環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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スウェーデンの「脱原発政策の歩み」② スウェーデンで大原発事故が起きたら・・・・

2007-10-31 08:15:32 | 原発/エネルギー/資源


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皆さんへのお願い:10月30日から始めたこの連続講座「スウェーデンの脱原発政策の歩み」(私の理解では「エネルギー体系修正のための政策」という表現のほうが適切だと思う)がカバーする範囲は、1960年代から1990年頃までです。その頃を振り返りながら読んでください。その後のスウェーデンのエネルギー政策は「緑の福祉国家22~30:エネルギー体系の転換」を参照してください。 
 
 
1986年4月に起きたチェルノブイリ原発事故のような大原発事故が起きた場合、事故による放射能汚染で身体、財産に損害を受けた市民に対する補償、継続的な健康診断に要する経費、放射能汚染地区からの移住や汚染された農地の管理に伴う経費、事故を起こした原発の処分に要する経費など事故後の対処のために必要とされる様々の諸経費の合計は莫大なものになるはずです。

さらに、利用できない農地や居住地などによる損失を考慮すれば、原発事故による損害あるいは影響はさらに大きくなります。1991年4月10日付けの朝日新聞によりますと、ソ連最高会議は480万人を対象とする「チェルノブイリ原発事故被害者救済のための補償法案」を採択したそうです。

補償対象が480万人と言えば、人口850万人(当時)の「福祉国家」スウェーデンでは人口の半分以上が補償の対象になるということです。これでは、国民の大多数が支持している安心で安全な「福祉国家」は崩壊してしまうでしょう。  

10月19日のブログ「20年前の日本の原発論争:スウェーデンの脱原発政策への関心」 の中で、1988年6月7日から89年10月までのおよそ1年半の間に、私が直接目にした、スウェーデンの「原発・エネルギー政策」に触れた、新聞、雑誌、単行本、テレビ番組の数は66本のリストを掲げました。そして、「その中には、私の視点や判断基準からみると、まさに誤解、曲解、世論をミスリードするために書かれたと判断せざるを得ないものなど様々でした」と書きました。

当時の日本の原発議論では、日本の高名な学者や学識者の一部の方々がテレビや書籍、雑誌などの公の場で、およそ学者ならぬ(あるいは、今考えると、それが学者の実態だったのかもしれませんが)「危険について一番の目安になるのは人身事故である。日本では原子力発電を始めて以来、一人も事故で死んではいない。それに対して自動車事故では年間1万人以上が死んでいる。事故死者の論理でいけば、自動車は大変危ないので乗るべきではないということになる。原発はそれくらい安全である」(竹内均・東大名誉教授の発言)という趣旨の発言がいくつかありましたが、このような発言は一見もっともそうに聞こえますが、統計の専門家から見れば滑稽そのものです。

たとえば、

(1)西部邁(評論家)、生田豊朗(日本エネルギー経済研究所理事長)、宮本みちこ、中村正雄、木元教子、夏樹静子氏による座談会での西部氏の発言と生田氏の応対
   第1章 最近の原子力情勢をめぐってp12~13
   フォーラム「エネルギーと原子力を考える」(財)日本エネルギー経済研究   所編日本工業新聞社(1989年10月25日 初版1刷)

(2)牧野昇、星野芳郎氏の対談での牧野氏の発言

   第9章 巨大技術の崩壊の兆しをどうみるか p267
   「牧野昇vs星野芳郎 対論 「技術」! チャンス&クライシス」
   (財)省エネルギーセンター(1989年10月23日 初版1刷)

(3)竹内均、加納時男、塩月修一氏の鼎談での竹内氏の発言と加納氏の対応
   特集 「原子力と人間」 p68
   月刊「経営コンサルタント」 1989年10月号
   (株)経営政策研究所
   
次の図は、(3)に登場する日本を代表する地球物理学者であられた竹内均・東京大学名誉教授(雑誌「ニュートン」の前編集長、2004年4月20日死去)の発言です。




この鼎談記事には、「科学技術と人間-今、原子力を考える・・・・・・・東京大学名誉教授 竹内均・東京電力取締役 加納時男」とあります。

事故の起こる頻度、事故防止対策の努力の程度などまったく比較にならない二つの事象を比較することは意味のない比較なのです。地球物理学を専門とする東京大学名誉教授と東京電力取締役との対談としてはあまりにひどいのではないでしょうか。このメディアが一般には知られていないものですから、あるいは本音の討論と言えるのかもしれませんね。

私に言わせれば、死者よりも被害を受け様々な不安を抱えながら生き続けなければならない多くの人々、つまり、チェルノブイリの事故で言えば補償の対象となった480万人の人々の「その後」のほうがもっと悲惨なはずです。このような発言をした日本の学識者の見識が問われます。





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