今年の卒塾生合宿も無事、終わりました。金沢に行き、日本人としての在り方を、共に考える旅とさせていただきました。以下は、一人の卒塾生の感想レポートです。大切なことは確かに手渡せていると実感できて、大変嬉しく思いました。学び取る力と感じ取る力の素晴らしさに、胸が熱くなりました。また、来年も、卒塾生の皆さんと、共に学ぶ時間を持ちたいと思います。卒塾生合宿が、今、どのようなものになっているかを多くの卒塾生の皆さんにお伝えしたくて、本人了解の上、レポートを掲載させていただきました。
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もう卒塾生合宿に参加できるのも最後かもしれない、そんな思いで今回の合宿に参加した。金沢の地で小学6年生から大学6年生までの12人がともに学び、その誰にとっても得るのものが多くある。それは、非常に深い学びができるよう作られているからだった。このような場を作ってくださっていることに、改めて感謝したい。今回の合宿は、高峰譲吉の映画を観る、様々な資料が配られて読む、ふるさと偉人館で先人に学ぶ、実際に伝統工芸品を見る、庭園を歩くといったように1日の中で一気にいろんなものを目にし、耳で聞いて、情報を受け止めるのに必死だった。
この合宿のテーマは、「バッカーズ寺子屋卒塾生としてどのような日本人になりたいかを考える」。私がこの合宿で感じたこと、気づいたこと、考えたことは「妥協したところには価値は生まれない」ということであった。これは、3つの事柄から共通して感じたことだった。
1つ目は日本の土木技師・八田與一が台湾で嘉南大圳を作り上げたこと。100年以上使えるダム、その地形に合ったダム、そこに住む人々の生活を支えるダムを目指したのは、公に奉ずる精神があったからだ。八田與一は、ダムをつくる人も大切にした。「良い仕事は、安心して働ける環境から生まれる」と言って、職員用宿舎を重視し、病院、学校、大浴場、娯楽施設も作った。ダムが完成した後には、農民へ3年輪作農法の技術指導も行った。こうした八田與一の行動から見えてくるのは、そこにいる人々とその子孫、その国のためになることをするという強い思いがあったということだ。ダムをつくること自体を、台湾の人々の生活を豊かにするための手段と捉えていたのかもしれない。先見の明をもって、目的と手段を考え抜いたからこそ為せたことなのだろう。
2つ目は、高峰譲吉の自分の国・日本を愛し大切にしたことだ。映画・さくらさくらの中で出てきたシーンが印象的だった。高峰譲吉がパーク・デイビス社とタカジアスターゼ販売のライセンス契約を結ぶ際に、世界独占権から日本を外すよう願い出たというシーンだ。後に、高峰譲吉が結晶化に成功したアドレナリンを発売する際も同じように願い出た。高峰譲吉は、化学を通して人々のためになるものをつくる。その精神のもとに、タカジアスターゼ、アドレナリンといった本当にすごいものを作り出してもなお、最後は自分の国のことを考えられる人だった。私利私欲ではなく実用実利を大切にする。私も、今の自分のためではなく、未来の人々のことを考えているかと自分に問い続けたい。
3つ目は、伝統工芸の本当に良いものをつくりそこに価値を見出す姿だ。伝統工芸品の価値を理解しようと、使われる素材がどこから来たものなのかを知り、時間と手間をかけて作られる工程、職人さんの技術の高さを知る。本当に良いものを作るには、選び抜かれた素材と丁寧な工程、細かいところまで手で仕上げていく職人の技が必要であることを感じた。今、日本人には値段ではなく、本当の価値を見ようとする視点が足りていないように思う。学校教育の中で、このような本物に触れる学びは少ないように感じている。もしあったとしても、本質に迫るような学びにはなっていないのだろう。文化を守るということ以前に、日本の文化とは何かが分からないから、何をどう守る必要があるのかという考えになってしまう。歌舞伎・勧進帳をDVDで観たり、勧進帳に出演した市川海老蔵さんのインタビューを読んだり、勧進帳の舞台である安宅の関を訪れる、伝統産業工芸館では歌舞伎でも使われる和傘を直接見て手に取ってみる。こうして多方面から見たり学んだりしていくことで、知識と体験が立体的なものとして自分の中に再構築されていくように感じた。伝統工芸品を自分の生活の中にもっと取り入れていきたい、そしてその歴史と良さを語れるようにならなければと思った。
今回の合宿は、まさに体験の中で学んでいき、そうだった、こうやって関連づけていくんだった、知らないことが多すぎる、といった感じで塾生に戻ったような気分だった。そして、久しぶりにスピーチをした。自分から発信していくというのは、何となくしゃべるのは簡単でも、真面目にやれば大変エネルギーのいることだ。しかし、考えて自分から発信しようとしたとき、はじめて気がつくことはたくさんある。自分も気づいていなかった、眠っていた、自分の考えていたことに出合えるチャンスでもあるのだ。私も妥協しない人になるために、何のためにそれをやっているのかを考え、自分のことは最後には自分で決めて、自分に負荷をかけていきたい。今の豊かな世の中では、意外にも逆境は向こうからやってこない。ならば、自分から向かっていくしかないのだと感じた。
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もう卒塾生合宿に参加できるのも最後かもしれない、そんな思いで今回の合宿に参加した。金沢の地で小学6年生から大学6年生までの12人がともに学び、その誰にとっても得るのものが多くある。それは、非常に深い学びができるよう作られているからだった。このような場を作ってくださっていることに、改めて感謝したい。今回の合宿は、高峰譲吉の映画を観る、様々な資料が配られて読む、ふるさと偉人館で先人に学ぶ、実際に伝統工芸品を見る、庭園を歩くといったように1日の中で一気にいろんなものを目にし、耳で聞いて、情報を受け止めるのに必死だった。
この合宿のテーマは、「バッカーズ寺子屋卒塾生としてどのような日本人になりたいかを考える」。私がこの合宿で感じたこと、気づいたこと、考えたことは「妥協したところには価値は生まれない」ということであった。これは、3つの事柄から共通して感じたことだった。
1つ目は日本の土木技師・八田與一が台湾で嘉南大圳を作り上げたこと。100年以上使えるダム、その地形に合ったダム、そこに住む人々の生活を支えるダムを目指したのは、公に奉ずる精神があったからだ。八田與一は、ダムをつくる人も大切にした。「良い仕事は、安心して働ける環境から生まれる」と言って、職員用宿舎を重視し、病院、学校、大浴場、娯楽施設も作った。ダムが完成した後には、農民へ3年輪作農法の技術指導も行った。こうした八田與一の行動から見えてくるのは、そこにいる人々とその子孫、その国のためになることをするという強い思いがあったということだ。ダムをつくること自体を、台湾の人々の生活を豊かにするための手段と捉えていたのかもしれない。先見の明をもって、目的と手段を考え抜いたからこそ為せたことなのだろう。
2つ目は、高峰譲吉の自分の国・日本を愛し大切にしたことだ。映画・さくらさくらの中で出てきたシーンが印象的だった。高峰譲吉がパーク・デイビス社とタカジアスターゼ販売のライセンス契約を結ぶ際に、世界独占権から日本を外すよう願い出たというシーンだ。後に、高峰譲吉が結晶化に成功したアドレナリンを発売する際も同じように願い出た。高峰譲吉は、化学を通して人々のためになるものをつくる。その精神のもとに、タカジアスターゼ、アドレナリンといった本当にすごいものを作り出してもなお、最後は自分の国のことを考えられる人だった。私利私欲ではなく実用実利を大切にする。私も、今の自分のためではなく、未来の人々のことを考えているかと自分に問い続けたい。
3つ目は、伝統工芸の本当に良いものをつくりそこに価値を見出す姿だ。伝統工芸品の価値を理解しようと、使われる素材がどこから来たものなのかを知り、時間と手間をかけて作られる工程、職人さんの技術の高さを知る。本当に良いものを作るには、選び抜かれた素材と丁寧な工程、細かいところまで手で仕上げていく職人の技が必要であることを感じた。今、日本人には値段ではなく、本当の価値を見ようとする視点が足りていないように思う。学校教育の中で、このような本物に触れる学びは少ないように感じている。もしあったとしても、本質に迫るような学びにはなっていないのだろう。文化を守るということ以前に、日本の文化とは何かが分からないから、何をどう守る必要があるのかという考えになってしまう。歌舞伎・勧進帳をDVDで観たり、勧進帳に出演した市川海老蔵さんのインタビューを読んだり、勧進帳の舞台である安宅の関を訪れる、伝統産業工芸館では歌舞伎でも使われる和傘を直接見て手に取ってみる。こうして多方面から見たり学んだりしていくことで、知識と体験が立体的なものとして自分の中に再構築されていくように感じた。伝統工芸品を自分の生活の中にもっと取り入れていきたい、そしてその歴史と良さを語れるようにならなければと思った。
今回の合宿は、まさに体験の中で学んでいき、そうだった、こうやって関連づけていくんだった、知らないことが多すぎる、といった感じで塾生に戻ったような気分だった。そして、久しぶりにスピーチをした。自分から発信していくというのは、何となくしゃべるのは簡単でも、真面目にやれば大変エネルギーのいることだ。しかし、考えて自分から発信しようとしたとき、はじめて気がつくことはたくさんある。自分も気づいていなかった、眠っていた、自分の考えていたことに出合えるチャンスでもあるのだ。私も妥協しない人になるために、何のためにそれをやっているのかを考え、自分のことは最後には自分で決めて、自分に負荷をかけていきたい。今の豊かな世の中では、意外にも逆境は向こうからやってこない。ならば、自分から向かっていくしかないのだと感じた。