。

本人はまったく覚えが無い。おそらく小学生以下の時だと思うが、そのあたりは聞いていない。


偏屈なのはまあ、今もかもしれないが、それはおいといて、中学生あたりはひがみっぽかった。
これは今も変わらない気がする。
何かにつけて兄貴と比べられ、容姿や言動等、全て下に見られる。兄貴を知らない人間もよくからかってきた。

そして知ってかしらずか、兄貴は自分をよく説教する。これは後年本人から聞いたのだが、
暗い感じの自分をなんとか一般的な社交性を持った人間にしよう、要するに明るくする、
という余計なお節介だったというわけだ。本当に余計なお節介だった。

高校は兄貴や弟とは違う高校に入った。語るのも馬鹿馬鹿しいが、落っこちて補欠で入ったのだ。
余談だが、補欠とやらで入るんだろうと思ってたため、落ちて一番あわてていたのは周りの人間だった。
入ることになる高校が定員割れしていることも、事前だか事後にだか聞いてもいたからだ。

高校は特に何も無かった。兄貴を知る人間もいない。そして当時地元から兄貴はいなくなっていた。

どんな人間にでも他人の目を気にするところがある。無いほうがおそらく不自然といわれるだろう。

自分の場合は、とにかく、兄貴と比較して下、と毎回言われるという日々だった。それだけじゃないが、
嫌な気分というのは少なかったとしても多く見えてしまいがちだから。コンプレックスというやつだ。

兄貴と比べて色々駄目だ駄目だといわれてきたのに、ひとたび貶されるとひどく腹を立てる。
侮辱とやらには、どっかのマンガじゃ、命をかけて反抗するに値するものなのだ、というようなことがあったな。

一応、と断るが、一応何らかの基準からして、それに劣るといわれてきたわけだ。
だから、それについては貶されて怒るほどのものじゃないはずだった。が、腹を立てる。

もっとほめられるはずだ、かっこいいはずだ、とどこかで思ってたわけだ。

高校以降から、その兄貴との比較による評価は逆転することがあったのだが、聞く耳は持ってなかった。

それが長年続いたある日、今の仕事場は自分が入る直前まで兄貴が勤めていたのだが、
入って間もないころ、出入りの業者の人が「あー、○○君の弟?兄貴よりかっこいいね」と何気なくいう。
どう反応したか忘れたが「よくいわれます」だとか「たまにいわれます」だとか笑いながら言ったかな。

容姿に絶大な自信を持てた、というわけではないが(そう思ったらそれはそれで面白いが)
今までほめられたことがないわけではないのに、それを受け付けようとしなかった昔がバカらしくなった。

そうすると実に気楽になってしまった。兄貴が世界基準じゃないんだから。基準だとかもどうでもよくなった。

あまりにも色々気楽になりすぎて、何も考えてないんじゃないかと思われるが、大丈夫、何も考えていない。


人がどう見てるか、とこちらが考えるのをやめて、向こうはどう反応するか、と考えるようにした。
書いてて似てるから混乱したが、おそらく違う。

前者の場合、単に人の目を恐れているだけだ。嫌がられてないか落ち込んでないかとこちらが気を使う。

後者は、こちらが言動や態度を示して、「人」がどう反応するかを試している。
こうすりゃ怒るだろうか、これは笑わないだろうなぁ、というわけだ。
その前提にあるのが、人がどう思ってるかを気にしない、ということだったりする。
そもそも、「人がどう見てるか」を気にしすぎてきたためにああねじくれてたわけで。

勘違いしてる人はいないだろうが、別にこれは人と仲良くなるためのテクニックではない。
ある意味秘訣だ、とはいえなくもないが、単なる心構えでしかない。

人の気持ちなんて気にもなろうが、気にしたところで変わらない。相手が変わろうが変わるまいが
そんな期待も無視した上で自分の気持ちの方を変えてしまえばよい。
自分のとはいえ、すぐ変われば苦労はしないが。

本当はもっとこう「人生は諦めが肝心」とかいいたかったような気がするが、わからなくなった。では、また。