バドミントンが拓くあなたの未来

部活と勉強の両立が生きる力を育みます
鈍感と根気が継続の秘訣です
後はケセラセラ、チャンスを待てば良い

情けない平均信仰

2021-12-02 09:20:13 | Weblog

 60歳の定年までの10年間、大学非常勤講師を兼務。対象は3年生前期でした。大学の経営者、教授、若手の助手、学生とお会いし、皆さんのニーズを知り、大学組織のマネージメントや教育の手法を実践勉強できました。

 教科書を毎年作り替え、多くの学生と学科責任者のニーズに対応しようと心がけ、次年度の講義内容を毎年微調整。2年間は上手く講義できたと思います。しかし3年目から毎年反省し工夫してもダメな講師と自己評価しました。

 毎回の小テストと期末試験の合計で学生を評価。それが自己評価でしたが、毎年就活があり、進路指導室と学科長の教授、社会情勢や経済環境が影響し、就職戦線が厳しい時期でした。熱心な生徒が欠席しがちでした。

 私の経験は大手企業のシステム、製品開発、商品企画、事業企画でした。毎年内容を改善し、教授に相談し、教科書、評価法を変更しました。課題への挑戦と手法の改善が好みです。最善の講義をしようと思ったわけです。

 その結果、大学の勉強以上に高校で如何に考えたか大学入試に挑戦したか小中校で将来の夢を考えたか、大学で伸びる重要な条件であり、新教科のデータベース論と市場情報論を学生が学ぼうと思う要件と確信しました。

 仕事に役立つ話をしても、3年次の学生は馬の耳に念仏が次第に増加。3年目から悩み、最後の3年間は諦めの境地。論は常勤講師が担当し、実習と同期。私はフードコーディネータの必修科目市場情報論だけになりました。

 私の自己満足できる講義でしたが、企業のレベルで役立つ商品企画論を教えるのは難しく、お料理の問題など料理と栄養に射影したテーマが大事だと思いました。このように、定年まで大学勤務を10年続けられました。

 シャープを定年になり、都心から行き易い大学も自宅からは片道1時間30分以上かかりました。私は私の教科書で管理栄養士の資格がある先生が教えるのが最善と思いました。学科長にお願いし大学非常勤講師を辞めました。

 丁度その頃、高校バド部の顧問に誘われ、趣味のバドのインターハイ優勝者の練習も見学できると分かり、喜んで引き受け、10年間、大学と会社の試験用小論文と学校の情報システムを担当し、教頭と理事長に助言しました。

 それまで会社で若手に書類作成の指導経験だけでした。教育論村を毎日アクセス、毎日勉強しました。この村で教育にかける教師のために、ドルチェ先生のブログを特に勉強しました。私の小論指導に最適でしたので。

 私は先生の記事を毎日読み、必ずコメントしました。コメントバックが勉強になりました。私は一番仕事で重視していたのは、平均値は単に参考値であり、問題点と課題をゼロから考え企画し、平均信仰を止めろでした。

 先生は私の高校退職時とほぼ同時期に新規投稿を止めました。6年ほど前でした。音楽活動に専念するため。教員になるまで素人だったのに、小学校中学校の音楽部を指導し、高じて退職後にプロになった人、凄い人でした。

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