第3講座が終わりました。今回は、萩合宿の感想レポートコンテストが大きなテーマでした。また、それ(文章作成・記述)に関連した、読解方法についても学びました。
まず、合宿の解散式の時に流したスライドショーをもう一度見て、記憶を新たに再現してもらい、それから、7名のレポートを読み上げていきました。コピーされたレポートの名前は全員消されており、Aさん、Bさん、Cさん、・・・、になっています。何となく誰かがわかったとしても、「あくまでもAさんであり、Bさんであり、Cさんである」ということを徹底して言います。なぜなら、あくまでもレポートの善し悪しを判断の基準とするのであって、仲の良い友達だからという理由で選ぶのは正しいことではないからです。また、学校では、馬鹿にされたり、冷やかされたりということが頻発します。その結果、お互いが学び合い、高め合うということが出来ないのです。だから絶対に馬鹿にしたり冷やかしたりは禁止しています。(もっとも予選を通過して選ばれたレポートの質の高さに、それどこではなくなってしまいますが…。笑)
萩合宿で全く同じ体験をしていても、これほどまでに、感じたこと、気づいたこと、学んだことが、一人一人違うのかということに塾生は気づき、互いに敬意を払い、自分の未熟さを省みて向上への意欲を持つようになります。小学生でも素晴らしいレポートは、素晴らしいので、中学生にとっては驚きですらあります。それが大切なのです。つまり、足を引っ張り合うのではなく、お互いに敬い高め合っていくことが大切なのです。
みんなで読んで順位付けしていくのですが、例えば、私が一位に選んだ塾生には10点が加算されます。二位には8点。三位には6点。四位に4点。五位に2点。そして、塾生・スタッフ全員で採点して、合算し、合計ポイントが高かった順に一位(最優秀賞)、二位(敢闘賞)、三位(努力賞)が決められます。私も一票、塾生も一票です。これは、スピーチコンテストでも共通の考え方をしているのですが、みんなが読んでみて、良いと感じた文章が良い文章なのです。みんなが聞いていて良いと感じたスピーチが良いスピーチなのです。私が決めることでもありません。確かに私は、多少は書いたり、人前で話したりしている人間ですが、書くことも話すことも、その本質は人々に伝えることですから、みんな平等に一票で良いのだと思います。結果として、私の思ったとおりの結果にはならないことも多々あります。しかし、一人一人の成長のためにやっているのですから、そんなことはどうでもよい小さな事だと思います。
レポートをうまく書くことが出来ないのは、書く力が無いからではなく、本当の意味で聞くことが出来ていないからだと、入塾以来言い続けています。しかし、実際、自分が書けていないという現実を突きつけられる場面に遭遇しなれば、気づくことはないのです。そこから全ては始まりす。今の時点で書けていなくとも何の問題もありません。ただ、向上心が無いのは問題となり得るかもしれません。より良いレポートを目指して頑張っていただきたいと思います。
まず、合宿の解散式の時に流したスライドショーをもう一度見て、記憶を新たに再現してもらい、それから、7名のレポートを読み上げていきました。コピーされたレポートの名前は全員消されており、Aさん、Bさん、Cさん、・・・、になっています。何となく誰かがわかったとしても、「あくまでもAさんであり、Bさんであり、Cさんである」ということを徹底して言います。なぜなら、あくまでもレポートの善し悪しを判断の基準とするのであって、仲の良い友達だからという理由で選ぶのは正しいことではないからです。また、学校では、馬鹿にされたり、冷やかされたりということが頻発します。その結果、お互いが学び合い、高め合うということが出来ないのです。だから絶対に馬鹿にしたり冷やかしたりは禁止しています。(もっとも予選を通過して選ばれたレポートの質の高さに、それどこではなくなってしまいますが…。笑)
萩合宿で全く同じ体験をしていても、これほどまでに、感じたこと、気づいたこと、学んだことが、一人一人違うのかということに塾生は気づき、互いに敬意を払い、自分の未熟さを省みて向上への意欲を持つようになります。小学生でも素晴らしいレポートは、素晴らしいので、中学生にとっては驚きですらあります。それが大切なのです。つまり、足を引っ張り合うのではなく、お互いに敬い高め合っていくことが大切なのです。
みんなで読んで順位付けしていくのですが、例えば、私が一位に選んだ塾生には10点が加算されます。二位には8点。三位には6点。四位に4点。五位に2点。そして、塾生・スタッフ全員で採点して、合算し、合計ポイントが高かった順に一位(最優秀賞)、二位(敢闘賞)、三位(努力賞)が決められます。私も一票、塾生も一票です。これは、スピーチコンテストでも共通の考え方をしているのですが、みんなが読んでみて、良いと感じた文章が良い文章なのです。みんなが聞いていて良いと感じたスピーチが良いスピーチなのです。私が決めることでもありません。確かに私は、多少は書いたり、人前で話したりしている人間ですが、書くことも話すことも、その本質は人々に伝えることですから、みんな平等に一票で良いのだと思います。結果として、私の思ったとおりの結果にはならないことも多々あります。しかし、一人一人の成長のためにやっているのですから、そんなことはどうでもよい小さな事だと思います。
レポートをうまく書くことが出来ないのは、書く力が無いからではなく、本当の意味で聞くことが出来ていないからだと、入塾以来言い続けています。しかし、実際、自分が書けていないという現実を突きつけられる場面に遭遇しなれば、気づくことはないのです。そこから全ては始まりす。今の時点で書けていなくとも何の問題もありません。ただ、向上心が無いのは問題となり得るかもしれません。より良いレポートを目指して頑張っていただきたいと思います。